8 : Congestion

『あんた! 避けろ!』


 レオノフはスピーカーを通したノイズ混じりの警告に従って、左へステップを踏んだ。


 超越者の目には、右一メートルの距離を先端が尖った金属杭が通過するのをスローモーションの如く捉えていた。


 音速の七倍に匹敵する徹甲弾だろう。見えるから良いものの直撃していればトランセンド・マンでも致命傷は避けられない。


 穂先を失った棒にクナイを付ける。衝撃波に髪とジャケットが揺れ、生死を彷徨ったロシア系青年の指が五十メートル離れた砲塔と向き合う。


 重戦車の装填速度は排煙を考慮して最低六秒。連射はこちらが利くが、徹甲弾をも防ぐ事を前提とした防壁相手には「貫通」でも骨が折れそうだ。


 しかし、エネリオン放出には“溜め”が利く。体表から吸い取ったエネリオンは脳神経を巡り、拳銃を模した人差し指へ集約――二秒。


 標的は決まっている。弾薬が詰まった砲塔を撃ち抜く直線を頭に描くのだ。後は放出すれば……


 レオノフの意思は側頭部に刺さる痛みに妨げられた。


 肩から着陸すると首を傾ければ、斜め上から瞳を刺さんとする剣先。


 転がって避け、槍を構えてスペースを確保する。対する相手はミドルソードの二刀流。


 こっち来るんじゃねえ!――長い刺突は交差した二本の刃が身体の横で受け止めていた。


 引いて再び出すレオノフだが、片手剣で斜め下に逸らしながらもう片手で突進する敵の姿。


 バックステップで避けるが間合いは依然不利――二本の連撃を前に槍の中間を持って防御へ。


 斜めの斬撃に振り払いで跳ね返し、上下左右は槍の中央で受ける。腹に一直線に伸びる刃先を捉え、柄で外に逸らした。


 一回転――薙ぎ払いが敵の脇腹目掛けて弧を描く、が途中で止まる手応え。


 前足の膝で柄を阻んでいた敵は急に離れる。槍の力積を受けたにしても速い。


 明らかに撤退する動きだ――疑問を白い光が全て覆った。


 目眩と耳鳴りは失神するレベルではないが、鼻先の爆竹に驚かない者など居ない。


 瞬きすると先端が潰れた細長い金属の筒――タングステン徹甲弾が足元に転がっていた。


「あっぶな! すまねえフレッド」

「集中し過ぎだ。戦車は僕が引き受けよう」


 後ろから現れた黒髪の男に礼を言い、先程の逃亡者を追跡する。


 フレッド・ダニエルズ、二十八歳。肌色素は同じ背丈のレオノフより若干薄い。鼻梁がやや細いのはアジア系のルーツを持っているからか。


 睨んでいる戦車の後方、前線を押し戻そうと座席の無い大型バイク――自律二輪軽戦闘車がモーターを微かに軋ませながら追い抜く。側面に付いた箱型ミサイルキャリアがカパッと、多数の火球が一気に迫る。


 歪な流星群は敵弾幕に命がけな兵士達の十メートル手前で全て寿命を終えた。


 今度は掌を差し向ける男に向かって機銃掃射、敵兵達のアサルトライフルも加勢した。


 幾ら撃とうが倒れる気配は無い。だが、変化は起きた。


 兵士の一人が短い悲鳴と共にその場に倒れ込んだ。隣の兵士が起こそうとするも、腹に空いた穴から鮮やかな血が湧き出ている。


 それをきっかけに連鎖は始まった。管理軍側が撃ち返そうと弾丸を吐く度味方は倒れていく。


 諦めず誰かがグレネードを射出する。すると、疑問が解けた。


 爆薬入りの缶は敵に当たるまでの半分の距離でバウンドするように折り返したのだ……知った所で自身に降り掛かる破片の雨の前に為す術も無いが。


 歩兵とは占領の象徴である。戦車には破壊は出来ても旗を立てる事は出来ない。


 攻撃を跳ね返す防壁の前に、急速な管理軍兵達の退却は前線の動きそのものを意味する。


 戦車内からモニター越しに観る射手も顔を中心に、十字の照準線を合わせて見据える。高速、大質量、高エネルギーの貫徹弾ならば壁を破れるかもしれない……


 ふと、砲手は見据える先に違和感を覚えた。


 標的の顔が明確にこちらを睨みつけている。望遠ビューでは切れ長の黒目が正面から真っ直ぐ見詰めているように見えた。


 目は神経の末端部でありながら脳とほぼ直接的に繋がっており、伝達が非常に速い。トランセンド・マンにとって運動神経の自由度が低い事を除けば、理論的にはエネリオン放出に最適な器官である。


 射手は引き金を引いた――生半可な攻撃など核の爆風さえも耐える装甲が防いでくれると信じて。


 人差し指が抵抗を押し切った瞬間、信仰は驚愕に変わった。


 予期せぬ圧力に砲身が軋み、爆風は弾薬庫へ逆行——最も脆い砲身中央部の排煙機が火を噴いた。


 攻撃手段を失った五十トンの金属の塊は兵士達と足並みを揃えて、履帯の足音だけ一丁前に逃げ出した。


「矛と盾が揃ったな」


 やんちゃなハスキーボイス。隣にはいつの間にかレオノフが戻ってきた。


 尚、彼と敵対していた二刀流の人物も依然と正面から睨むのだが。


「感動の再会は済んだ? 矛盾コンビ」


 スラヴ青年の反対側から低いが気高く通る女性の声が加わった。


 パーマの掛かったボリューミーな金髪を後ろに束ねているが、ウェーブヘアは首の左右からはみ出ている。鼻筋は白人基準ではやや低く、丸っこい紫の目は成熟し切っていないようにも見えるが、顔の輪郭や真剣な眼差しからは子供っぽさは一切感じない。


 昨日からダイアモンドヘッドを制圧しオアフ島奪還に貢献してきたオーストラリア空挺部隊の一員でもある。


「褒めてるのか馬鹿にしてんのか分からん言い方だな」

「ならうちが鎧になろうか?」

「それ盾有利じゃねえか」

「くよくよすんな。盾でも鎧でも殴れば良い」

「もはや俺要らねえだろそれ」

「どうでもいいから矛と鎧で二刀流の奴やってくれ! こっちは忙しいんだ!」


 一番穏健な青年が癇癪を起こした。フレッドが伸ばす両手は着実に自陣を押し広げる味方達にエールを送るようだった。


 取り残されていた男女は自分たちに向かってくる銀色の輝きを見てようやく緊張を取り戻した。


「モリーナ、受け取れ!」


 レオノフが走り込みざまに何かを女性に向かって放る。キャッチしたのはクナイだった。


 ロシア青年も同じ物を右手に、逆薙ぎを逆手持ちでガード。リーチの長い槍を使わないのは同士討ちを避けるためか。


 もう一本同じ方向から薙ぎ払いを見たレオノフは跪いて回避、ナイフで脛を刈ろうと一振りした。


 膝を抱えて避ける敵だが、ロシア人を跳び箱変わりに側転するモリーナが放つサイドキックからは避けられなかった。


 反乱軍の男女のクナイ一対がミドルソードの防御を打ち鳴らしつつ、コンクリートのフィールドを存分に蹴る。


 右から男性の斜め振り下ろしを右の剣で逸らし、もう片方で首を切り落とそうと狙う。


 上半身だけを引いて避けたレオノフ──その後ろから殺意剥き出しの女性が勢い良く迫ってくる。


 刺突を左剣で内側へいなすが、反動で放たれる後ろ肘打ちが顔面を逃さない。


 顔の痛みに怯んだ所へモリーナは肉迫、額目掛けて刃を下ろす。


 顔の上に掲げた剣が阻み、腕を切り落とそうと右手側が薙いだ。


 刃が触れる寸前、女性の左手が手首を掴み止める。直後、右肘が関節を殴った。


 痛みに獲物を手放すのが見え、モリーナはナイフを逆薙ぎ。だが、腕は途中で奥側へと引っ張られる。


 息が詰まった──膝蹴りを下腹部に刺して怯ませた襲撃者は後続のロシア人に押し飛ばす。


 味方を跳び越えたレオノフ、地上三メートルから掌を下し、見えざるビームが敵の首を“仮想上で串刺しにした”。


 咄嗟に上体を斜め下へ――直後、後ろの滑走路に真円の穴が綺麗に空く。底は見えない。


 勢い余って前転しつつ近距離へ、対する東欧青年は降下と共に展開した伸縮式の槍を振り降ろす。ガコン! と廃車解体工場のような破砕音。


 襲撃者が頭上に掲げた片手剣は柄を残して瓦礫と化した。しかし、槍の軌道も反動でやや横に逸れる。


 黒手袋が中腹を掴む。レオノフは蹴りで応戦するが膝ガードに阻まれ武器の奪い合いは終わらない。


 モリーナも加わるが、味方への巻き添えへの恐れがブレーキを果たして思うように振れず、槍にも阻まれる。


 やむを得ず一時離脱、手中のクナイを投げる。


 直後、ナイフは首元に刺さる直前で黒い手が柄から止めていた。レオノフの槍を放し、踏み込み。


 水平への跳躍で避けようとするロシア系青年だが、向こうが速い。引き戻した槍の真ん中で近距離の連撃を退けようとするが、とうとう前髪を十数本切り取られる。


「うちを忘れてもらっちゃ困るよ!」


 真横から金髪女性のタックルが決まる。塊となって二人は滑走路を転がり、横たわったまま二人の両手が絡み合ったナイフの押し付け合いが始まった。


 力では男に分がある。どうにか流れを変えようと様々な方向から押し引きするが向こう優勢は覆らない。


 管理軍の人物は膝立ちになると重力も味方に付けて圧し込む。柔軟な足で仰向けから蹴ってみても質量が乗らず状況は変わらず、刃先が心臓に近付く。


 先端が女性的な膨らみに沿った胸当てに触れた瞬間、モリーナの紫の瞳孔が開いた。


 彼女を包む歪な輝き――トドメを刺す寸前の人物は何故自分が宙を舞っていたのか分からなかった。


 バンジージャンプの如く斜め上に吹き飛んだ襲撃者は背中から滑走路に不時着し、体勢を立て直すも背中に手を当て、眉間に皺を寄せているのが見える。


 武器は何処かへ飛んでいったらしいが、動脈へのダメージを最小限にしようと手の甲側をこちらに、逃げるつもりは無いらしい。応えるように二人が追い詰め始めようと男の左右四十五度から構えた。


 その時、眩い光の束が二人の四十五度斜め上で“止まって”いた。


 頭上三メートル、第二の太陽の如く球体が超越者達の網膜を焼き付ける。三人は例外なく仰け反った。


 レーザーは細いが、出力のあまり軌跡までもが空気分子に反射して光り輝いている。


 照明灯はようやく消えた。一方で敵の後ろ、光球から何者かが産まれるように現れた。


 中肉中背、ツンツンした銀髪にシュッと尖った碧眼が笑みを浮かべていた。


「下がれ、もう帰ってろ」


 幼さが残る声だった。ワクワクするとばかりに楽しさが伺い見える。黒装束の敵は青年の背後に走り去っていった。


 振り向けば、息切れしているフレッド。その伸ばす両手は震えていた。


「二人とも、この男危険だ。三人で掛からねばとても敵いそうにない……」

「……ボスバトルって訳か。ありゃレーザーか?」

「太陽光を集めているんだろう。屈折の処理に時間が掛かっているから助かった……」


 緊張感溢れる呼び掛けに槍を用意したレオノフ。


「勝算はあるの?」

「さあね……皆が加わってくれるまで時間稼ぎだな」

「一番苦手だ。弱点ねえか試してみるぜ。ナイフ使うか?」

「自分のある」モリーナがインナーの上に被さる籠手を打ち鳴らした。


「それトレバーさん使ってる奴?」

「そ、ナガタさんに特注したの」

「いいなあオーダーメイド」

「修繕大変よ、使い捨ての方が楽」

「こっちは穂先だけかさばって仕方ねえんだよ。半分持っててくれるか?」


 目線は標的を見据えたまま軽口。じゃれ合う様子を眺めている銀髪の青年はニンマリ笑った。


「アイテム補充とセーブは済んだか? それともまだレベリングするのか?」

「舐めやがって……お前のレーザーと俺の槍、どっちが貫けるか勝負だ!」


 曇りから晴れがかった空港は瞬く間に、グラウンド照明の如き光の束と膨大な見えざる素粒子に包まれた。






 同時刻、オアフ島、エワ森林のどこか。


「カイル、あたし達こんな遠くからで良いの?」


 呼ばれた金髪の小柄な青年は濡れてドロドロの腐葉土に難なくうつ伏せになりながら、覗き込むライフルの引き金を時折引っ張っている。


 生い茂るシダや木の枝が射界を塞ぐ以外は南西に真珠湾を見下ろせ、“砲撃”には絶好のポイントだ。


「正攻法で駄目な時の道を用意するんだ。僕も電波妨害の無力化を先にしたいし」

「と言ってガンガン攻撃してんじゃん」


 呆れたように言う赤いボブヘアーの女性、イザベルは半分雲に覆われた空を見上げている。


「それが、あの膨大なエネリオンを制御する人物が動き始めた」

「……あたしも感じるよ。ホントに一人のトランセンド・マンに出せるエネルギー量なのあれ?」


 スナイパーに徹する金髪の後ろ姿は沈黙した。気まずそうに自身の作業を再開する女性だが、少し反省しようとしたのか今度はカイルが話を振る。


「そっちは何か見つかった?」

「ううん、まだ分かんない。地上二キロメートル探し回って何で何も見つかんないの」

「まあまあ怒らないで。焦ると見落としてしまうよ……といっても僕も全然だけど……」


 なだめようとする青年だが、遮るようにイザベルは腕を広げ一杯の伸びをした。


「だあーーーーーっ! もう飽きたぁ! ねえ、あたしの熱探知をカイルが使うか、カイルの処理能力をあたしによこす事とか出来ないの?」

「まだ二十分も経ってないのに……そんな器用な事は流石に無理があるよ。もしやろうとしたら全身の神経構造を一通り網羅した上で人工ニューロンで回路を作って……」


 そうじゃない、と不満がイザベルの顔に書いてあるが、気付かず青年のくどい話は続く。


 何か暇つぶし出来ないか、そう思って周囲に気を散らし始めたその時、


「あっ、カイル、上」

「ん?」

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