3 : Avoidance
オアフ島北東部、八時二十五分、カネオヘ。空の殆どを覆う雲の一部が切れかかり、僅かな日光が注ぐ中、小雨が辺りに降りしきる。
比較的階の低い住宅と市場が並ぶその上を灰色の雲が被さり、熱帯性スコールが激しく大降り小降りを繰り返し、様々な軍用車両や爆薬がアスファルトに残した爪痕に浸みる。
都市の中心部、銃声があちこちから届く中、GIブーツの闊歩が濡れた歩道を踏み鳴らしている。
迷彩服とヘルメットの軍人が十人。八人はアサルトライフルを地面に向けて急ぎ足、二人は周りより一際大きな機関部と弾倉を持つ軽機関銃を抱えて走る。誰かが袖でジメジメした額を拭った。
「建物のデータは?」
「これですね」
先頭から二番目の男が一つ後ろの隊員に尋ねる。彼らの目の前には地上に二階の現在無人の警察署──といっても軍隊が警察の代替を行っている今は厳密には出張所と呼ぶ。
各隊員は腕時計型携帯端末を見た。横に広い建物の見取り図だった。ちなみにオアフ島の七十五パーセントは電子妨害されているものの、近い距離でのデータ送受信は問題無く行える。
開戦から二日が経った今でも未だ取り残された民間人が大勢居るという。初日目こそ蹂躙するような突進に押されはしたが、マリーン・コー・ベースを要塞に死守し拮抗、空輸が減少した事もあって攻めの手も減り、逆襲を始め現在に至る。
「行けぇ!!!!!」
ガラス戸が割れ落ちた建物の入り口に着き、一列となった軍人達はロビーに突っ込む。雨雲のせいで薄暗いが、小銃側面のフラッシュライトが誰も居ない室内を明確にしてくれた。
列の途中から二人掛かりで部屋のドアを蹴飛ばし、銃口で扇を描くクリアリング。だが誰も居ない。
部屋一つ一つを繰り返していったが、一階には人は居ないらしい。隊列は休む間もなく部屋を一つずつ潰していく。
「むっ? 鍵が掛かってます!」
「本当か?」
「オアフ自治軍だ! ドアから離れろ! 開けるぞ!」
体格の良い一人が体重を靴の前半分に乗せた前蹴りは、一撃で薄いドアを金具もろとも部屋の奥に押し倒した。
先頭の一人が部屋を見渡しながら隅へ──あちこちに座り込む人々が隊員左右交互に突入し、八方から敵意が無い事を確認。
合計九人、足元には署の物だと思われる非常食やアサルトライフル。常に戦争に追われた世界情勢、学校機関でも銃の取り扱いやサバイバル等は必要最低限教えられているという。
「助けに来ました」
「他に誰か居ますか?」
起き上がる市民達。半分は臆病に顔が強張っていたが、安堵の息が聞こえる。数人は軽く包帯を手足に巻いていたが、署の医薬品のストックで乗り切り、大した怪我等は無いらしい。
「ふ、二人が……上で物音がして、様子を見に行きました……」
「よし、ハモンド、フレディ、俺について来い。残りは先に逃げろ」
隊長の命令に誰一人として否定を言わなかった。一同は駆け足で廊下に出ると、一番年配の人物に、一番身長の高い男と肩幅ががっちりした黒人男の二人がフォロー、階段を登る。残りは署の出口へ一直線。
残った三人組は廊下を突っ切ると、ある部屋の前で止まった。
戸と木枠の僅かな隙間に金具が横に両者を引っかけているのが分かる。
「軍だ! 開けるぞ! ドアから離れろ!」
バタン!――何の変哲も無い扉は銃床で殴るだけで開いた。
即座に銃を持ち替えたノッポは銃口と視野を合わせ、部屋の右へダッシュ。
次は黒人が左側へ走っていき、最後の隊長は入ってすぐ、ドアの縁にステップして止まった。
「無事か?」
見ただけでは大きな外傷は無い。だが白いライトが照らす顔は青ざめ、目が点になっている。
「大変だ……敵が……」
座り込む民間人達は軍人達を見上げているが、視線が合わない。
隊長はドアの外を覗いているが、何も来ない。念の為頭と銃をひょっこり出してみても廊下には誰一人居なかった。
腰が抜けた民間人二人を起こす部下二人は部屋を見渡すが、それらしき姿は無い。地下室だから当然窓は無く、見上げると換気用ダクト……
二人の強張った目線の先が一致した。
「隊長、上です!」
「ああ、早くここを出るぞ!」
目だけを向いて返事した隊長は半分部屋から出ており、手招きをする。
フレディが後に続き、民間人を先に行かせてハモンドが部屋を眺めつつ最後尾。
ゴトッ!
「な、な、何だコイツは?!」
「隊長!」
「う……ゴッ……」
リーダーは謎の細長い物体に絡まっていた。必死にもがく上官を助けようと駆け寄ると、引き剥がそうとするが、生きているかの如く抵抗を見せ、それどころか首を絞めようと食い込んでいく。
「当たったらすみません!」
一番大柄な男が腰にしまったサバイバル用十徳スコップの鋭い側面を斧代わりに振り下ろす。
刃先はうねる円筒形の物体がほぼ分断された所で止まり、上司の身体は傷一つ無い。動きが鈍くなったのを皮切りに急いで引き剥がす。
暗がりを照らしてようやく見えたのは、蛇腹状の関節が幾つも重なって出来た文字通り蛇のようなロボットアーム。片側には球体の綺麗な断面が見える。そして、同じ腕を三本備えた昆虫の眼のようなセンサを備え付けられた厚い円盤型の胴体部。
「ゴホッ!……お前が薪割り得意で助かったよ」
「キャンプを侮ってもらっちゃ困りますよ。今度皆で行きましょう」
「こりゃあ犯罪鎮圧用の拘束ロボットですな。きっと前世は配管作業用だったに違いない」
バキューン!――廊下の壁が細く抉れた。正面には人の姿。
「戻れ! ヘビ使いのお出ましだ!」
「手榴弾! 伏せろ!」
一同は一斉に部屋へ駆け込み、ベースを目指す野球選手さながら床にダイビング。廊下の奥にも身を隠す敵兵が見えた。
目を閉じて耳を塞ぎ、脚を交差──三秒後、五人の頭上を暴風が過る。
骨から身体に響く重低音が消え、隊長はすぐ起き上がる。分厚いコンクリート壁は少々焼け焦げただけで、爆風をやり過ごした歩兵ロボットが戻ってきた。
残り四人に目をやると、いつの間にか部下二人がウネウネとのたうち回る金属の腕と格闘していた。やはりダクトだったか……
「こっちはそのヘビが居ます!」
「タコじゃねえのかこれ?!」
「すまんが俺はこっちが手一杯だ!」
廊下に対し小銃で応戦。いくら合金のボディと云えどセンサを搭載した頭部の強化プラスチック部は他と比べて脆く、狙いさえ良ければ小口径弾どころか拳銃でもロボットの感覚を破壊出来る。間接部も変形に弱く、即ち弱点は人間と同じ。
だがその事は向こうも承知のようで、銃口を向けている間は途中の部屋で弾幕を防いでいる。
しかも銃もセンサ付きらしく顔さえ出さず腕だけで正確に撃ち返してくる。建物が台風対策にコンクリート製で助かったが、距離はもう短い。
民間人二人掛かりで一人に巻きついたメタルの触手をやっと引き剥がす。もう一人はライフルでがむしゃらに殴り続けて強引に外した。
「すみません、助かりました」
「いえそんな……」
礼の聞くまでもなくハモンドとフレディは機械製の軟体動物を殴り潰し、上司の後ろにつく。
「向こう側にも階段があります。俺が撃ちますから二人を連れて先に……!」
頷くと一番背の高い男が交代。民間人達をハモンドが手で押して外に出し、射線を塞ぐように軍人二人が数発威嚇しながら護衛する。
最後にフレディが手榴弾を放り、四人の逃走の最後をカバー。曲がり角を通り降り、階段の踊り場に差し掛かったその時、建物が爆音に震えた。
衝撃波の追い風を味方につけ地上一階に辿り着いた一行は玄関へ真っ直ぐ。
『伏せろ!』
五人はスピーカー越しの警告に従って飛び込んだ。
ガガガガガガガガガガ!──頭上を掠める死に近づくような感覚に青ざめる。顔を上げると、玄関から覗く口径二十ミリの機銃が点滅している。
『カバーする! 外に出ろ!』
銃声、否、砲撃が止んだ。前には反乱軍が採用する二足歩行戦車。既に機銃と足元まで覆う縦長の巨大片手盾を屋外に向け、次の戦いを繰り広げているようだ。
振り向けば、八脚を持つチタン合金の甲殻が横たわっている。市街地制圧用の甲殻類型多脚無人戦車だ。足がすくんだ一般人二人を部下が起こしたのを確認し、走る。
建物から脱出すると、駐車場に放置された車両をバリケードに、通りを挟んで撃ち合う光景が目に入ってきた。五人は姿勢を低く、建物の縁に沿って早足。すると、駐車場の端の方で後部ドアを開けたトラック型装甲兵員輸送車の傍で手を振る兵士を発見した。
「乗って!」
既に脱出した部下が呼んでくれたのだろう。「ありがとう!」礼を一つ言う内に全員乗り込み、バタンと閉まる。
唸るエンジン音と共に縦並びの座席が揺れる。
「すみません、助かりました」
「いえいえ、こういうのはお互い助け合いま……」
直後、運転席からくぐもった喘ぎが聞こえた。同時にシートベルトに固定されている筈の身体が宙に浮く感覚。
コンマ数秒程度の無重力体験が終わる。誰かが驚き声を漏らしていたが、新たな驚愕が塗り替えた。
「い、急いで下さい!」車両上部で機関銃手の若い声が警告。「どうしたぁ?!」
「こ、こここ、洪水です!」
運転手が頭にクエスチョンマークを浮かべたその時だった。
高圧洗浄機のような水流がフロントガラスを叩いた。
驚きのあまりワイパーも忘れたが、一瞬で水流は移り変わる景色と共に消えた。側面バックミラーを確認する。
車の後方で茶色い濁流が追い付こうと道路に覆い被さり、住宅地もろとも飲み込む。雨が降った後の河川のような轟音もようやく耳に入った。
右足を勢い良く押し込む。救助者達は手すりにしっかり掴まっていたものの、運転席のプレッシャーは凄まじいものだ。
アスファルトが割れた隙間から噴水が生じ、二度目の不審なスコールを前にようやくワイパーを起動。逃げ道にはゴミが多少散らかっているだけだが、道は真っ直ぐではない。
切れた信号機を右に六十度――不意のバウンドに後席から狼狽。しかし洪水も意志を持った怪物さながら、道路を柔軟に曲がる。何時までこの津波から逃げれば良いのだろうか……
『アクセル全開か?』
先の見えない不安を導いたのは若い男の声と思われる通信。何者なのかは分からない。しかし無線の周波数に合うという事は味方ではないか。
「もうこれ以上は踏めん!」
『ようし、ゼロヨンの時間だ! シートベルト締めな、飛ばすぜ!』
「掴まれ!」
一瞬、車体が揺れた気がした。洪水に追い付かれたと思ったが、それにしては緩やかだった。
タイヤの摩擦音に応じて重力が後方に歪む。ニトログリセリンを燃料に混ぜたレーシングカーの如く、限界を迎えていた筈のエンジンが一層甲高く鳴いた。
荷台から狼狽えが聞こえるものの、バックミラーで蠢く濁った水の怪物が遠のいていく。慣性に任せてアクセルを踏んだまま、時速百四十キロメートルで市街地を突っ切る運転手は嬉しさと興奮に「やった!」と叫んでいた。
(あっぶねえ……間に合って良かったぜ)
圧縮空気の風圧で最高速度の軍事トラックの後押しをしてやったレックスは、自身の真下で濁流が勢いを失い、周囲三百六十度に拡散して水位が下がっていくのを見届けた。
地上三十メートル、上昇気流を受けて空中に立つラテン白人が対面するのは、距離二十メートル、高度は同等。
茶髪に若年性の白髪が混じった英国系の長身男、ケビン・リヴィングストン。宙に浮いている点は同じだが、レックスと違い、直径三メートルにも及ぶ水の球が彼の全方位を守っていた。
「これが水を得た魚ってか」
「またお前か、カモメは漁師のおこぼれでも貰ってろ」
「お前こそムー大陸に帰れ」
イエローストーン以来の再開で罵り合う双方。挨拶代わりにレックスは右手を突き出した。
水球の表面が大きく凹む。しかし、中身の本体には届かず、レックスは顔をしかめた。
「何故台風で柳が折れないのか考えてみろ」
今度は人差し指で空を漂う青年を指すケビン。レックスはすぐさま目前に迫る殺意に気付くと掌をかざした。
次の瞬間、勢い良く“虚空に叩き付けられた”水の玉が爆ぜた。飛沫が消えた時、青年の姿はそこに無かった。
ケビンはふと上を向いた。彼の一部のように水が分厚い円形のシールドを斜め前に張る。
見れば、圧縮空気のスラスターと自由落下を掛け合わせた飛び蹴り──靴裏が触れる前に水壁で半球状のクレーターが生じた。
防壁に脆弱部を作ったレックスは水なんかではない、確かに固さのある物体を蹴った。しかし敵の土俵に長居したくはない。反対側へ加速。
再び距離二十メートル。茶白髪の男は平然とした表情で左肩を押さえていた。
「いくら良いエンジン積もうが重けりゃ意味ねえんだよ」
「成程、だが威力は今一つなようだ」
強がって威張る黒髪の青年を中年男は軽々受け流す。
レックスは何も言い返せなかった。水道管が張り巡らされ近くには海まで眺められる市街地だ。
次、どこから鉄砲水が襲って来るのか分からず、気を張り詰めジョークを考える暇も無い。
『気を付けろレックス、この男は、いや、管理軍は完全に民間人を見捨てている』
「分かってる。俺がこの男と決着付ける。皆を頼んだぜフレッド」
気弱にも聞こえる仲間の通信を耳に、レックスから笑顔が消え去った。
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