13 : Drink
「ま、待ってアンジュ、落ち着いて!」
「彼もまだ病み上がりだから……」
青年二人が後ろから引っ張るようになだめた。一方、少女は俯いて袖を目元に拭っている。
「だ、だって……私が見落としたせいでアダム君が……」
アンジュリーナはか細い声で呟いた。何かの拍子に崩れるのではないかと思う程、体が震えている。
「気にしないで。そもそもあの騒ぎ自体が捕虜二人によると、彼らによる陽動だったそうだから」
「そうだ、お前さんは自分を責め過ぎる。少しは人のせいにしたり、私みたいな老いぼれに頼ったって良いんだぞ」
少女が顔を振り上げる。中華青年の受け入れる姿勢を見て息を整えた。
「ごめんなさい、取り乱して……」
「大丈夫、少なくともアンジュ、君のお陰で陽動が発展せずすぐに収まったのは事実だし、最初に君が気付いたからアダムを見つけられたんだ」
「あと軍人達が陽動を暴行事件として調べてたが、お前さんも評判だったぞ。目撃者が可愛い女の子が止めてくれたんだと……」
ドイツ系青年からもフォロー。無理矢理スコットランド系の中年男性も並んで励まそうとするが、
「アンジュ」
別の男性の声が引っ込ませる。他に比べ、比較的高めだ。
斜め下、ベッドの上で仰向けになっている少年の青い瞳が四人を眺めていた。
「大丈夫なの?」
「もう問題無い。少なくともあれは自分の不注意だった。ほんの一瞬の電流に油断した。だが、少なくとも君が居なければ自分の発見は更に遅れただろう」
話を遮られたチャックは物寂しくこめかみに指を当てていたが、他の三人は真剣に聞いている。
「でもこんな目に遭わせてしまったし……」
「だが、君が暴動を止めなかったら被害は更に広がっていたのだろう。少なくとも被害は最小限に出来たという事だ」
「でも……」
大きめの東洋人の手が、少女の細身の肩をポンと叩いた。
「アンジュ、過去に押し潰されないで。多数と少数の選択じゃない、その時君が出来る事をしただけだ。別に君だけに責任がある訳じゃない。気付けた人は少なかった。だから少なくとも対応も遅れた僕よりアンジュ、君の方がずっと立派だよ」
「僕の探知能力だって君が最初に気付いたからこそ発揮できた。監視カメラからあの時の位置を確認しなけりゃその後の動向の発見は難しかっただろうし」
二人の青年の温かい声がアンジュリーナの口元を和らげる。
「一人で背負わなくたっていい。強いて言うなら、その場に居合わせる事さえ出来なかった僕達の責任だ」
「でも、ハンさん……」
「アンジュ、君は悪くない。せめてその事実が分かればいい。アンジュは暴動を鎮圧していたし、僕達はそもそも分からなかった。誰のせいでもない」
諭すようなハンの口ぶり。何処か哀愁を帯びた喋り方にはその場の誰もが引き込まれていた。
「僕達は、誰だって何時死ぬか分からない状況で生きている。そこに責任は無い。ただ決まっていない理不尽な機会が平等にあるだけだ。その時までに悔いの無いよう、生きるのが僕達だよ」
少女はコクコク頷き、次第に笑顔を取り戻していった。アダムも寝台から上体を起こしてしかと聞いている。
「そうですよね。その瞬間、自分に出来る事をしなきゃ」
「ほれほれ、ティータイムにするぞ。私が今出来る事といえば予め淹れておいたコーヒーを皆に配る事だ」
年長者が多少強引に話を切り替え、医務室の水道設備近くに置かれたコーヒーポットを取ってくると、何処からか持って来たカップに注ぎ始めた。
尚、四杯注いだ所でポットが空になり、仕方なく自分が飲もうとしていたカップを、飲みたいのかそれとも単に見ていただけか、こちらを眺めるアダムにおずおずと差し出すのだった。
「もっと大容量の奴を買おうかな……」
サイケデリックなストロボが彩るバー、端の方のテーブルにて。
「……って訳で駄目だった。すまんな」
黒いボサボサな髭が印象的な男性、アルフレッドは肉を掴んで頬張り、申し訳なさなど微塵も感じられない姿勢で平然と言い放った。
管理軍拠点のカルガリー市、とあるビルディングの根元に埋められた酒場の中では、一世紀以上昔に流行ったコンピューターによる高音のメロディのループと、一分間に百三十回程打ち込まれるバスドラムが場を盛り上げ、若者十数人が店の端に設けられた演奏台で踊り狂っている。
「そうか……私も無理を押し付けてしまったようで申し訳ない」
テーブルの向こう側、対面する赤毛の男性、クリストファー・ディックは潜めた声で言った。近くで耳をそば立てなければ、店のBGMと若者の歓声にかき消されているだろう。
「おう、何せ探知が狂ったみてえに優れてる二枚目が居てな、これが俺達の居所をすぐに突き止めたわ、俺の攻撃を的確に防いだりしたわ、優男の癖に骨のある奴だった。可愛い嬢ちゃんも居たな。結婚したいくらいだった」
若干引くような視線を送る赤毛の男性は無言だった。それを見ても髭面は依然と笑い、話を続ける。
「ところであんた、攫おうとしてた奴だが、これがまた面白くてな。これ見ろよ」
言った途端、髭の男は来ているシャツの腹からめくり、鍛えられ割れた腹部を見せた。
白い肌は赤く腫れ上がり、静脈が浮き出ている。それを眺めて怪訝な様子の店長が問い掛ける。
「痛くないのか?」
「奴の能力らしい。エネリオンを食らってずっとこれだ。どうしてこうなったかは知らんが、痛くも痒くもない、変にムズムズする。何て言うか、ここだけ感覚が変に鋭くなったっていうか……」
またも無言。今度は深い息が鼻から漏れていた。
「その様子だと面白え情報をあのガキが持ってるらしいな。なあ、聞かせてくれよ」
にんまりとアルフレッド。肘を卓上に乗せ、上体を寄せる。
「……これだけは言える。“アダム”には人類どころかトランセンド・マンすら覆す力を持っている、筈だ」
「ほう……?」
中佐は至って真面目だった。幾らアルフレッドがニヤけ面を見せようが動じず、平坦な声だった。
「おいおい、こんな所で仕事の話ばっかすんなよ。せめて酒を飲め」
「犬の小便なんて飲めるかよ。やっぱ世の中は肉と金と女だろ」
「ここはステーキハウスじゃねえんだっての。何度言えば良いんだ。まあ別に良いけど。はいよ。ところで軍人さん、あんたは何も頼まないのかい?」
テーブルを挟む二人の間に割って入ったのは店の主。黒い鉄製の皿に乗った肉が運ばれ、「待ってました」と言わんばかりにアルフレッドは素手で、湯気を放つ茶色の肉を鷲掴みにして食い付いた。半透明の油が滴り落ちている。
赤く冷たい瞳がしばらくその様子を観察していたが、やがて赤毛の男性は店主を見上げ、言った。
「何かお勧めのワインを一杯。年数が少なくて酸味が強いのが良い」
「分かった。物好きだな。アルフレッド、まともな客はこう注文するんだ、分かったか?」
説教に対しアルフレッドはわざとらしく耳を塞ぐ。言われた店主は一度カウンターへ、暗い紫のボトルを棚から引き下ろしている。
「ところでディックさんとやらよ、さっきの話、もっと詳しく知りてえんだが、聞かせてくれよ」
「……」
「せめてこうなった理由だけでもよお。成功報酬に比べりゃ安いもんだろ?」
「しつこい男はモテんぞ。だからお前結婚したい結婚したいといつも嘆いてるんだろうが。軍人さんよ、こいつでどうだ? 店自慢のブルゴーニュだ。今や醸造家が少なくて仕入れが大変なんだぜ」
「うるせえ、俺を嫌うような女とはハナから付き合いたくねえ」
「そういう所だっての。第一お前は身なりと食い方が……」
戻ってきた店主と雇い人の間で罵倒が飛び交う最中、「どうも」とクリストファーは紫の液体が染めるワイングラスを静かに受け取り、その淡い色合いを眺めた。
「産地が地中海だから中々味わえん。ブルゴーニュ昔は栄えていたみたいだが、今じゃもう狭っ苦しい植物工場に生えてるだけだ。昔のあの辺りの写真を見た事がある石の建物に葡萄畑に小麦……行ってみたかったがもう叶わんな」
アルフレッドとの会話で半分不愉快さに顔をしかめていた店長は、自慢気な笑顔と語り草でワインを示した。
「折角南の方だとカルフォルニアやらチリやら葡萄の名産地があるんだが、“反逆者共”のせいでそうもいかねえみてえだな。あそこは今は放棄されていて制圧すりゃ十分な農地が出来る筈だ。古き良きローマの風景が浮かぶねえ」
地球管理組織は、“表向きには”人間社会に害をもたらすと見なしている嗜好品や芸術作品、ポップカルチャー等を撲滅しているという扱いだが、実際は“隔離”である。
現実、社会に対する不要物と断定されたものは、このバーと同様、地下街に封じ込め、外向きの社会と切り離している。表向きの社会にそれらを取り入れる事については罰則が厳しくもあり、特に趣味嗜好やDNAの関係性によっては要注意人物としてレッテルを貼られる事もある。
「だが、俺は期待してるぜ。慣れりゃ地下に閉じ込められるのも悪くねえ。むしろ邪魔されねえで好き勝手やれるから嬉しいねえ。ガキの頃管理社会とやらはあまり良い印象ではなかったが、今はそうでもねえ。反抗して何になる? ただ美味えステーキが食えねえだけだ。別に反抗さえしなけりゃ捕まるなんて事もねえ。それに、制圧すりゃ土地も増えて自由も増える筈だろう……あんた、俺の詰まらん話よりもワイン飲めよ」
苦笑する店主に、ディック中佐は赤みがかった淡い紫の液体を一口含む。少し間を置いて飲み込み、もう一口。
「幸福の味だ、嫌な事を忘れられる。あんたらの目的が何なのかは知らんが、別に俺は俺にとって不利益が無けりゃ興味ねえ。だからせめて俺はここで言っとくぜ。良いワインの産地を取り戻してくれ」
「その内な……」
期待の眼差しを向けられ、また飲み込んだ所で中佐は口を開く。自信が無いのか、それとも無関心なのか、口ごもった喋り方だった。
「おい、俺の質問は?」
「あっお前そういう……」
「仕方ない、少しだけは言っておこう」
躊躇無く言う再び問うアルフレッドに店主が呆れたが、ディックはまたもワインを一口、ついに認めた。
「“アダム”は、恐らく進化の鍵を握っている。その為に必要なDNAを持っている」
「どんな?」
「簡単に言えば、地球の生物に無い未知の塩基が二種類ある」
「それ生物なのか? それは俺がこうなったのと関係あるのか?」
赤く腫れた腹を指す。
「だろうな」
「素人が突っ込んで申し訳ねえが、その皮膚、単に血行が良くなったようにしか見えんがな」
「その通りだ……人間の感情や精神が何なのか。考えた事はあるか?」
二人が首を横に振る。中佐の目が鋭さを増した。
「“アダム”はその由来そのものを決定する力を持っている筈だ。まだまともに実験出来ていないのが残念なのだがな……」
「面白え。もし今度また何かあったら俺を呼んでくれよ」
「お前、失敗したんじゃなかったのか?……」
他人に媚びる常連客に店長の送る視線は完全に白けていた。尚、本人は目線に気付くと何故かニヤけ、クチャクチャ音を立てながら油まみれの肉に囓り付いた。
「構わん。お前の能力とやらは私にとっても興味がある。何せウイルスを自分のDNAから合成するだなんて、私の研究に近いものを感じる。ウイルスは進化に広く関わってきたのだからな」
ディック中佐は一見興味なさげな無表情でそう言うと、グラスに残ったワインを飲み干した。
店内BGMの低音が空気を揺らし、ダンスが盛況を迎える中、その滑稽な様子を見て店主は首を傾げたが、アルフレッドの方は相変わらず気味の悪い笑顔で肉をむさぼり食っていた。
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