三章

三章(1)

「転校?」


 出し抜けに掛けられたその言葉に、俺は動揺を隠せなかった。


 転校? 何故?

 何でそんなことが、俺の人生に起こる?


「無力だね、私。どんなに頑張ってみても、ただの子供だって忘れてたみたい。お金は稼げないし、家だって借りられない」


 アカリは怒るでもなく、泣き喚くでもなく、それでも、今までに見たこともないような悲しい表情をしている。こんな顔をさせちゃ、いけないんだ。


「どうにか、ならない?」


「ならないよ、どうにも」


 なんとか言葉を絞り出したものの、特に名案が浮かぶでもなく、結果としてその場しのぎのようになってしまった。それはそうだ。俺たちが一体、何が出来るって言うんだ。バイトなんて、あと五年? 六年? 経たないと無理じゃないか。


 将棋は? 部活は?

 今すぐプロになる? それでお金が入る? 


 そんなこと、出来ない。分かりきったことだ。


「仕事の関係なんだって。それ以上は何も言ってくれなかった。多分、言っても分からないだろうとか、別に学校なんてどこでもいいとか、そういう風に思ってるんだろうね」


 嫌だ。こんなアカリ、見たくなかった。

 アカリの両親が憎い。なに勝手なことしてるんだよ。


 いつの間にか握りしめていた右手に、伸びた爪が刺さって血がにじんでいたが、そんなことはどうでもよかった。


「……悔しくないのか」


 こんなことを言って何になる?

 己の無力をアカリにぶつけてどうするっていうんだ。


 そりゃ、アカリだって、


「悔しいよ」


 瞬間、光に照らされたアカリの目元が、わずかに潤んだように見えた。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ!


「アカリ!」


 気が付けばアカリの手を握っていた。

 アカリは目を見開いている。

 人差し指の付け根からは血が流れていたが、そんなことを気にする二人でもなかった。


「二人でどこかに行こう! ちょっと待てばバイトも出来る! 免許だって取れる! 二人で暮らそう!」


 そうだ、それでいいじゃないか。それなら親がどうとか、関係ない。ああ、そうだな。それがいい。そうしよう。


「……ふふ」


 アカリは無理矢理に笑顔を作って、横に首を振る。


「それまではどうするの? 食べ物だって必要だし、補導されちゃうかもしれないよ」


「……それは、その」


 所詮こんなものだ。テストで結果を残そうが、何の意味もない。あまりにも無力なんだ。馬鹿にしていたその辺の大人の方が、よっぽど社会に通用している。なら、勉強とか、努力とか、何の意味もないんじゃないか。


「でも、ありがとね。絶対また会いにくるから」


「……うん」


 うん、じゃない。何かないか。何か……。何か、二人だけの、


「『約束』。覚えてるよね。これからも有効だからね」


「そうだよ! アカリ!」


 握っていたままのアカリの手を上下に振る。

 そうだ、その手があった。


「え、え?」


 それなら、ずっと一緒にいられる。どこにいても、誰と話そうと、繋がったままでいられるんだ。



 バッドエンドの方を、選べばいいんだ!



「どうしたの、アリカくん」


「なんだ。転校とか、引っ越しとか、そんなことはどうでもよかったんだ」


「えっと、『約束』のこと?」




「うん。この際だから、新しい約束を追加しよう。これから二人とも、『変わらずにいる』んだ。また会えた時に、すぐに分かるように。見つけやすいように。それって最高じゃないか」

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