4 : Lonely
空など自由には程遠い。地球史上最大の翼竜プテラノドンさえ体重二十キログラムという上限、翼開長八メートルもの下限を設けなければ飛べないのだ。
しかし空気の八百倍の密度を持つ水中では、生物の肉体の大部分が水で構成されている以上、限りなく自重を大きく出来る。シロナガスクジラの成体は体重百五十トンにも及ぶ。
まずこの決定的な自由度がレックス・フィッシュバーンの背負うハンデだ。気体の圧縮と高速化である程度は補えるが、分子間結合力が極端に弱く拡散性のある気体が液体に勝てる訳ではない。
空気の壁で消防車の如き放水を逸らす。直撃は免れたが、重量感がガツンと残る。自身の手足のように操るものが大きく弾かれた事は精神的に参ってしまう。
(遠距離の撃ち合いじゃやっぱ無理か、かといって近距離であれ相手に剣が通るとは思えんし……)
水弾の掃射に対して青年は空気噴射だけで浮いた身体を音速で振り回し、回避。心臓を狙う水の槍を、上半身を右前に屈めてかわす。
手を握る──ケビンの後方、景色が近付く。
レンズ効果を生むほど圧縮された空気は青年を周りの空間を歪め、高圧による熱が陽炎を生む。瞬間、ラテン青年の姿が消えた。
中年男性は背中に手を回し、直後、腕を振り上げた――ガァン!
ケビンの目の前では、レックスが下す短剣のチョップを、細い両刃の剣が支えていた。
刃の長さは九十センチメートル。刃は人の指程の太さしかなく、一撃を受けて大きく湾曲している。手元は簡素なナックルガードが付いているだけ。
しかし折れる気配は無く、ケビンは柄を握る手首を捻る。拮抗をいとも簡単に外した剣先は黒髪男の腹部へ――
鞭のような軌道に青年はもう片手を横に薙ぎ、払って一回転、裏拳気味の横打ち。
剣に対し上半身を後ろに傾けるだけで当たらず、ケビンがカウンター突き。レックスは片剣で斜め下に逸らしつつもう一本を下ろす。
次の瞬間、レックスは自分の手があらぬ方向に飛んでいくのを感じた。
頭頂部を狙った剣は突然出現した水の弾が広い側面を押している。視線を戻すと、ガードをヌルリと曲がった細い物体……
逆噴射――風圧を浴びせ、強制離脱する。肌に直接当たらなかったが、ジャケットの肩部分に切れ込みが走っている。
安全を確保したレックスは二本の剣を交差させるように構えた。
(あんな細さじゃあ空気弾で逸らしも出来ねえし、防御を押し込んでも曲がって手応えが無え……)
片刃で刃渡り六十センチメートル。変形はせず、グリップには四角い鍔有り。
「近付けば勝てるとでも思ったか?」
「まあな。にしてもヒョロヒョロした武器だな。お前の魂もそんななのか?」
「人生柔らかく生きたい。ガチガチに固めても良い事は無い」
「その性根、俺が叩き直してやるぜ」
「近接か、良いだろう」
交通量ゼロの交差点に巨大な雨粒がボトンと落ちる。冠型に水は広がり、人の頭程の球体三つをケビンの周囲に残して後は道路の割れ目に消え去った。
レックスも続いて気流を足裏に軟着陸、二人の周囲をつむじ風が巻く。
「引きこもらなくて良いのか?」
「お前に学ぶ。殻など重いだけだ。シャワー程度じゃあお前を殺せなか……」
空気が破裂した。ほぼ至近距離の爆風に白髪頭がのけ反る。
刹那、ジェット気流を合わせたレックスの突きを、ひん曲がった剣先がバネの如く外側に跳ね除けていた。
もう片手を前へ――軽い、が速い手応えにいなされる。青年の目にはしなる先端が剣を叩く光景。
上手く引き戻されない感触を殺して両腕で連撃を放つ。だが、柔軟なサーベルは手元を少し捻るだけで先端を大きく揺らし、防御が乱れない。
仕方なく戦法を変更――交差して細剣を挟む。
予想外の行動に白髪混じりの男の目が見開き、引いてから伸ばす。若い方が左の刃で外に受け、右で鍔付近を押さえ込んで左手をスナップ。
ケビンを纏う水が横薙ぎを上に払い、サーベルの触れる刃先をずらすが、短剣は接触したまま追従して攻撃させない。
剣の身を滑らせて鞭打ち──左手の刃を逆手にし、止める。右から斜め振り下ろし。
ドパン!──盾のように短剣を包まんとする水の壁が炸裂した。風圧に驚きながらも身を引き、左上腕を熱い感覚が撫でる。
刃の間合いから遠のいて確認すると、黒いウエットスーツを裂いて腕を一筋の血痕が鮮やかなアクセントが作られていた。
猛攻は傷一つ付けただけでは鎮まらない。二本の襲来を三十センチメートル長い西洋剣のしなりが受け止める。
すると、空いている左手を差し出すケビン。舗装が割れる。
二筋の水流が両手の刃を包み、交差するように振り出されるそれらが減速。刃が届く前に大柄な年上側が一振り。
レックスの上体が右前に倒れるようにスライド――少し遅れて残像をサーベルが虚しく振り抜く。
後ろから一回転――反転サマーソルトの踵裏が茶白髪頭を捉え、鈍い音。
顔面から不時着したケビンの背を刺そうと剣を一直線。しかし、切先が突き刺したのは濡れたアスファルトだった。
うつ伏せのまま路面を滑る敵の姿があった。周囲には水がホバークラフトよろしく大柄な男を浮かせ、管理軍戦士を地下水を集めたのだろう。
「出てこいニート!」
罵声と共にアサルトライフルを掲げ、撃ちまくる。
台風に耐えられるように設計された筈のアパートはたちまち無数の穴を空け、粉塵の煙幕にたちまち覆われ、左掌から衝撃波――グシャリと潰れる音と同時に噴火さながら灰色の噴煙が辺り一面を包んだ。
しかし、
(居ない?)
トランセンド・マンは同族のエネリオンの吸収・変換・放出反応を察知出来るが、遠くの看板の文字を見ようと思わなければ見えないのと似たように、認識したいものや距離、方向等を意識しなければすぐには感じ取れない。
似たように思い込みの力はトランセンド・マンにも大きく及ぼす。少なくともレックスは自分の真下の道路に亀裂が走るまで、周りを見渡していた。
飛べ──圧搾空気スラスターに吹かれた体とウォータージェットがすれ違う。
敵を探すべく再び下を見ると、次々と舗装を割って無数の水柱が生え、まるで活火山の間欠泉地帯。
進行方向の逆側に噴射し、ジグザグ稲妻を描く青年は地上から斜め上に投げ上げられる水の槍が順々に通り過ぎ、霧消するのを見た。
バトルジャケットがギリギリ当たらない射線だが、冷たい霧雨が少し気になる。振り払うべく右に旋回しつつ錐もみ回転――水滴が円錐に広がる。
曲がり終えた所、真下のアスファルトがめくれていく。すかさず右手を地球へ――
レックスの頭へ直進する水流が目の前で爆ぜた。爆風に黒髪が逆立ち、攻撃の反動は彼自身を重力に逆らわせ都市部が遠ざかっていく。
水の柱達は球に姿を変え、青年の後をジワリ追うが重力に抗っては遅く、空気の壁に阻まれる。攻め手が消え安堵したレックスはアサルトライフルを構え直した。
距離四百メートル。思索を遠く、掌から力が吸い取られる感覚が二秒。
銃型のトランセンド・マン専用武器は形状が形状である為、視覚的に照準を合わせなければならないが、“彼ら”にしか見えない不可視の弾丸は。
レックスの固有能力たる気体制御はある程度の距離があっても発動可能だが、空気制御での攻撃は、座標の決定、空気圧縮、放出、と三工程の処理を決め、エネリオンを対象の空間に送信してようやく実現する。遠距離の物理現象制御を得意とした能力者の多くはこの処理時間の遅れが戦闘においてネックとなる。
レックスは空気を器用に活用して自分の体や近くの物体を操る事が得意だが、遠距離はどちらかといえば不得手だ。だから、彼が少年時代から十八番とする技能、銃を選んだ。
方角はほぼ真下、場所は……ある民家、の更に下。地下を這い回るエネリオンの塊を発見した。
水道を大の大人が通れる筈がない。考えられるのは火山が生んだ地下水脈か、災害対策用の地下貯水槽か。何にせよ、
(見えたぜ!)
引き金を引く。弾速は三千四百メートル毎秒、一発のみ。
戦車砲の徹甲弾にも匹敵する素粒子の弾丸が地面に触れた、その時だった。
背筋がゾッと震える。背後から殺意、否、エネリオン。見えずとも、束が左胸を突き刺さんと……
横向きの突風が一瞬先に青年の身体を煽る。常人であれば即失神する超音速の衝撃波はレックス・フィッシュバーンの鼓膜に届いても、未知の素粒子に耐久能力を増幅された肉体に傷一つ付ける事は出来なかった。
一拍遅れて左肩をマッハ三のウォータージェットが擦れ、やや大柄な人体が地上四分の一マイルで
止まる。射撃した標的を再び見下ろすと、人間の限界を超えた視界には道路に立つ相手――白髪混じりの茶髪の中年男性。
「良い腕だな、シモ・ヘイヘでも助っ人に連れてきたのか?」
「頭の中に飼ってる。お前こそ地中を移動しやがって、魚からミミズにクラスダウンか?」
「分解者を侮るものじゃない。地の利はそう簡単に変えられんが、俺は違う」
「待てよ、お前まさか俺が来る前にずっと穴掘ってたってのか?」
質問したレックスの顔から笑みが消え、「まあな」と返答。青年はもう笑えなかった。
何時見下ろしているあの地面から水の蔓が伸びてくるのだろうか。カマ掛けられただけなのか、それとも本当にニューヨークの地下鉄と同じように全て掘ったのか――真剣勝負に乗ってくれるあの男が嘘を平然と付けるとは思えない。実行出来る実力が奴にはある。
電波妨害が何よりも厄介だ。十メートル程度の通信しか行えない以上、誰かに地下水路を破壊して貰う事どころか警告さえ……
いや、一つだけ方法がある。
三体はカイルに預けているが、一体はレックスの感覚と一部同調して。昨晩は地球管理組織が占領する真珠湾の仮拠点の偵察を手伝い、今はカネオヘの民間人救助や潜伏兵の炙り出しに貢献している。
エネリオンの送受信は電波の影響を受けない。無人機は破壊されない限り、又はレックスの知覚から外れない限り自由だ。誰か動けるトランセンド・マンの電波通信圏内に入れば……
現在「ライトニング」は三キロメートル離れた激戦区にてアパートとアパートの間をホバリングし、その後ろに反乱軍の歩兵分隊が一つ。
(まずは彼らのアシストが先だな。それまで俺が奴を食い止めるしかねえ)
ドローン自体に機体制御や最低限の自律機能はあり、青年はパソコンの分割画面のように景色を確認しながら、前進や空気弾発射等、簡単な命令を送れば向こうで処理してくれる。
「悪い事を企んでいるようだな」
「ヤンチャしてえお年頃でね」
「どちらかが先にカードを切らすまでの辛抱か……面白い!」
水と空気、双方の玉が二人の中間で弾け、出来上がった突如霧が周りを包む。強い風が互いの髪をオールバックにたなびかせた。
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