12 : Fence

 地球暦〇〇一七年、六月二十九日、〇時〇五分。ハワイ島西部、ワイコロアは半世紀前まで高級リゾート地だったとは思えない程荒んでいた。


 ハワイ島での形勢を覆した反乱軍側は確実に住民救助とエリア制圧を進め、島の北、南、東、三方向から挟み込んで管理組織側の残党に白旗を挙げさせるだけだった。


 しかし、平地と違って敵、そして民間人がどこに居るのか分からない以上、慎重に行動しなければならないのが市街地だ。敵軍の管理組織も民間人への被害は最小限に留めたいとの意向だった筈だが、悪足掻きとでもいうように無差別な攻撃を開始した。


 軍事技術は石礫と木の棒の時代から攻撃と防御のイタチごっこが続いているが、基本的に防御技術よりも攻撃技術が勝り、地球暦二桁に達した現在でも互いの攻撃兵器同士を向け合って牽制する事は遙か昔の抗争から全く変わらない。


 しかし、トランセンド・マンの存在はこの“威嚇による均衡”を変える可能性を秘めている。例えば、今こうしてストリートの中央に佇むロンググレーの少女みたいに。


 炸裂砲弾は内蔵された信管をベクトル中和障壁で包むだけで闇夜に煌めく。貫通を目的とした対人用の銃弾は初速こそ音速の三倍もあるが、質量はたったの五グラム、エネルギー量では全力疾走の人間と同程度でしかない。


 速度を失い先端が潰れた銅色の金属粒が路面に棄てられ、榴弾の破片は破裂した地点からこちら側に進む事はない。味方の兵士達が弾幕を張る更に後方、レンガが所々崩れ配管が露出したアパート一階から飛び出す人々の群れが垣間見えた。


 彼らを先導するは数人の軍人達の手招き。民間人がおどおど避難シェルターのある奥方向へ走り去るのを確認し、安堵の一息。味方の砲火が明るさを増幅させる。


 すると彼女の隣、逆立った濃い茶髪をツーブロックにした灰色の瞳の若い男性が一番前に立ち、左手に拳銃、右手の掌底は陣頭へ。


 歩兵達には敵軍に差し伸べる青年の手の先で、人の姿が静かに倒れゆき、重火器が沈黙する不思議な光景が目に入っていた。


 “同業者”であるアンジュリーナには何が起きているのかが分かる。無数の素粒子が纏まり、“見えない光の束”が照射される。光は戦闘の多脚戦車の装甲に浸透し、透明なガラスのように後ろへ通り抜けて歩兵達にも当たっていた。


 直後、甲殻類型の巨大な人形は、操る糸が切れた人形も同然、八本の脚で支える本体がコンクリートの上に崩れ落ちた。


 後に続くようその背後で複数人も、まるで立ち方を忘れたようにアスファルトの上にだらしなく吸い寄せられる。


 巨大蟹のチタン合金製外板にはボディの中心を貫く直径数センチメートルの穴。変形の形跡は無い。外観は完璧な真円で、高精度のドリルさながら綺麗に削り取られ、否、消滅している。


 射線から運良く逸れた敵兵達が音一つ無い現象に目を奪われていたが、彼らは見えない素粒子に一瞬で内臓を熱せられ、自身の死の瞬間さえも知る事は出来なかった。


 倒れたまま二度と動かない兵士達の胸に円い血痕──アンジュリーナは胸が締め付けられる錯覚を覚えた。


 最前線の青年――マシュー・レオノフ、身長百七十八センチメートル、二十一歳。鼻が高いスラヴ系の顔立ちだが、日焼けのせいか肌は黄色人種に近い。


 彼の専門は「貫通」。予め実在の空間上に仮定の直線を定め、そのレール上で何かしらの物理作用を起こすというものだ。


 熱であれば直線上の物体を熱し、ベクトルであれば真っ直ぐな細い穴をレーザーの如くこじ開けたり押し飛ばす。音波や光波、電磁気も同様。そして直線内であれば作用範囲は自在だ。


 仮想上のラインに触れる事を能力の発動条件にし、物理作用発現にはある程度のエネルギー量が必要な以上、広域の面制圧は苦手だ。作成した直線の角度変更は可能だが、位相を変える事は出来ず、別の標的に当てるには新たに仮想の筋を構成し直す必要がある。


 指先から伸びるエネリオンのラインが数本、百メートル以上離れた五階建てのオフィスに食い込んだ。対人弾程度は受け止められるであろうコンクリート壁に真円の切り抜きが出現する。


 ビルは静まり返った。見えないが、複数の素粒子の塊を持った物体が輝きを失うのが脳裏に浮かぶ。途端、管理軍が少しずつ後退していく。


「アンジュちゃん、スコットは元気か?」

「お兄ちゃんは今中東ですよ。たまには連絡してあげて下さい」

「こんな可愛い妹が居るのに放っとくなんて悪い兄貴だな。俺が言い聞かせといてやるよ」


 アンジュリーナはクスリと微笑んだ。束の間であれ、同じロシア系のルーツを持ち故郷を同じとする彼女らにとって二年ぶりの再会を喜べない筈がない。


『避難完了! いつもながらありがとな、アンジュ』

「いえ、私こそ、皆さんを逃がしてくれてありがとうございます、ロバートさん」


 ロサンゼルス時代から馴染みのある落ち着いた三十代の男性の感謝。濃密な素粒子の盾に飲み込まれた機銃弾幕は一発さえも前線を突破する事はない。


 敵味方の境界線で手を差し伸べる守護神――敵意でも殺意でもない、揺るぎない純粋な意志だけのある眼差しはそうとしか形容出来なかった――気付けば少女は管理軍達の射線を一手に引き受けていた。


『民間人が複数人居る、防御を頼む。場所は……』


 焦りを含む無線。今の戦線維持か助太刀か……アンジュリーナはオロオロした。


「行って来な。一人だけで何かしようとするのは兄に似てるもんだな」


 肩を並べる茶髪の白人が提言。「はい!」と少女は笑顔で即座に九時の方向、戦の庭を横切った先、路地裏を塞がんとする団地用ゴミ箱を超える。戦線を押し込む兄の親友が手を振ってくれるのが振り向きざまに見えた。


 足元にはカラスかホームレスに荒らされた生ゴミやリユース用プラスチックボトルが転がり、狭い道を挟むレンガ壁にはスプレーの落書きが放置されたままだ。人どころかネズミ一匹さえ居ないが、意図的に重ねられた段ボールが残っていた。


 横に通りが広がっている先、右往左往する人影が幾つか見える。そして突破――体ごと腕を右側へ。


 伸ばした先五十メートルにあったのは、大量の方形を組み合わせたボディをキャタピラで支える主力戦車だった。百〇五ミリあるとされる砲塔の口がアンジュリーナと睨み合った――ここだ。


 徹甲弾が砲身の中で止まった四十トンの重戦車は、セラミック複合装甲で出来ている砲塔から噴火し、一瞬で火柱の塊へと生まれ変わった。中に居る操縦者は間違いなく即死だろう。


 罪悪感にドンヨリしかける顔をピシャリと引き締めて更に後方、人間の身長程はある筒が立っており、足元に誰か一人。


(迫撃砲?!)


 発見した瞬間、先端が閃く。咄嗟に両手を天に向けて高々と挙げた。


 雲がかった墨空に巨大な星が誕生し、ほんの三秒で橙光は暗い灰色の塵に、寿命を遂げた。


 アンジュリーナの白い手はまだ直角を保ったままだ。応えるように空は次々と張り裂け、降ってくる破片や衝撃波を無害なまでに軽減する。


 砲撃の目的は撃退ではない。軍団を飛び越える軌道は、民間人の確保や避難が完了していない方面を意図的に狙っている。


(なんて事を……)

「俺に任せろ!」


 少女の想いに応える如く、路肩に放置され無数の弾痕が空いたバンの上を巨躯が跳ねた。


 チャーリー・キタカタ──二メートルもある身長に横に尖った一重瞼の黒目。半袖から膨れ上がった上腕がむき出ており、服の上からでも筋肉を存分にアピールしている。


 特筆すべきは背丈をも三十センチメートル上回る、両端に異なる切断形状を持つ棍――月牙産を頭上に振りかざしながら、蜘蛛型のマシン目掛け落下。


 三日月型の刃先を縦に一閃──八脚戦車の内片側四本がパチンコに弾かれたか如く外れ飛んだ。


 今度はスコップの形に煌めく反対側を一直線──残された胴体を刃が真っ二つに割り、剥き出しの配線がスパークを起こす。


 月牙と産、目まぐるしく棒の端が入れ替わり、竜巻の如き連撃が通った一帯には一刀両断された戦闘車のバンパーが転がり、戦闘員達は道路脇のショーウインドや街路樹にぶち当たる。


 紅海を割ったモーセさながら、敵陣を数十メートル貫いたチャーリー。溝を埋める間もなく、装甲車と二足歩行戦車で全面を固めた反乱軍の第二波が穴を侵食していった。


「見苦しくてすまんな」

「いえ、私の事は気にしないで下さい」


 アンジュリーナと親交のある者達は彼女が人の傷や死に敏感な事を知っている。筋骨隆々な日系人の謝罪もそれを気遣ったものだが、少女も彼らの優しさを理解している。


 だからこそ応える為にこのスラヴ系少女は人を守る力を望み、その意志は誰にも引けを取らないと皆が理解している。相互の信頼は少女の原動力だった。


 尤も、彼女に何か別の意思が生じれば別だが――耳に違和感。アンジュリーナは月夜で薄い銀に輝く髪を勢い良く揺らし、左横を向いた。


 コンクリート壁に反響する銃声の中、微かだがビンの割れるような音が鼓膜に届いたのだ。


「すみません、離脱します!」

「任せろ!」


 短く済ませると元気に溢れた返答を浴びながら通りを横切る。またも不法投棄に溢れた路地裏が奥に続いていたが、今度は何か動くものが見えた。


 歩を進めると、人間の姿である事が分かる。膝小僧まで覆うトレンチコートを着た人物はゴミ袋を蹴って何か大声で喚き散らしていた。


「ここは危険です。早く逃げて……」

「邪魔すんじゃねえ!」


 恐れず主張するも、言い終わる前に配管用鉄パイプの振り下ろしが襲ってきた。


 だが、“何も起きなかった”。パイプは少女の一フィート上空で止まり、跳ね返りも衝突音も無い。


 ようやく分かった人相はというと、身長はアンジュリーナよりも十センチメートル以上は高いが鼻筋はやや低く、彼女と同年代くらいの年齢だと予想が付く。


 油汗でギトギトした髪は逆立ち、破れが所々に見えるコート──ハワイ諸島で問題となっているホームレスの一人か。怒りに引きつった顔が少女を見下し、強い眼差しを投げかけていた。


 ところで、相手の青年が武器を引っ張っても微動だにせず、呆れるように手を放す。パイプは一秒間その場に静止し、青年と少女の間、乾いた音で落下した。


「なんでこんな事をしなくてはいけないんですか!」


 相手の青年は目尻が裂かれんばかりに威圧し鼻息を荒くしているが、アンジュリーナは一歩たりとも退かなかった。


「うるせえ、どうせもう死ぬんだよ!」

「私が守ります!」


 それどころか一歩前に出て啖呵を切り、普段から可愛らしいと言われる丸っこい灰目は童顔に似合わぬまで開ききっている。名も無き孤児の顔は強張り、夜風に額が冷える。


 一人でも多くの命を救う――それが肉親を二人失った彼女の中にある決して変えない信条だ。例えどんな身分や所属だろうと。


 その根幹が垣間見えたのか、ホームレスは口をポカンと開けていた。頭半分は小さい少女に後ずさっていた。


 しかし、青年は我に戻ったように不敵な笑みを作り、挑む。今度は素手を固めて殴り掛かるが、パンチは五割方伸びる途中で緩やかに減速した。


 打った感触も反動の痛みも無い。粘り気のある液体に手を突っ込んだ感覚に近いが、不思議な事に何かに触れているという感覚も無かった。


 手応えさえ奪われ、青年は意味なく叫んだ。腕は必死にもがくがにっちもさっちも行かず、艦砲さえも防ぐアンジュリーナの前には止まっている事しか出来なかった。


 男は顔を笑いから怒りに、歯を噛み締める。見えない何かに当てようと手足を振り回すが、空中で柔らかく受け止められるだけだった。悔しさの短い罵倒語が絶えない。


 少女も嬉しい顔ではない。静まれと何度も祈り、喉が鳴る。


 ダダダンッ!


 前触れ無しに路地裏が轟き、青年の真っ赤な顔が青ざめる。耳が裂けんばかりの音の正体を暴くべく百八十度振り向いた。


 彼の一メートル前、頭蓋骨を捉えようと先端が尖ったセピアの粒が目線の高さに留まっている。その奥には合金の鎧を纏い、強化プラスチックの黒いのっぺらぼう。


「クソガキ、女の子を悲しませたら男失格だぞ」


 背後から男性の声。その低さから相当の体格の持ち主か――アンジュリーナの視界端から宙に浮かぶ物体が飛び出した。


 滞空中に脚を伸ばす跳び蹴りは先頭の人型の胸部を打ち出し、後ろに続く残り四体がボウリングのピンよろしく路地の外へ飛び去った。


 胴体と分離する手足を遠目に見届け、二メートル超のアジア系男性は「よう」と二人の前に立ちはだかった。


「どけどけどけ!」


 今度は徐々に近付いてくるやや高めの男性の警告。三人は夜空を見上げた。


 直後、アパートの間のゴミ山に降ってきたのは足先から落下するドレッドヘアの黒人と、靴先で胸板を踏まれ隕石と化した謎の人物。


 コンクリートもろとも揺れる振動に一同は怯み、落下地点から空き缶が転がる。建物屋上の瓦礫が遅れて降り、ホームレスは慌てるがあまり逃げようとし、躓く。


 再度見直した時、謎の人物は十メートル程細い路地に沿って転がる。最後に側転して三人に先立つはラテン黒人、リカルド。


「チャーリー、月夜に悪魔と踊った事はあるか?」

「ダンスとピエロは苦手だ。絵ならピカソ並みと言われるがな」

「俺もクーニングと同じ画力でな。でもフラは男でもやるんじゃないのか?」


 談笑を止めるべく飛び起き対峙する敵はドレッドヘア目掛けて突進を合わせたジャブ。リカルドは体幹ごと左へスライド。


 もう一発ストレート──頭から身体を右前に倒し、手を着いて下半身を振り上げる。手を引き戻し終えてない相手の頭頂部は堅い靴底の餌食となり、後ろに二、三歩よろけた。


 逆立ちから後ろへ一転半、巨漢へ「どうだ?」と目配せ。


「残念ながらレスリングしか習ってねえ。カポエイラなんて俺に言わせりゃ余計な踊りだ」

「だがモテるぜ。だろ、アンジュ?」

「へっ?」


 急な問い掛けに戦いの舞台に居ることを一瞬忘れるアンジュ。それどころか離れた所で再起する敵を見て頭が混乱する羽目になるだけだった。


 大男は反論の代わりに、路地裏に浮かぶ敵の像目掛けて駆け込む。対する相手は迎撃しようと前に飛び込み、両膝蹴り。


 巨体が舞い上がった。上を取ったチャーリーは剛腕一本で顔面を掴み、降下。直径三十センチメートルのコンクリートのクレーターに後頭部がめり込んだ。


「こんくらいの肉体を持ってから物申しな。なっ、アンジュ」

「えっと……」


 片腕で敵を銃声鳴り響く路地裏の外へ投げ捨て、二の腕で力こぶを作って主張。しかし一層困惑したのか少女は一向に答えを言わない。


「二人共家庭持ちだってのにハワイでナンパとは、嫁さん泣くぞ」


 詰まった少女を救ったのは背中に響き渡る一人の歩兵の一喝だった。


 背後、彼女にとって馴染み深いロバートの姿を見て、アンジュリーナは月光で薄い銀を仄めかす眉を開く。二人の既婚者は「はいはい」と逃げるように先程の敵を追い掛け、別の戦陣に突っ込むが。


「小僧は俺に任せろ。浮気者共を手伝ってやってくれ」

「ロバートさん! ありがとうございます!」


 聞き慣れた声に胸をなで下ろす少女。迷彩服の兵士が青年を引っ張り、ゴミ溜めの片隅に引っ込む。見えなくなる前に親指を立てる光景が目に焼き付いた。


「ほら立ちな、男だろ? お前も将来家庭持ったら守るんだ」


 ホームレスの青年は腰を抜かしたまま下半身を引きずるようにその場を去ろうとしていた。ロバートは手を引っ張って無理やり起こすが、未だおどおどした瞳の先は長い灰髪が去った路地の外へ続いている。


「あの子が気になるか? 幾ら挑もうがアンジュにお前は勝てんよ。能力以前に意志の固さが違う」


 表情に代わりはない。肩と眉の端を落とし、上目使いで言葉も無い精一杯の謝罪だけ。


「まあシャワーでも浴びれば気分も変わるさ。スラムは辛かったんだろ?」


 少女と対面した強気な態度とは打って変わって目も合わせられずきょとんとし、何も言い返す事も出来ない男子は背中を押されるがまま、ゴミだらけの細道を脱出した。

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