一章(8)

 やっぱり手帳が気掛かりなのだろうか。

 少し手間取りながらも鍵を引き抜き、ドアノブに突き刺す。一回転させると、かちゃりと心地良い音がする。やっと帰ってきたって感じだ。

 扉を開け放ち、玄関に荷物を降ろす。軽く伸びをすると、日頃使っていない筋肉共が悲鳴を上げる。明日には筋肉痛になっているかもしれない。


「お邪魔しまーす」


 靴を脱ぎ、勝手に入っていく秋野。

 一人暮らしの男子高校生の家に平気で上がるとは。こいつは自分をもっと大事にするべきだな。そうでないなら死ぬべきだ。

 僕は鍵を閉めてから、秋野の後に続く。


「シンプルな部屋だね」


「そうだな」


 少し広めのワンルーム。入って直ぐ左手のところに流しと冷蔵庫があり、向かい合うように風呂場がある。そこを抜ければリビングとなっているが、そのスペースには机と本棚ぐらいしか置いていない。必要の無い物は置かない主義だ。


「座ってろ。飲み物ぐらい出す」


 コップを取りに流しに行くが、秋野もついてくる。


「そうはいかない」


 何を言ってるんだこいつ、と思ったけど手を洗いたかっただけのようだ。蛇口を捻り、石鹸でこれでもかと手を擦る。そういえば猫触ってたしな。僕も秋野の横に立ち、手を洗う。肩が触れてしまいそうだ。

 秋野は気にならないらしく、掛けっ放しのタオルに手を拭くと、机の前に鎮座していた。さっきは小動物と言ったが、今度は犬のようだ。


 今度こそコップを取り出し、冷蔵庫に唯一入っていたジンジャーエールを注いで秋野の前に持っていく。


「ありがと」


 秋野が喉を鳴らして飲んでいる隙に、その辺に投げてある僕の制服のポケットから手帳を取り出す。


「ほらよ」


 手渡そうとして、猛禽類の様に奪われる。

 あっぶねえこいつ。

 少し引いた僕を余所に、秋野は奪い返した手帳をその豊満な胸で包む様に抱きしめる。さながら愛おしい我が子を抱くように。


「良かった……本当に良かった」


 今にも泣き出さんばかりだ。一体どんな秘密が隠されているというのか。

 僕はジンジャーエールに口を付ける。

 これ以上面倒くさい事はごめんだし、聞く必要も無いかな。いや、でもここまでされたら流石に気になるっていうか。


「気になる?」


 いつの間にか顔をあげていた秋野に、下から覗きこまれるような形になる。こいつはどういう感情なのか。推して知ることも出来やしない。


「そりゃ気になるけど」


「見せてあげようか?」


「……んー」


 正直なところ見たいという気持ちはあるが、それより不安が先に立つ。女子の手帳なんて誰の悪口が書いてるとも知れない代物に、恐怖を抱くのは僕だけではないだろう。自分で性格悪いとか言っていたし、今までの恨み辛みが認めてあるかもしれない。そうであったならあんなに取り乱すのも判る気がするが……そんなもの見たくない。


「これも嘘。今の有川君には易々と見せられないの」


 今のってなんだ。もしかしてこの「手伝い」ってこれからも続くものなのか。


「でも、内容は教えてあげる。この手帳には、私が自殺する理由が書いてあるの」


「ええ……」


 絶句したが、秋野も僕だけには文句を言われたくはないだろう。

 いやいや、それを差し置いてもだ。自殺しようとしていた者同士、打ち明けても良い気になったかもしれないけど、ちょっと重過ぎるだろう。


「ちょっと、トイレ」


 居た堪れなくなって、取り敢えずこの場を離れようと言い放つ。返事を待たずに僕は洗面所へと入り鏡を見つめる。


 何故秋野はあんなことを言うのだろうか。助けを求めているのか? 死にたくないとの心からの叫びが彼女をそうさせるとしたら、何故僕なのだろうか。本当に自殺仲間だからか? あの時僕は冗談とも取れるような言い方をした。だからと言うわけじゃないが、僕が自殺しようとしてたかなんて、確かに分かる事では無いのではないだろうか?それとも、既に自暴自棄になっていて、誰でもいいから助けを求めたということだろうか。

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