9 : Mess

 昼下がりのオアフ島、カネオヘ。


 どういう訳か管理軍は勢いを失い、この機を逃すまいと反乱軍は島南部のヒッカム基地奪還作戦と同時に一気に制圧に殴りこんだ。


 ロサンゼルス艦隊勢力の半分を味方につけたは良いが、ほんの三時間足らずで殺伐とした雰囲気はすっかり弱っている。


 代わりに建物の損傷が酷く、倒壊の危険性もある。安否が確認できていない民間人もまだ多い。


 爆発音は無いが、都心部は瓦礫の倒壊音と安全確認の呼び声で溢れかえっていた。


『この下に地下扉があるぞ』


 両腕に機銃の代わりに挟み込むタイプの油圧ハンドを備えた二足歩行戦車が、台風に打ち勝つ為の重厚なコンクリート壁の欠片を軽々持ち上げる。


 元来、操作の容易な汎用土木建築作業機械を目指して開発された経緯を持つ“ウォーカー”は、瓦礫撤去作業といった災害復旧も十八番とする。アームを付け替えれば掘削や破砕も可能だ。


「ようし、もう大丈夫だ。開けるぞ!」


 あっという間に露出した、地下に繋がる水平ドアをこじ開けると、警戒の眼差しが兵士達を見詰めた。中年の男性で、拳銃を上に向けて構えている。


「……管理軍は?」

「今この辺りからは撤退してます。居ない内に早く」

「家族が居る」


 市民が訝しげな視線を向けるのは、二時間前まで銃撃戦のど真ん中にこの家があったからだろう。


 しかし家庭用シェルターの重いドアの外からは銃声一つ聞こえない。緊張から解き放たれ、肩を落とした男は兵士二人を連れて階段が続く洞穴へ戻った。


 オアフ島北東部は


「しかし変だな、管理軍は撤退しているのか?」

「いや、まだ艦隊や航空機が引く動きは無い。一番奥に潜んでるんだろう」


 到着から小競り合いが幾つかあったが、何故か相手は退き、今となっては住民の救助活動がメインとなっていた。


「変ですねクラウディアさん、もう人の気配がしません」

「だな、兵を逃がすにしても足止めさえ無いとは。昨日のハワイ島と違って伏兵さえ居ない……」


「俺達二人で偵察でも行ってくるか。アンジュ、ダニー、残ってろ」


 年少組の元気良い返事を聞いた、ハワイ諸島で何度目にもなる白黒コンビは倒壊したビルを跳び越えた。


 超越した二人の脚力はニキロメートルを二十秒で軽々走破する。


 ところが警戒すべき敵の姿はそこには無い。見渡す限りの廃墟都市は段々と損傷具合が激しくなっていく。


「この辺りの住民の避難は済んでるとは聞いたが……何て事だ……」

「スラムよりも酷え……ゴジラでも通ったのか?」


 前世は商業ビルであろう瓦礫の山を見上げて言った。柱もろとも崩壊しているようだが、爆発や火災の跡は見られない。


 幸いか、昔から災害対策がなされてきた街は火事などの被害は無いらしい。景観に配慮した地中電線も功を成しているようだ。


 爆発音どころか銃声も全く聞こえない。


「うおっ?!」


 静寂にラテン黒人の甲高い奇声が響いた。誰だって顔に水流が吹き掛けられれば驚くだろう。


 大袈裟に十メートルも飛び退くが、警戒はすぐ消えた。


 水源は爆撃があったと思われるアスファルトのクレーター。中では噴水を出す亀裂の入ったビニルパイプが地上に晒されている。


「ここはインフラの老朽化も深刻みたいだな……」

「こんな酷えの俺も初めてだ」

「……そういえばブラジルはインフラは大丈夫なのか? 向こうも貧困が未だ残ってるそうだが」

「五十年以上前から政府の代わりをギャングが担ってきたのは知ってるだろ? その末裔が今もバリバリ働いてくれてる。武器密輸をやっている事以外は良い連中だ。“俺ら”の武器もそこ原産かもよ?」

「言い方をもう少しだな、所属や歴史に関わらず……」


 会話は建築物解体現場のような轟音で中断された。


 斜め前、五階あるオフィスの壁面が突然コンクリートの破片を周囲に撒き散らす。中心部には消防車の放水の如き水流。


 激流は届かなかったが、壁から出てきたものを見て二人は豹変した。


「レックス!」


 苦しそうに咳をする馴染みの青年は答えてくれず、辺りを見回して何かに怯えているようにも見えた。


「……ゲホッ!……お、お前ら、離れろ!」


 訳も分からず三人は別方向に散開した直後、立っていた道路が破裂した。


 アスファルトを突き破って出てきたのは噴水の何十倍もある間欠泉。最高高度に達した水滴は何故か落ちず、地上六階の位置で水の玉が形成されていく。


 直径二メートルにまで成長した時、乱反射する水と明らかに違う異物――人型の何かが玉の中に居るのが見える。


「お前は、あの時の……」


 リカルドは歪んだ水のレンズに映る白髪混じりの茶髪に見覚えがあった。


「イエローストーンでは世話になったな。そちらのお嬢さんは初めまして」


 ケビン・リヴィングストンは丁寧にお辞儀をしてみせる。初対面のクラウディアへにんまり笑みを浮かべているのは、腰に携えたサーベルを見て“期待”したからだろう。


「お前ら……コイツは危険だ。海、街中の水道、地下水脈、全部の水を操ってる。しかもこんな有利状況でさえ真剣勝負挑もうと舐めプまでしてくる変態だ」

「ではこの辺り一帯の倒壊は……」


 クラウディアは辺りの瓦礫を見て言葉を失った。少なくとも四方キロメートルは同じ景色が続いているのだ。あえなく頷くレックスが見える。


「防御役が居ればなあ……アンジュは?」

「まだ住民救助でこっちには来れない……接近戦に持ち込めはどうだ?」

「やろうとしたが剣も普通に強いぞ奴は。やるとしても少なくとも一人奴の死角を取らなきゃ……」

「俺の能力ならワンチャンあるかな? レックス、“アレ”頼むぜ」

「数の利って訳だな、やろうぜ」


 沈黙を破ったのはリカルドだった。袖の下に隠していたナイフを二本放り投げたのだ。


 後ろ二人は左右に分かれ、視界の外へ逃れるように……


 ひび割れた舗装面から現れた水の壁が刃を立ち塞ぐ。


 しかし、ナイフは減速しなかった。


(やはりあの男の能力か)


 摩擦抵抗を極限まで低減されたナイフを前に手を上へ振る。別の噴水が刃を下から突き飛ばすが、正面から近付いてくるドレッドヘアの男を認めた。


 掌を地面に向けると青年の立つ地面が膨らみ始める。残り三メートルに達する前に、突如現れた地割れの奥底から激流が噴き出した。


 前のめりに跳ぶラテン黒人。噴水が足首から先に触れる。


 勢いを逆手に前転、踵がケビンの顔面に迫る。


 足裏は空振り、着地。


 振り抜くと、更に回転を掛けて後頭部を狙って回し蹴り――リカルドはクッションに受け止められたような違和感を覚えた。


 目の前の相手は足一個分左にスライド、自身の足は首元で掴まれ、動かせない。


 両側面十メートルから残る二人が挟む。リカルドのナイフを持つ手は投げる直前で止まり、黒い顔面には針のような剣先が寸止め。


「なあレックス、俺がもし死んだら……」

「悪いが聞こえねえ!」


 睨み合う二人は暴風に引き剥がされた。


 転がって遠ざかるラテン黒人を傍目に、大柄なイングランド人は地中から水を集める。直径二メートル、重量四トン以上まで膨れ上がった巨大な球を風だけで押し出すのは不可能に近い。


 ならば、と白銀の輝きが真っ向から迫る。


 北欧女性の持つ剣を押し流すべくターゲットは剣身に定め、ウォータージェットが足元から噴出する。


 一瞬、刃が歪な輝きを見せる。太陽光の反射なんかではない。


 水流は確かに命中した。だが、剣はそれごと裂いたように見えた。


(摩擦操作か?)


 飛び退くケビン。水しぶきを浴びた後、ウエットスーツには腹を斜めになぞった痕が見えるが、それ以上深くには達していない。


 刺突の嵐が中年男性を更に追い込むが、鞭の如く打ち付ける刃先が硬い剣の軌道を逸らすばかりで思うように連撃が利かない。


(軟らかすぎる。こんな金属があるのか?)


 どこか呆れるような感嘆を秘めている所を、三日月型に輝く針が襲う。


 後ろに剣を引いて回り込む刃先をブロック、そのまま一回転して逆薙ぎ。


 鍔元は顔の横、切っ先を受け止めた白髪の男は驚きもせずに口を開いた。


「剣は二流、使い手は一流か」

「遊ぶ気はない」

「ガードは固いようだな。まあ俺は既婚者だが」


 涼しげに笑いながら刃を滑らせて競り合う剣を逸らす。しなる穂先は首元へ──


 間一髪、上半身を引いて鼻先を嫌な風が伝い、身体を戻す勢いで剣を突く。


 頭上から斜め下に翳して逸らしたケビンは、頭上で蠢く影を認めて後ろへ。


 逃がすまいと影は銀色に煌めく物体──投げナイフを飛ばしてきた。


 しなる穂先がはナイフの身を捉え、順次斜め後方に弾き飛ばしていく。すると、斜め上の人物――リカルドがドレッドヘアを揺らして五メートル前に着地、投擲を続けながら詰め寄る。


 数撃ちゃ当たると言うが、急所を狙う刃はレイピアが捌き、腕や末端部を狙う物は噴水に流され、揺さぶり用の動かなければ当たらない投擲には見向きもしない。


 二刀流で斬り掛かろうとするが、リカルドは咄嗟に二本を交差――眉間に飛んでくる細剣を挟んで横に逸らした。


 続いてケビンの手首がスナップし、うねる剣先はこめかみへ──根本と先端付近の両方を押さえる。


 リカルドは近い方で喉を刺そうと腕を伸ばす。一方、柔軟な剣は蛇の如く固定をすり抜け、防御に間に合った。


 ならばと放った膝蹴りは靴裏に跳ね返され、歩幅が前後に大きく広がる。沈んだ黒人の頭目掛けて前蹴り。


 上半身を後方へ捻る。つま先がドレッドヘアを虚しく捉え、リカルドは地面を蹴った。


 サマーソルトキックはスウェー中の鼻先を掠める。後方へ一回転した所へケビンはローキック。


 だが当たった感触は無く、蹴りが抜ける。直後、回転方向が反転した黒人の靴裏が頭頂部にクリーンヒット。


 うつ伏せに倒れた白髪の男は揺らめく視界の中で剣を振る。が、敵はもう居ない。


 起き上がって目眩が治ると、距離二十メートル、相手だったラテン黒人が何かを投げていた。


 こちらに飛んで来ないが、鋭角状に光を反射する物体──無数のナイフが宙を漂っている。


 その後方、地上数メートル浮いている人影。あの鳥野郎か、と思う前に無数の光が慌ただしくうねる。


 圧縮空気を受けて超音速を突破したナイフ達。


 視界に広がる凶器の襲来にも中年男は動じない。


 地鳴りと共に出現した噴水が瞬く間に刃を吹き飛ばしていく。


 云えども、摩擦抵抗を極限まで低減された刃物は容易には止まらず、更に水の大樹が生えてくる。路面だけでなく周囲の廃墟の水道管からもコンクリートを突き破り、幹のないジャングルが管理軍を守らんと張り巡る。


 圧倒的な物量差の前に刃物はたちまち瓦礫の山に埋もれていく。それでも臆さず、蠢く防壁に踏み込む姿が一つあった。


 ブーツ二つが地から離れ、持ち主に襲い掛かる水流を蹴る。抵抗を極限まで引き上げた表面を足場に、流されず更に上空へ。


 ドレッドヘアが激しく揺さぶられるが、リカルドは怖じずに水の枝を踏みつけてはツタを避け、白髪の男が近付いてくる。


 水柱は更に細かくなり、最高点に達した黒人を上下左右三百六十度から囲った。


 半回転、足を上向きに、爪先は背後から迫る一本を蹴った。


 高飛び込み選手顔負けの回転軌道で、側面から挟もうとする弾幕をやり過ごす。


 正面に居る大柄な中年男性まで残り十五メートル。すると、行く手を遮るようにキラキラ乱反射する群れ──


 本能で危険を感じ取ったラテン黒人は手前を横切る水の枝を踏み台に離脱、投げナイフの置き土産を残し、水で出来た弾丸が虚空を貫いた。


 重力に逆らう雨粒の大群は投擲をあっという間にかき消した。


 掃射を避けやっと地面無い降り立ったリカルド。しかし、服に数カ所穴が破けている。


「こんな痛い水鉄砲は初めてだ」

「息子が小さい時に良くやってあげたものでな」

「それは将来有望だな。会いたくはねえが」

「安心しろ、お前達と戦うのは俺だけで十分だ」


 自信たっぷりのケビンが静かに空気中を浮く。周囲には無数のビー玉程度の水玉が主人を護るように漂っている。


 突如扇状に広がったかと思うと、水滴の大群が民家を抉り取る。接近中のレックスは辛うじて回避したが、コンクリートの家は粉塵に崩れ去る。


 死角を取った、クラウディアはポケットに手を入れた。


 取り出したのは黒い無地のタオル。放り投げると、タオルは一辺一メートルの正方形に開き、風呂敷と呼ぶ方が相応しいだろう。


 生地は非常に薄いが、光は通さず、前傾して走るクラウディアを正面からスッポリ隠す。気付いた無数の水の弾丸がタオル目掛けて一斉射撃。


 乾いた音が無数──タオルは雨あられを阻み、厚さ一ミリ程度しか無い布地が凹む。


 だが布は何故か超音速の礫を受けても引き裂かれず、水滴は飛沫となって消える。


(硬化か。結合力を操っているのか?)


 急いでケビンは纏わりつく水弾を指先に集中させ、直径五十センチメートルの砲弾が轟いた。


 水の塊はタオルを視界から消し飛ばしたが、肝心の女性剣士の姿はどこにもない。


「余所見すんじゃねえ!」


 振り向くと、真横から飛来してくる短剣──ガードを掲げると甲高い音と共に後ずさる。


 全身に纏う水の鎧は主を空中に静止させると、追撃してくる男へ向かって加速。


 雄叫びを上げるレックス。相対速度マッハ四にして双方は激突した。


 衝撃波と空気塊に弾け飛ばされた飛沫が空を覆う。その中心から砲弾のように飛び出す青年の姿が……


 今度は一点に凝縮したウォータージェットを放つ。


 青年は歯を食いしばった。水の槍は一寸先。


 “そこまでだった”。レックスを貫くほんの少し手前で水流は斜め後方に跳ね上がった。


 高圧空気の鎧を信じて青年は突き進む。焦るケビンは両手を瞬時に突き出す。


 轟音──前方から半球状に押し潰そうと鎧もろとも囲む。突進は止まった。


 押せば押す程鎧は固くなる。密度の圧倒的な差で勝負を決めたいが……


 ケビンは集中のあまり他の対戦相手を忘れていた。空気の殻が円錐に変形する。


 競り合っていた青年は遠ざかっていく。何故か──問いはサプライズに塗り替えられた。


 レックスの背後から現れたのは銀のロングヘアを後方にたなびかせる女性。


 高圧の追い風を味方につけたクラウディアは腕を伸ばし、刃先が水の壁を切り裂いた。


 少しでも遠く──扇を描く白銀の煌めきが首筋を撫でた。


 不味い──首を手で覆い、逃げるように後ろへ飛びずさるケビン。


 安堵にクラウディアの動きが止まる。男二人も駆け寄り、労りの台詞を掛け合った。


「良い腕だ。並みの者ならこれで勝負がついたろうな」


 余裕が含まれる言い方に三人はギクリと振り向いた。


 首の横に広がる傷口は赤く鮮やかに染まっているが、鮮血を一滴たりとも溢すことはない。


(血液まで操れんのか。クソッタレめ……)

「水を切れるとでも思ったか?」


 黒髪の青年は息が上がっている。白髪混じりの敵は鼻で嘲笑した。


「急所ごとぶった斬らなきゃ駄目か」手元の投げナイフを物寂しく見詰めたリカルド「二人とも今のもう一度出来ねえか?」

「めっちゃ疲れるぜあれ」


 レックスの隣では細剣を構える銀髪の女性が深呼吸。


「落ち着けレックス、私達もついている」

「ああ。俺も奥の手を使う」


 クラウディアに倣って、息を深く、詰まったものを吐く。目を瞑ると、プレートに覆われたリュックサックが開き、格子状の隙間が見えた。


「そっちが水鉄砲ならこっちは紙吹雪だ」


 口角は上方向に歪んでいるが、敵を警戒する目だけは笑わず、敵の眼をじっと見据えた。

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