一章(9)

 蛇口を捻ると勢いよく水が流れた。その一部を手で掬い、顔に掛ける。雑念と一緒に疲れまで流れていくような、爽快な気分になる。


 らしくないな、こんなの。秋野には悪いが、何を考えていようと知ったことか。夜も遅いことだし、お引き取り願おう。


 濡れたままの手で蛇口を再度捻って、流れを止める。その辺のタオルで適当に水気を取ると、秋野の元へと戻る。なんなら、もう帰っていたら良いのにとも思ったが、さすがにそう都合よくはいかないのが僕だった。


「…………」


 果たして秋野はそこにいた。しかし、意識はそこになかった。いや、こういうと死んだみたいで語弊がある。正しくは机に突っ伏して、自分の腕を枕に眠っていた。耳を澄ませば上下に動く肩に合わせて、すうすうという寝息まで聞こえる。


「よくもまあ……」


 ここまで無防備になれるものだと感心する。

 僕は取り敢えず、何かの拍子に零さないように、飲み物を流し台へと運ぶ。


 さて、ここからが問題だ。


 問題。秋野をどうするか?


 配点五点。五点かよ。じゃあ空白にしようかな。

 それはそれで選択肢の一つだろうか。つまりは何もしない。起きるまでほっておく。というか、これしかないんじゃないか? そもそも、起こすって何をすればいいんだ。声でもかけるのか? まさか秋野がやったように、肩を揺すれって言うんじゃないだろうな。そこまで面倒を見る義理は無いんじゃないか。


 それとも、いまのうちに手帳でも見てやろうか。

 ……全然そんな気が起きないんだよなぁ。

 まあ、いいや。今日はもう、色んなことがあり過ぎて疲れた。煩わしいことは明日に回して寝るとしよう。


 僕は布団の上に倒れこみ、そのまま眠ろうとしたが、ちょっとした気まぐれでタオルケットを一枚だけ秋野に掛け、それからまた横になった。


 気を使っているわけじゃない。決して。

 風邪でも引かれて、移されたら敵わないからだ。


 多分。

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