5 : Viscosity

 反乱軍艦隊は管理軍の妨害を退け、思惑通り順調に海原を駆け抜けてくること、九時五十八分。


 先頭のミサイル艦はいち早く以上を察知し、艦橋は慌ただしさを取り戻した。


「海中に近接する物体があります! 時速二百七十メートル!」

「魚雷か?」

『いえ、トランセンド・マンです。二十人がこちらに泳いで来てます』

「これが本当の人間魚雷ってか。太平洋戦争の日本じゃあるまいし」


 音響レーダーは水中の音速が空気中の四倍以上もある故に成せる技術だ。報告を穏やかな白人青年が補足し、ミサイル艦側面の柵に腕を置く黒人の男が呟いた。


『でもエネリオンの活性量は標準よりも少ないですね』

「『予備軍』だな。恐らく水中戦闘だけに特化しているんだろう。油断するな」


 そう言ってクラウディアは自慢の長い銀髪を纏め、後頭部にアップで結び、ストレッチを始めた。腕を頭上に伸ばすと胸の膨らみが引き延ばされるにも関わらず、豊満な弾力の塊二つは形を崩さない。


 予備軍とは限定的な条件で標準的なトランセンド・マンかそれ以上の能力を発揮する。ここに泳ぎ着いたのはほぼ確実に水中戦に特化した者達と断定して間違い無いだろう。


 艦の波打ち際で沸き立つ荒潮に二人の手足首まで覆うウエットスーツが濡れる。


「泳ぐ前に準備運動したか?」

「私は朝六時から準備していたぞ。何処かの寝ぼすけと違ってな」


 ドレッドヘアの黒人の軽口にカウンターを合わせ、クラウディアは剣をベルトから抜き、颯爽と飛び込む。


 置いてくなと急いで続くリカルドは全身を叩き付ける冷たい海水で身を引き締める。試験管程の大きさのボンベが付いた簡易酸素マスクを咥え、目の前の光景を二度見した。


 天から差す灰の光は鈍く、底はほぼ見えない。前方向百八十度に複数の人影が泳いで近付いてくる。


 数えること二十人、全員ウエットスーツにフルフェイスのヘルメット、空気ボンベが一体化したアクアラングを羽織った完全ダイビング装備──少しは楽しめそうだ。黒人青年の両手はベルトからナイフを二本引き抜いた。


 幾ら超人といえども、空気の八百倍以上の比重を持つ水の抵抗は無視出来ない。泳ぎ方によるが、最大で秒速七十メートル、地上の五分の一程の機動力しか無い。エネリオンを使用する銃弾も水の壁に阻まれて殆どのエネルギーは水面で熱に変わる。


 しかし、これらの制限は時に逆手に取れる。その時の土俵と各々の固有能力で実力は覆る。


 クラウディアの「結合力制御」は水分子同士や自身と水分子との結合、つまり表面張力のコントロールで、水の抵抗をかき消し、リカルドは「摩擦操作」によって青年に触れ反対のベクトルに抗わんとする水分子を逸らす。


 進行を妨げる水流を和らげ、手足で掻く水の抵抗を増幅。地に足着ける速力には及ばないが、超越者のなり損ないに優位を取るには十分だった。


 左手をスナップ――ダーツさながら直進する刃を見て延直線上の二人が左右に別れる。


 視線を全体に戻すと下深く潜りこちらに昇ってくるのが一人。右のナイフを逆手持ちし、足を上に向け、キック。


 浮力を味方に付けた敵は先端に返しが付いた身長程の槍、いや、一又の銛の先端が天井に真っ直ぐ。


 リカルドが下向きに腕を払う。ナイフは柄を滑り、一気に敵に肉薄。


 腕を一振り、首筋から暗鈍な液体が海水に滲み出るのを確認して両足で蹴飛ばす。反動で海面が近付く先、別の一人が阻んだ。


 慌てて殺意溢れる銛の連続をナイフで左右に捌く。当たらない、とダイビングスーツの人物のブーツが水を一蹴、銛の柄で直接殴り掛かる。


 ここだ――黒人の周囲が一瞬、歪に輝く“感覚”がした。


 両腕が棒をガードすると、リカルドは宇宙飛行士の如く水平に勢い良く打ち出され、更に水を蹴って加速。


 高速魚雷並みの速力を持った南米人が目指す方向には別の敵。鋭い先端が頬の横を過ぎ、同時に右手で水平斬り。


 柔らかくも分厚い物体を確かに通った手応え。振り向き、ナイフを投げると激しくモノクロの鮮血を噴き出す人影の背中に刺さった。


 入れ替わるように他の二人が瀕死の人物の奥から出現。銛の穂先は後手が伸ばしては戻しを連発するが、前手に隠れて見えにくい筈の軌道を、黒人のナイフ二刀流は捌き切っていた。


 片方の敵は首元に切り傷があるが、スーツの止血機能故か滲み出る赤黒い液体は見られない。


 だがやる事は変わらない。ラテン黒人は後ろ目に急接近する影を捉え、右前からの刺突に対して柄を外払い蹴り。


 反動で左方向にスライドしつつ、両手のナイフを交差──先端を挟み、右後方側にいなす。そして手応え。


 斜め後ろで腹を貫かれた瀕死の怪我人をちら見し、どす黒い血の海の奥から別のウエットスーツが現れた。


 自信があるのか銛では分が悪いと思ったのか、右手に刃渡り二十センチメートルのナイフを握っている。


 リカルドへ刃一つで猛攻を掛けるものの、二本のラッシュには劣る。あっという間に形成を覆した黒人は予備軍を弄び、今度はナイフを逆手に構えた。


 左こめかみを狙うフック気味の刃――ラテン黒人は左足を上げ、踝で上腕もろとも蹴り返した。


 一回転、反撃にリカルドが左ナイフ突き。予備軍は手首を掴み止める、が、手首に鋭い痛み。


 手首の切り傷から溢れ出る黒ずんだ血が気性の荒い太平洋にかき混ぜられる。致命傷には程遠いが、小手先で引っ掻くナイフの連続は管理軍の戦士を徐々に蝕んでいく。


 黒人の後方百八十度から三人が加勢しようと泳ぎ詰めるが、ナイフ二本が突如飛来してくる。避けようと右側二人の動きが止まり、左の一人はそのまま短剣を振った。


 左手で掴み止めて左脚を絡め、敵の腕が悲鳴を上げる。極めた所へ同じ足で首蹴り。怯んだ所へもう片足で前蹴り。


 相手は思わず痛みに武器を手放し、リカルドはそれをキャッチ。今まで相手をしていた奴の横薙ぎを屈んで躱し、刃が左胸に深く沈み込んだ。


 体勢を低くしたまま頭突き――真後ろで銛を一直線伸ばす予備軍の腹にめり込み、動きが止まる。重力に逆らって浮き上がりながら槍を奪い、離脱した。


 三つの多量出血死者が海流に揉まれ後方へ消えていく。海面に登り詰める反乱軍を追って四人のウェットスーツ姿が浮上する。


「クラウディア、今こっちは三人倒した」

「私は四人目だぞ」

「なっ?!」


 自慢げな大の大人の精神年齢は瞬間的に下がるが、負けん気に意識を戦場に戻した。


 灰色の海域を見渡すと、没個性的な人のフォルムが四つ、くすんだ赤褐色の液体が周囲に漂っている。その奥で二本の槍と剣劇を繰り広げる女性。


 一方の先端をサーベルで外に弾き、反動でもう一方の人物を引っ掻くように振る。


 剣で斜め下に逸らし、スピン。左後ろ肘がヘルメットを砕いた。


 空気漏れをどうにかしようともがく人物はもれなく西洋剣の餌食──クラウディアは串刺しを振り抜き、横から襲うもう一人にぶつけて足止め。


 一難去ってまた一難、今度は上下挟んで刺突の連続が迫る。身体の向きを斜めに、交互に銛先を刃で逸らして同士討ちを試みるが予備軍達は慎重なようですぐ引き戻す。


 不意にクラウディアが防いだ槍の柄を持ち、引き寄せながら粘土を高めた海水を蹴って回り込む。上方の降下突きは女性が操る棒に阻まれた。


 背後から他の三体が襲い来るのを確認したクラウディアは敵の背中を突き刺し、力一杯泳いで脱力した敵を盾に逃げる。正前を見直すと、思い切って味方もろとも刺そうとする槍が見えた。


 弱った人物から長い物体をひったくる。柄に迫る矛先は横に流され、北欧女性はお返しに足元へ薙ぎ払い。


 浮上で距離を取る敵が見えると、白人女性は百八十度回転、勢い付いて背中を刺さんとする管理軍の突撃を叩き潰しもう一回転、体勢が崩れた所へ右手に持つ剣でトドメ。


 引き抜きながら左手で肩を総動員して海面に向かって槍を放り上げる。鉛直線上の沈み来る予備軍はたちまち串刺しと化し、逃げ道を開拓したクラウディアは浮上。


 すれ違う時瀕死の奴から得物を奪うと今度は果てしなく広がる暗黒空間目掛けて投擲するがミス。追い付くダイバーにクラウディアは剣を構え直した、その時だった。


 どこからともなく飛来してきたナイフに側頭部を刺され、クラウディアの元に泳ぎ着く前に海の藻屑同然となった。


「すまん、助かった」

「助けて欲しいのはこっちだ。まだ八人残ってるぜ」

「泣き言言うんじゃない……多数相手は安全地帯を見極めろ」

「簡単だねえ。ツイスターゲームは得意だった」


 灰色一色のパノマラビューを一瞥。八方位それぞれ一人ずつ反乱軍二人を取り囲んでいる。黒人と白人のバディは背中を預け合った。


 距離十メートル。リカルドが手中の物体を水平に放る。


 僅かな光が反射し、鈍い輝き三つ――円盤状に回転する投げナイフを正面の三人が上下に避けた。


 それを皮切りにクラウディア側の五人が一斉に逼迫。女性が向かうは真正面の一体。


 銛と剣が拮抗、くすんだ金属音が海に消える。途端、左右九十度から次なる襲撃。


 次の瞬間、海藻の如く揺らぐ銀のアップヘアの後方から二筋の微かなフラッシュ──二名が槍をかざす。


 直後、鈍い音と共に投げナイフが棒に弾かれ、果てしない奥底に消える。予備軍達は女性から一メートル強の座標に止まっていた。


 クラウディアは左へサイドキック、リカルドは海を蹴って助走を付け、右側へ回し蹴り、吹き飛ぶ。


 西洋剣が競り合う槍を右に逸らし、体勢が崩れたヘルメット姿の喉に短い刃が沈んだ。見回すと、斜め四十五度四方から四人のダイバーが……


 刺された人物を左前に投げ飛ばす二人、予備軍一人の動きが止まる。ドレッドヘアがうねるように沈み、屈んで右後方を下段横蹴り、もう一人の銛の突撃に対して胸に後ろ蹴り、邁進を阻止する。


 一方、右前の一人の槍に対し、斜に構えた細剣が女性の正中線から外す。バランスを崩し前のめりになった所へ左手を添え、重力の方向に押すと深い暗黒に流されていく。


 次は左前。剣で下から刺突を引くよう時計回りにいなし、体軸の反動でがら空きの首元に掌底。


 後方に目をやると、リカルドが斜め後ろ二人の頭を蹴ってターン。後退したダイバーに詰め寄り、ナイフ二本の乱舞を叩き込む。


 棒を揺さぶって必死に抵抗し、別の二人が加勢する。すると、ラテン黒人は淀んだ海を足場に跳躍――三人の周囲に粘度を高めた足場を作り、ピンボールの如く球体を跳ね回る。袋小路に予備軍達は防御が精一杯だった。


 頭上から舞い降りる反乱軍に対空迎撃――矛先がすれ違うドレッドヘアの影をすり抜けたが最後、首の後ろに何かが突き立つ感覚……


 交代──クラウディアは百八十度方角を変え、仰け反っている左方の胴へ横薙ぎ。


 ゴッ、と槍の腹が受け止め、今度は右方が得物を天に、穂先を豪快に振り下ろす。


 しかし、脳天からかち割ろうとする槍は突如減速した。握る予備軍は柄の中央に手を近付けるが、泥にでも浸かったように武器が動かない。


 結合を強固にされた水分子に四苦八苦する間もなく、ダイバースーツの左胸を細い刃が貫いた。


 見回す。前、右、左、下に一人ずつ――浮力を借りて上昇を選択。死体から銛を奪い去る。


 レイピアを腰に戻し、方向を変えた奴らの先頭一人と距離三メートルで対峙。重力と共に頭上目掛けて銛を真っ直ぐ下す。


 両手で柄を掴んで横に逸らす相手。諦めず何度も刺突を繰り出すクラウディアと紙一重で防ぐ競り合いの隙に残り三人が横へ。


 カキン――一人が銛で一筋の煌めきを弾いた。見ると、先端には複数に枝分かれした釣り針状の金属製物体が引っ掛かっている。しかもワイヤー付き。


 直後、両腕を引っ張られる感覚――糸の伸びる方向、ドレッドヘアの黒人が槍を片手に、既に距離二メートル……


 一人を串刺しにしたリカルドは引き抜き、赤黒い煙幕が海を染める。向かって残り二人が暗闇に消えた敵を追って突入。


 影を一突き、だが手応えは無い。直後、痛みは下から這い上がってきた。


 クラウディアが底の方から片方の腹を刺しており、遅れてもう片方が標的を変更。迷った瞬間、上からヘルメットもろとも叩き付けるナイフが意識を闇底に落とす。


 赤い霧が晴れると、正面三メートルに対峙するダイバーが二人。周囲に浮いた十八体の仲間の亡骸を見て怖気づいたのか、バイザーが睨んだまま静止。


 ボコッ!――突如、直線状に生じた気泡が歩の進まない二人を“貫いた”。


『止めてくれてあんがとよ』

「最初っからそれやってくれ」

『この距離から水をこんだけ“貫通”させるんにどんだけチャージ要ると思ってんだ』

「現場を舐めんじゃねえ。まあ、助かった事には変わりねえがな」


 巻き舌気味のロシア訛りがある青年、レオノフが電波に乗る。罵り合いをしながらも最終的にリカルドは礼を述べたのだった。


『ありがとうクラウディア、リカルド。怪我は無い?』

「丁度良い準備運動にはなったかな。お前の入れるコーヒーくらいには目が覚めたぜ」

「私達はこのまま空挺部隊に加わる。気を抜かず作戦は進めるぞ」


 ハンの心配を跳ね除けた二人は荒波がうねり立つ海面を突破すると、初夏のハワイの曇り空が依然空気を淀ませている。見渡しても、高波と雨雲が全てを遮っているのみ。


 艦隊が作り出したであろう、既に先を越した巨大な泡の軌跡に向かって、二人は海面を走り始めた。

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