9 : Reinforcement

 ハワイ島北部、ハマクア森林、二十二時過ぎ。


 コアの木やククイの葉が森林の天蓋を作って星空をほぼ遮る。ぬかるんだ足元ではバニヤンの何百もの根が絶えず豊富な水を吸い上げ、シダやコケが所狭しと詰め込まれている。耳をすませば滝の音も聞こえるだろう。


 工芸品の材料や、現地の信仰の対象としても名高い森林であるが、二人の来訪者がその聖域を侵していた。


 追う片方は赤毛をボブカットにしたスペイン系女性、イザベル。タンクトップの先から露わにした、女性的な丸みを帯びつつも弛みの無い手をかざす。遠ざかろうとする“敵”の周囲で火花が次々と咲き、コケが熱に枯れる。


 相対して逃げるは黒い無精髭で、疲れかやる気が無いのか緊張感皆無な中年男性、ジェフ・ベル。瞬間的に一万度にも達する熱と光が、マメ科の一年生植物を犠牲に、視覚と触覚を遮るが、我慢して接近してくる地面の震動を捉え、念ずる。


 足裏から地中へ潜り、足音の源へ浮上――超音波が泥土もろともイザベルの肉体を揺るがし、三半規管を強引に狂わせる。


 視界が回るような歪みと頭痛。仕方ない、と彼女は走るスピードを保って斜め前へジャンプ。ベルは顔面に向けられる靴先を見て腕を掲げた。


(掛かった!)


 両足を開き、ホットパンツで露わの太腿の間で頭を挟み込む。勢いそのまま男を中心に一回転し、遠心力で湿った大地に引き倒した。


 そのまま両足で男を締めるイザベルは多少の不快感――荒い鼻息と無精髭のチクチクを我慢し、歯を食いしばって怒りを力に変え、靴先を絡めるように向こうの気道と顎動脈もろとも閉じる。白い生足を汚す泥ももはや気にならなかった。


 トランセンド・マンがその力を発揮する時、人型の神経を通してエネリオンをやりとりするが、神経系の形が破壊されると出力が大幅に落ちる。それは骨格や血管も同様で、人が人でない形になる時、彼らは力を失う。


 その事を知っているスペイン系女性は腰の捻りで更に骨を砕こうとする。喉だけで情けない悲鳴を上げる中年男がジタバタするのを傍目に、


(何かが来てる?)


 ほぼ音速で接近する熱源が一つ。絞め殺すには間に合わないと判断し、無精髭をタンクトップの下から覗くスリムなへそ周りの腹筋と、肉付きの程良い足だけで投げ飛ばした。


「仲間なんて卑怯だぞ!」

「“予備軍”の奴だが、お前を刺身にするくらいの能はあるぞ。若い女の生足の間で死ぬのも悪くないかもと思ったが」


 睨みに対抗し咳をしながら枯れた声でニヤける黒髭。間もなく、彼の隣に黒い森からうっすらと人影が浮かび上がった。


 スキー帽の二つの穴からは純粋な殺意。闇に溶け込む黒い戦闘スーツで体格は分からないが平均男性程だろうか。刃渡り一メートルの剣を二刀流で佇む。


「やれ」


 二十秒前まで死にかけていたとは思えぬ余裕の笑みを浮かべ、彼の声に応じて黒土を後ろに蹴飛ばして走り出す。悔しさに噛み締める赤毛の女性は握り拳を固めた。


 一般的に、エネリオン知覚・変換の適正を持つ人物の内、出力、機動、耐性……といった各能力が実戦での戦闘に値する約一割がトランセンド・マンと呼ばれ、それ以外は予備軍とされる。


 その中でもある特定の目的の為の特化能力を持つ者はトランセンド・マンの絶対数が少ない事もある為、重宝されるものの一つの能力のみ秀でただけではそれ以外の役割において機能しない。


 トランセンド・マンはエネリオン変換を脳の無意識領域で行うが、無意識工程故に予備軍にはエネリオンを意識的に知覚する事が出来ない、あるいは難しい人物も存在する。


 例えば、現在イザベルに牙を剥くこの特化型戦闘員も近接戦闘に適性を持っているが、遠距離探知能力は皆無に近い――当然だが、トランセンド・マン間にもそれらの個人差はあるが……


 少なくとも、奴は自分の心臓が貫かれるまでは、音速の十倍で接近する不可視の弾丸に気付かなかった。


「だ、誰だ?!」


 シダの葉や若い木の根が散る。イザベルを襲おうとしていた人物は彼女とベルの間で顔面からバッタリ倒れ、泥の中に顔を突っ伏した。


『今は詳細を省くけど、僕は味方です』


 耳元に穏やかな若い男性の声。常日頃進化し常時更新される無線の暗号は携行端末程度では簡単に解読出来ない。傍受出来た時点で本当だと見て間違いはないだろう。


『ただ、次弾は当たるかどうか疑わしいけど』

「大丈夫、元からあたしがバーベキューにするつもりだったから」


 どことなく自信なさげではある青年の声だが、イザベルは口を横に広げて既に強気を取り戻し、気を取り直して手を組んで頭の上にストレッチ、腹筋の僅かな凹凸がウエストを細く見せる。


(……ったく、何で俺の味方はすぐどっか行ったり死んだりするかなあ……)


 胸に大穴の空いた援軍の亡骸を見つめ、諦めて肩を落とし額を手で抑えるベルは、やんちゃ娘の容赦無き両足ドロップキックの餌食となった。





















 不意打ちを食らった管理組織の人物が自軍の女性にタコ殴りされる様子を九七六四・三メートルから“視る”銃口が一つ。


(他に敵は居ないですか?)

『ううん、あの変態オヤジだけ』


 脳裏に伝わるやや低めの女性の通信。声だけで何故か怒っているのが透けて分かる。


 イザベル・イグレシア、二十一歳女性、ハワイ諸島に五年勤務、特殊能力は特定の空間内の熱制御――実際に会った事はないが、カイル自身は研究者と同時に軍人である以上は仕事仲間の事を知っておかなければ気が済まない質だった。


 片や彼女のサンドバックになり続ける人物を、二メートル近くの銃身を持つスナイパーライフルで射撃予測線と合わせる。同時に、常緑樹の落ち葉の上で伏せたまま辺りを見回した。位置がバレる事が狙撃手にとって一番最悪の事態だ。


 無数のシダが生い茂るジャングルは月光のみの百メートル四方をほぼ完璧に閉ざしている。顔を撫でる海風すら感じない。虫の鳴き声が半球状に囲み、腐葉土の香りで頭が冴える。


 しかし、五感を失われる事など、このカイル・ウィリアムズにとっては無意味だった。


 エネリオンは宇宙空間にほぼ均一に存在するが、無よりは何かしらの物質、静止物よりは動く物体、無機物よりは生物、と何かしらのエネルギーを持つ存在に集まる性質を持つ。エネルギー活動自体がエネリオンそのものに変換されているという説はあるが、定かではない。


 それでも、それがどんな大きさか、形状か、温度や速度を持つか、という性質はエネリオンを通してでも分かる――際立ったエネリオンの変換が活発な反応を一つ見つけた。


 紛れもなくカイル自身に真っ直ぐ接近する動きだった。上司からこちらの援護をするように頼まれたのだが、敵を一人引き寄せてしまったらしい。


(悪いけど、こちらはしばらく援護出来そうにないな)

『大丈夫、どっちもあたしがまとめて消し炭にしたげるから』


 寝転がりながらもカイルは先端をバイポッドで支える銃口を百八十度反転――林をジグザグに避けて接近しつつあるトランセンド・マン一人。


 身長百八十一センチメートル。武装はサブマシンガン型武装と刃渡り十八センチメートルのナイフ。走行速度マッハ一・二八……接触までの残り時間八・七三秒。


 エネリオンに質量は存在しない故に地平線以上の距離を狙う事は困難だ。もし届かせるのならば地球の丸みを計算に入れ、エネリオン弾に円運動という一種の加速を取り入れる必要がある。障害物も貫通するような出力が必要だ。


 しかし、今のように敵が肉眼で見える位置では一直線に動くので、射線と頭の位置が合致した瞬間に、引き金を引くだけ。


 腕から骨の髄にかけてグリップに生気を吸われる。そして、見えないパワーが体の表面から全体を満たす――装填時間一・〇〇秒。そして右人差し指。


 では、高速弾ではなく連射へ切り替える。伏せから体を起こし、膝立ちでトリガーを引きっぱなしに。


 短機関銃を一瞬でホルスターから胸の前へ抱え、エネリオンの弾幕がこちらに牙を向く。残り距離四百メートル、とうとうカイルは二本足で地面を蹴りだした。


 彼が横へ走る背後で木々が幹から無数の屑を破裂させる。煙を渦巻かせ、反撃続行。


 残り距離二十メートル――相手が弾を避けられにくくなると同時に自身も躱せない距離――ライフルを地面に置いた。


 向こう側は右手の短機関銃をナイフに変えている。顔ははっきり見えないが、体格は彼の十センチメートルは高い――駆け込みを加算して外から内への横斬り。


 その腕を両小手で弾く。更にその反動を付けて逆回転し、肘。対応する暇も無く、尖った骨の先端が顔面を刺す。


 痛覚が半分、質量の乗った重みが半分、のけ反った相手は後ろ足で踏み止まり、前進再開。想像以上にタフだった向こうに戸惑ったカイルは思わず後ずさった。


 腕を一閃――月光に黒光りするナイフと、金髪が数本、青年の碧眼に焼き付く。額に寒気がした。


 空振ったが諦めずに八の字連続斬り。一歩一歩避けていくが、背後で低木が逃走を阻止する。


 頭上から下される刃を見据え、交差するように左腕で前腕を受け止める。同時にもう片手でアッパー。


 肘が青年の拳を跳ね返し、ナイフを持つ手を引き戻して腹を狙って一直線。退路を塞がれているカイルは仕方なく両手で柄の部分を握り、止める。


 両腕を封印された金髪の顔面を左拳で打ち抜く。抵抗する力が抜け、前蹴りの追撃。保全対象であるラマの細木をへし折り、小柄な青年は後ろに一回転して片膝で着陸した。


 将来を永遠に絶たれた若木を足でどかし、もう一度前蹴り。それを両手で下へ払うカイルは、次に来る短剣の薙ぎ払いを左腕で止め、ほぼ同時に右裏拳を放つ。


 それを読んでいた大柄な方は打ち上げ気味の拳を左手でブロック。刃先が伸びた手首へ向かった。


 全身ごと慌てて引っ込めるカイルは完全に攻勢を失い、度重なる斬撃の襲来に退かざるを得ない。邪魔するガジュマルの根を跳び越え、追いかける向こうも同様にジャンプ。執拗な空中バタ足連打を顔の前で合わせた両腕で防いだ。


 微かな月明かりを反射し、銀色に帯びる先端が作る残像に触れた柔らかい枝や蔓が二人の通行跡に落ちる。


 踏み込んではナイフを振り、カイルはその度に身をよじる。腹へ一突き、と見せ掛けて肩のスナップを利かせ顔へ薙ぐ。が、硬い感触。


 危険と判断して跳び退く。小柄な青年は、右手で約五十センチメートルの伸縮警棒を顔の横に構えていた。


 しかし攻める気配が見えない。様子見にと眉間に一刺しするが、金属音が腕を引っ込めさせる。


 弾いたカイルは脇腹を狙って一振りするも、手応え無し。続けて半歩分遠ざかった向こうのこめかみへ逆薙ぎ。


 頭を沈めて樹脂の棒をやり過ごした男は殴るようにナイフで半円弧を描く。金髪青年は両手で根元の腕を受け止めた。


 手首の動きだけでせめて引っ掻こうとするが、腹直筋から内蔵を通す衝撃がそれを阻止した。


 カイルの膝蹴りカウンターが成功し、左手で刃を持つ腕を固定して警棒を手首に叩き付ける。一瞬の悲鳴が聞こえた時、もう片膝が下腹部にめり込んでいた。


 幹から無数の根を垂らす成熟したバニヤンに背中をぶつけ、形勢逆転したカイルが獲物を喉へ向けて発射。


 右肩を内に寄せ首を傾けると、左頬のすぐ隣で棒の先端が大木にワンインチめり込む。動きが止まった瞬間、左フックが金髪のこめかみを突き飛ばした。


 軽い脳震盪と内耳まで届く衝撃波が快進撃を僅か一秒で止める。ぬかるんだ土から飛び出た何かしらの木の根につまずき、粘り気を持った黒い液体が跳ねた。


 全身を覆う伸縮性のスーツは撥水性にも優れてはいるが、“同胞”の攻撃を守るには足りない。急いで二本足で立ち、悪い足場の中確実に歩を進める敵を迎えるべくサイドキック。


 冷静に空いた手で蹴りを掴み、もう片手でその腿を刺そうと……したが、腹を強打され、後ずさる。


 軸足で飛んで辛くも相手を蹴り飛ばしたカイルは、背中から地面に不時着した。足川側に首を曲げるが、襲撃者の姿は無かった。


 今度は真上を見る。所々黒い雲がうねる墨空の中央、近付いてくる漆黒の輪郭。


 咄嗟に背中に手を突っ込んだ。そして落下する人影目掛け、サッと伸ばす。


 青年の手が握るは銃身を切り詰められたソードオフショットガンが放つ、鋭角に拡散するエネリオンの束が敵の全身を突き刺した。

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