8 : Dusk
ハワイ島西沿岸、ワイコロア。二十一時二十三分。
月明かりだけが頼りの、時折爆発音を起こす夜の市街地で蠢く存在があった。
「なあ、本当にまだここに居るつもりか?」
「静かにすりゃバレねえさ……こっちも酷いもんだな」
飲食店系等の店が多い歩道を壁沿いに伝う、五名。細身には薄汚れ不格好な灰のコートを着た小心者の不安を、先頭の一番体格の良い――百八十センチメートルの、毛玉だらけのニット帽を被った青年が軽んじ、既に割れているガラス戸に手を突っ込んで鍵を開けた。
ハワイ諸島は第三次世界大戦以前より人口増加問題に悩まされ、当時のアメリカ合衆国政府は農業地帯のハワイ島への移住政策を進め、オアフ島から人民を流し入れ経済復興に努めた。
一方で一時的な人口爆発によってインフラが追い付かず特に犯罪率が増えるという闇も存在し、反乱軍コミュニティによる統治に変遷した地球暦〇〇一七年時点でも改善されていない。
それどころか世界大戦による戦死者達の子供世代――今まさにコンビニエンスストアを漁る彼らのような戦災孤児によって、問題はグレードアップしている。家無き若者達が薄汚れた路地裏に生息するようになり、世界一綺麗と言われた海も観光客が激減した中では宝の持ち腐れだった。
現在無人のコンビニは昼間通り過ぎた大量の銃弾が荒らしており、スナック菓子の細切れが散らばり、床には容器を破壊されたジュースがぶちまけられている。無事だったワインボトルを取り、逆さに喉へ流し込んだ一番年上の男は渋い顔をして言った。
「百パーセントオフだ」
それぞれ計五つの小さな懐中電灯を持ち、光を店外に漏らさぬよう手で絞り、残った商品を判別しながら各々欲しい物を手当たり次第に取っていく。思春期程の年齢の一人が店員専用ルームへ突入、一番小さい七、八歳程の少年はブカブカかつボロボロのコートのポケットにありったけお菓子を詰め込む。
リーダー以外の残り二人がカウンター周辺を漁る。分厚いパーカーの一人がレジ下から鍵を探し当て、今この場では殆ど役に立たない紙幣の束を手に、笑い声を抑え切れない。
もう一人灰コートは放送機器と近くに積まれたCDの棚を眺め、ポカンと口を開けていた。宵に溶けた瞳はライトが照らすジャケットに描かれたドレッドヘアの黒人を見据え、開いている。
「すげえ、レゲエの王じゃねえか!」
「レゲエなんてどれも似たようなもんじゃねえのか。やっぱメタルだろ。ストレス解消にもなると検証済みだ」
「世の中癒しが足りねえんだよ。戦争より愛だ。しかしお前さっきまで臆病だった癖にメタルとはねえ」
「用心に越した事は無えだろ。酒もタバコもドラッグも金が無くなるだけだ」
「おい、倉庫は無傷だ」
二十代前後の二人の争いに、炭酸飲料のボトルを片手で逆さにするように飲む、十代半ばの一人が店のカウンター奥から現れた。
喜びを顔に浮かべた四人。興奮混じりの駆け足で【STAFF ONLY】の看板の奥へ踏み込もうとした。
ふと、一番小柄な一人が足を止め、不審がるように辺りを見回す。気付いた灰コートの青年が「どうした?」と上目使いの少年と向き合った。
何かに怯えているらしく、ポカンと口を開けて何も言わない代わりにつぶらな瞳で外を示した。そこにあるのは、開けっ放しのガラス戸と細かなゴミのみ。
「おいおい、逃げ遅れた奴の幽霊じゃあるまいし、怖がり過ぎだろ」
「……一応見て来る」
痺れを切らした年長者が微妙に震えた声で蹴散らそうとするが、灰コートは背部に隠していたバールを武器代わりに、恐る恐るガラスの外を観察する。
店内から顔を出さないだけでは、月光だけが照らす商店街には人っ子一人居ない。転がる空き缶の音か何かだったのか……四人が見守る中、念入りに開いたドアから顔をヒョコッと出した。
『動くな』
一聞きで分かる抑揚の無く低い合成音声の命令。同時にこめかみを突きつける棒状の物体。
外眼筋だけを動かして斜め上を向くと、半透過性の樹脂に覆われたのっぺらぼうの顔面。
人型の全身も生物的な曲線をした合金の鎧に身を包まれている。手元からはアサルトライフルの銃身が……
すると背後から全く同じ姿をした奴が数体、コンビニへ駆け足で突入していった。
『手に持っている物を捨て、両手を頭の後ろに組め』
二足歩行ロボットは合計八体。当然、全員武装済み。ホームレス側には精々ナイフか工具くらいしか武器が無い。それも果たして機械達にダメージを与えられるのだろうか。
突如店内を明るくするフラッシュライトと冷ややかな警告。目が眩み瞼をパチパチさせる四人組は各々の戦利品を足元に捨て、従った。
人数差どころか取っ組み合いでさえ一対一でも体重は向こう側が有利。機械に命乞いが通じるとも思えん。年少二人組に関しては震え上がり、戦意を失っている。
『連行する』
一体が何処からか手錠を取り出し、パーカーの青年の腕を引っ張る。抵抗しようにもナノチューブ筋繊維で動作するロボットアームはまるで動じない。
「この野郎!」
見かねたリーダー格の青年が一体に向かって走り出し、ほぼタイムラグ無く一斉に向く八つの銃口。一番小さいのが耳を塞いだ。
ボンッ!――辺りを揺らす重い破裂音に突風と耳鳴り。
同時にショーウインドウが中央から拡散するように粉々に砕け、窓際に居た二体が倒れる。リーダーとロボット一体が絡まりながら倒れた。
『伏せろ!』
今度は単調だが、焦りのある明らかな人間の指示。五体が寸分の狂い無く外の音源を狙った。
少し遅れて指示通りに従うホームレス達。次の瞬間、酒類コーナーの棚がグニャリと凹むように変形し、ガラスとアルコールの飛沫を四方八方に飛ばした。
伏したまま炸裂音が囲うコンビニを見回す。時折頭上を掠める素早い物体に青ざめながらも、店の外で浮かぶ大きな鳥の翼の如きシルエットが分かる。
正面窓の殆どは割れ落ちたが、浮遊物には火花は散るものの姿勢は殆どブレない。逆鱗にでも触れたか、今度は一体を圧縮空気の壁が叩き、冷蔵棚へ磔にした。
「全員動くな!」
別の人間の怒鳴り――震える体で伏せたまま孤児達は入り口と倉庫扉から同時に踏み鳴らしてくる人影が四つずつ。
掘削音に等しく激しき金属音の炸裂音の後、生き残りの金属の人形は装甲に無数の穴を残し、だらしなく地面に伏した。
『コソ泥は許すから、そこの軍人さん達の指示に従いな』
声の主は通りで地上二メートルにホバリングする幅五十センチメートル程度の全翼型の飛行機だった。
「そういう事だ。シェルターまで案内してやる」
「シャワーあるから浴びろよ。盗んだ物は持って行っていいから、ほら早く」
「あ、ありがとう、ございます……」
すっかり腰を抜かしたのか、申し訳なさそうに弱り切った数名が頭を少し下げるのだった。年少二人は連行されるギリギリまで粘ってコートが膨れるまで盗んでいたが。
宵闇を自在に浮遊する人影は一キロメートル離れた無人機が捉える、半壊したコンビニから味方の分隊が幼いホームレス達を連れ出す様子を傍観し、ため息をついた。
「悪ガキ共め、お前のようなアホであれ俺達は助けなきゃならねえんだぞ」
『荒れてるな、レックス。戦争孤児か……』
『バカンス楽しめるかもと思ったが、まるで俺の故郷みてえだな』
『二十年程も再建計画が上手く行かないそうだ』
「ハワイ横断してきて夕日の名所来たらこれだなんて当たり前だぜ。“イーグル”が居なきゃ死んでたと感謝しやがれ」
雑音まみれの電波で雰囲気を和まそうとするリカルドと、何故か一人物悲しい語りのクラウディアだが、レックスの苛立ちは収まらない。
『しかし管理軍の奴ら無人兵器好きだな。奴隷戦争かよ』
『ゲリラ戦のリスクも考えての事だろう。しかし向こうとて破壊が目的ではなく、複雑な民間人の確保も行っているからな。中・小隊規模で指示を出す人間の指揮官が居る筈だ』
「おうよ、隠れてるつもりだろうが“神の目”にはしっかり映ってるぜ」
無人機はエネリオンで動作するが、意思疎通はエネリオンではなくテレパシーの原理を利用する。
思考を通してエネリオンよりも小さな素粒子が発生し、それを介して意思疎通を行うという説は物理学者達の中でも有力であるが、トランセンド・マンどころか既存の素粒子実験では観測が非常に難しく検証は不十分だ。
しかし、証明もされていない原理をレックスは信じる。現に彼は四機の無人機を手足の如く操り、夜間カメラが映す、大通りに群れる小隊一つが闊歩する様を共有している。
トランセンド・マンのエネリオン変換にも言えるが、エネリオン認知・変換の素質を持つ者はまず一つの壁にぶち当たる。
それは、「エネリオンは本当に存在するのか」という疑問。不思議な事に、実戦レベルに適さないトランセンド・マンの半分はこの疑いを克服出来ない事に原因があるとされている。
だから仮説を、自分の実践と経験を信じる――俺は今こうして超音速の気流を味方に付け、飛び回っているのだから。
地上五百メートル。逆風を顔に受けながら、建物と道路の間で飛び交う光の筋が無数。煌びやかな閃光も複数見える。
「下界の屑鉄共め、レックス様からの天罰を受けな!」
重力の方向に頭を向け、天に向かって圧縮気流噴射。逆さまでアサルトライフルを掲げた。
降り注ぐエネリオン弾の雨が隊列に無数の穴を空ける。軽装甲車両や多脚戦車はその場に沈黙し、歩兵や二足歩行ロボットは威力のあまり原型すら留めない。
生き残った一際分厚いバンパーを持つ市街地掃討用戦闘車と、取り巻きが、主砲代わりの多銃身機関砲を仰がせた。大口径の掃射を前に宙を漂う人影が描くのは不規則な上下左右の波形。
(中隊指揮者はあの中か)
無数の弾丸が夜空に流星を作っては消える。反撃すべくレックスが放つ不可視の銃弾は瞬く間にモノクロの人影を崩し落とし、車両の漏れ燃料誘爆が各所を染める汚れた赤を黒く輝かせる。一番重そうな奴は穴を空けはするものの挙動に異常は無いが。
ボゴッ――背中を殴られるような、軽くも鋭い痛覚に白人青年の肉体は制御を失った。
「痛っ?!」
質量百グラムのドングリ型の金属粒、秒速二千百メートル──歩兵用携行銃では最大級の威力を持つ弾丸が彼の背中を叩き、先端が潰れ弾かれていた。
“彼ら”にとっては致命傷には至らないが、超越者といえども痛みが無い訳ではない。通常は混戦中に超能力者の意識を削ぐ目的で運用されるが、目や喉、頭といった急所であれば大ダメージも期待される。地面の摩擦が無い空中では尚更だ。
物怖じず、ラテン白人は落ちながら目を閉じた。ちと驚いたが、重力に従う浮遊感には慣れたものだ。落下のエネルギー程度じゃあ死にはしない。
(時間稼ぎのつもりらしいが、残念ながらナイスな位置だ)
“意識を無意識に向ける”――彼の視覚野は六百メートル離れたドローンと共に、上空からあるアパートの屋上、長さ二メートルはあろうかという巨大な金属筒を抱えて伏せる反乱軍兵士を俯瞰していた。
映像の人物は突風によって建物から強制的に飛び降りさせられた。
目を開けると、レックス・フィッシュバーンの肉体は地面を転がっていた。痺れが残る体に鞭を打ち、翳し手。
北から何かが弾ける轟きをBGMの中、衝撃グレネードに匹敵するSEが、掌から分隊を一瞬で蹴散らした。
別班が対物ライフルとグレネードランチャーを一斉に放つ。音速の三倍超の高速弾に対し身体をスライド、遅く緩やかなカーブを描く大口径弾の下を潜り抜けるように走る。
遅れて機関砲を迫る人影に合わせようとするが、目標は射界から既に消えていた。
一秒後、突如として車両はバンジージャンプの如く真上へ舞った。
車両が走っていた所には、消えた筈の青年が両手を頭上に突き出す様が月明かりでぼんやり見える。
蒸気式カタパルトと同じ原理で重火器を無力化したレックスは自分を包囲する殺意へと一足先に、アサルトライフルの銃口を扇状に揺らす。秒間百発の掃射に人機計二十体が引き金を引く猶予も無く、糸を切られた操り人形の如く地に這いつくばった。
残る百八十度の包囲がトリガーに指を掛けたその時、奴らの顔は斜め上に仰いだ。
市街地掃討車が砲塔を先端にして分隊へと降ってきたのだ。一名が下敷きになり、周囲三名は倒れ込むように回避。それでも、見えざる弾丸が彼らをあの世へ送る。
ドガシャッ!――頭上のアパートの四階から小石が降ってきたのだ。
「良い子だ“トムキャット”」
だが彼は警戒するどころか余裕の笑み。
意識を脳へやる――粉塵が舞う最中、携行ロケット砲を持った反乱軍歩兵三人組が気絶しているのを俯瞰する映像。その下にはレックス自身の姿も。
現実の肉体に引き戻す。やっと一段落終え、耳元のイヤホンマイクに触れた。
「ハンさん、今どこら辺まで制圧終わったんすか?」
『お陰様で島中央部の残りは降伏したし、西部市街地も南北から順調に追い詰めているよ。ゲリラの六、七割は安否の確認が出来た』
馴染みの落ち着いたアジア系青年の声に条件反射的な安堵の一息。続けて彼はある事を思い浮かべた。
「目処が立つなら先に俺だけでもオアフ島に行きましょうか?」
『でも島民の安全が先だろう。わざわざ一人でリスク追うよりも確実に行動していくべきではないか?』
『それが、オーストラリアからオアフ側への揚陸作戦は成功したけど、電波妨害がまだ残っている。上陸部隊もそれ以降は詳しい状況も分かっていない。多少の交戦は仕方ないけど、あくまで“調査”を頼むよ』
澄んだ気高い女性が不安を含ませて提案するも、指揮官はシリアスな声調でバッサリと切り捨てる。
「了解っす。一応無人機の内三機はカイルに預けときますわ……何か土産物は欲しいか?」
『気をつけるんだぞ、レックス。お前の無事が欲しいな』
『そんなんよりロコモコの美味いレストランでも予約しといてくれ。決して時間に遅れるなよ?』
「分かってるっての。十二時間後には良いニュースのビラを諸島中にバラ撒いてやる」
鼓膜に残るような同僚達の笑い声を最後に、後方へ両手。
「カイル、さっきの話聞いてたか?」
『勿論。傷一つ無く返すよ』
「クリーニングしとけよ。あと、お前なら八機くらい余裕で操れると思うぜ」
『考えとくよ。元気でね』
「それじゃっ」――圧搾空気砲の反動が体重八十キログラム超の青年を、月が浮かぶ反対側の海へ撃ち出した。
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