2 : Throttle

「もっとだ! もっとグイグイ行こうぜ!」


 高速で横切るバイクを見届けたジャケットを着ている青年、レックスは興奮したように叫んだ。


 バイクは黒いボディと緑のアクセントが特徴的で、空気抵抗を考慮された流線型のボディだ。エンジンを甲高く鳴らし、緩やかな長い左カーブを突き進む。


 周囲は平たく、楕円状にエリアを囲む破れかけの金網のフェンスと、その外側には朽ちた観客席。レックス曰く、戦争が起こる前には北アメリカでも有名なサーキットだったという。


 タイヤがボロボロのアスファルトを削り、スピードメーターは時速二百キロメートルを示していた――バイクに跨がる黒いヘルメットを被った小柄な人物は、目の前に見える左コーナーに対して、グリップ右のフロントブレーキを握り、右足ペダルにあるリアブレーキを踵で踏む。


 前後のブレーキを総動員させた車体は減速し、傾いて左足のペダルでギアを下げつつ赤白の縞模様の縁石すれすれのラインを走る。


 コーナーは抜けたが、続けて右方向へのコーナー――体を逆に傾け、またも内側をキープする。脱出し、スロットル全開。


 加速――緩く左に曲がる。バイクに掴まる小柄な体躯は、慣性の法則によって後ろに引っ張られる錯覚を感じていた。


 ほぼ九十度の左コーナー。ギアを一段下げ、ある程度速度を維持したまま突っ込み、カーブが終わると、アウトコースに逸れた。


 間もなく、同じ方向のカーブが見えた――外から内へ、速度を付けて縁石ギリギリを曲がる。


 滑るかの如き挙動を見せてバイクは速度維持とインコースを両立してみせた。しかし油断はならない。すぐ先には左方向にS字のカーブ。


 まず左に車体を傾け、すぐさま右に――S字をほぼ真っ直ぐに抜けた先には、右へ百八十度のきついカーブが待っている。


 ブレーキ――フロントタイヤとリアタイヤ双方の速度をバランス良く調整する事で姿勢制御が出来る。身体が前に投げ出されそうになる。


 ヘアピンカーブを抜けると、ストレートに出た。存分にハンドルを捻り、加速する。


 百七十メートル程の区間を経て、次は右方へのS字カーブだ。バイザー越しに確認する頃にはバイクは十分に減速していた。


 右、左、と傾けた体を戻してアクセル全開――霧化した燃料の混じった吸気がエンジンのシリンダーへ流れ、ピストンが圧縮する。プラグから生じた火花が混合気体を燃やし、膨張した空気はピストンを押して、排気――ブオオオオン! とマフラーのエキゾースト音。


 ガチャリ、と断続的なクラッチを入れたり切ったりする音。空気抵抗を減らす流線型のボディをもってしても、空気の壁が加速を阻む。エンジンは震え上がり、グローブをはめたライダーの手も一層グリップを力強く握っている。


 五百メートル程走った所で、減速しつつ右へ傾き、続けてタイヤが縁石に触れるか触れまいかのギリギリのラインで左へ。コーナーから脱出したら次は左へ緩いS字。


 曲線など気にせず、轟音と共にスピードを上げていく。途端、右足のブレーキペダルを踏んだ。


 ほぼ直角の左カーブ――車体は速度を保ち、スピンするようにコーナーの方向を向きながら、乾いた路面を滑る。


 コースと平行になった瞬間、後輪ブレーキを放す。スロットルを最大に捻り、四速、五速、と徐々にシフトアップ。共に進行方向に逆らう引力。


 緩やかに折れ曲がる左カーブがあっても、躊躇わずアクセル。左へ少しずつ曲がりながら、遂に最大の六速に達した。ウインドシールドが邪魔する風を押しのける。


 スピードメーターは時速二百二十キロメートルを示している。黒いヘルメットの人物はバイザー越しにコースの先を常に見詰め、動きに一切の乱れも無い。


 やがて、【AUTO CLUB SPEEDWAY】と書かれた、青く古ぼけたスタートラインを高速で通り過ぎ、バイクは止まる。路面端で立ち尽くすギャラリー達が楽しさに声を上げた。


 車体を降りてヘルメットを外したのは、小柄な少年アダムだった。人口皮革製ジャケットを羽織る彼はバイクを押して歩き、サーキットの外へ出る。


「お疲れ。良いタイムじゃないか?」


 サーキット外側のボロボロの客席から、銀髪を揺らして駆け寄り声を掛けたのは、Tシャツとジーンズ姿のクラウディア。口元は笑みに引き上がっている。


「凄えぜ、四百ccクラスじゃあトップレコードに迫るタイムだ!」


 次に左手首の腕時計型端末を見せながら、興奮したようにレックスは喋った。端末の画面には一分三十秒程の数値が縦に三列、合計四分半にも満たない記録。


「しかし、まさかドリフトを使うどころか使い所まで把握したのか? だがタイヤも削れるだろうに。車体にも負担掛かって危ないんじゃないのか?」

「あのコーナーならドリフトの方がスピードを出せた筈だ。三周だけならグリップは保てる」

「成程、この前の格闘訓練といい、柔軟さは感心するな」


 間もなくテキパキと答える少年に、クラウディアは賞賛を込める。生徒を褒める先生のようでもあった。


「クラウディアは教科書通りなんだよ。とはいえ、俺は教科書なんて読まず自己流だがな……」


 駄目出ししつつ自虐を込めたラテン人の発言に女性はクスリと笑う。


「私は別にレースじゃなくただ運転するのが好きなだけだぞ。お前達みたいに馬鹿騒ぎのために走る意味が分からない。趣味は他人との関わりより、自分のしたい事をするものだろう」

「そりゃあお前、お嬢様には優雅なのがお似合いですよ。まあ俺達がただイカれてるだけだろうが」


 青年はわざとらしく北欧美女の前でお辞儀をしてみせ、クラウディアは苦味を含んだ微笑みを見せた。


「しかし、アダムは何かが違うんだよな。理論も直感も兼ね備えている。容赦無えっつうか、無駄が無えっつうか……」

「ああ、あと飲み込みが早いんだな。私からも少し太極拳とフェンシングを教えたが、コツを掴むのが上手いんだ」


 半分置いてきぼり状態の少年を見て話し合う二人。尚、当のアダムは話を聞いているどころか、会話する二人の間の空間に視点を向けているだけで、何を考えているのか一切分からないが。


 サーキットを見ると、別のバイクが大気を震わせて路上を突っ切っていた。あちこちに見掛ける何十人もの観客が応じて歓声を上げる。


「で、アダム、中型バイクでここまで上達したんなら。もっと大きい奴にでも乗らねえか? 千ccあると三百キロくらい出る。その分重いし燃費はアレだが……それでもコーナリングのテクニックが要求されるし、軽量化考えるのも楽しいぜ」


 すかさず「本当に好きなんだな」と呆れを含んで突っ込むクラウディア。「まあな」と笑顔で返すレックスを見ると、クラウディアにも笑いは伝染した。


「具体的にはどうやる? このボディではこれ以上大きなエンジンは積めないし、電気系統も大きく変更する必要があるだろう。タイヤも替えて……」

「無いなら作ろうぜ。文明は一度崩れたが、全部消えた訳じゃねえ。確かに残っている」


 ブツブツと話を独りでに進めていく少年。対する青年は、そこへ強引に割り込み、格好付けるような言い方だった。表情も自信に笑っている。


 リサイクルによる物質の再精錬技術は、電子回路の細かな金属の種類までも分けられる水準に達している。精製コストもダウンし、資源枯渇問題は解決されたとも言える。


 これと3Dプリンターによるオーダーメードの簡略化によって、ガラクタからピカピカの自動車を作る事すら可能にする。


「まずはどんな奴作る? カワサキ? ホンダ? BMWでもどうだ?」

「今の機体をそのまま大型化したような物が良いな。アクセサリーやディティールが気に入った」

「ようし、ニンジャで決まりだな。道路交通法がユルいから幾らでも改造し放題だぜ」


 何故かアダムよりも先に言い出し、レックスはまるで自分の事のように楽しそうに喋り始めたのだった。そこへ、呆れて苦笑いを浮かべる女性が乱入する。


「全く、男の子というのは悪だくみが好きだな。女子達も入れずに。“議会”で取り締まるようにとでも言っておこうか?」

「女の子にモテようと企むものでね。そりゃあねえだろ、俺達は縛られたくねえからここに居るんだろ?」

「ごもっとも」


 “議会”とは、反乱軍による今後の都市統制や地球管理組織との対立をどう決めていくかという、司法、立法、行政が統一化したような政治システムである。


 一見すると独裁に近い体制だが、システム自体は民主主義に近い。反乱軍の構成員が半分、統治都市の市民が半分、これらによってスムーズに行われている。


 権力が一極集中しがちではあるが、州・市規模という都市圏では効率が良い。反乱軍は世界各地に存在するが、政府機関としては独立しており、有事の際に団結するような仕組みである。


 ところで、ジョークを効かせて反抗したラテン青年は北欧女性が吹き出すのを見ると、気を取り直して再び喋った。


「さて、バイクは今度作り始めるとして、今からクラブ行かねえ? 昼までまだ時間あるし」

「また? ナンパされるのはもうこりごりだ」

「美人って証拠なんだよ。それとも音楽は嫌いか?」

「いいや、聴くのも弾くのも好きだ。これでも昔は色々習ってたんだぞ」

「流石お嬢様。観客を沸かせてみるかい? ヤカンみたいに簡単じゃないが、楽しいもんだぜ」

「私なんかで良いのか? クラシックなのしか弾けないぞ?」

「構わねえ。良い音楽ってのはいつの時代も通じるもんだ」

「たまには良い事言うじゃないか」

「リョウとは違うんだよ、リョウとは」


 長い言葉の駆け引きの末、クラウディアを笑わせる事に成功したレックス。喜び、サーキット脇に置かれた大量のバイクの元へ歩み始める。


「なら今度私の趣味にも付き合ってくれ。山か海にでも行きたい」

「仰せのままに。おい、アダム、何ボケッとしてるんだ? 行こうぜ」


 冗談めいた返答をしつつ、バイクを片側に棒立ち状態で何処かをぼんやりと見詰めていたアダムへ声を掛けた。当のアダムは三秒だけ周囲のサーキットと観客達を眺めていたが、終わるとキッパリ指示に従った。


 レックスは青が基調のスピードバイクに跨がり、クラウディアは白黒に塗られた、風避けカウルの無いネイキッドタイプの機体。それぞれヘルメットを被った所で、黒緑のバイクが合流。


 三台は周囲で熱狂する観客と、アスファルト上を駆けるバイクをお構いなしに、廃墟群の中へ消えていった。





















(危ねえ。危うくバレる所だった……)


 サーキットの端、レースを見守る人混みの中で、その人物は息を深く吐いた。


 心拍は毎分九十回のペースにも及び、額を冷や汗が伝い、心の中では動揺している。それでも外側の人物は一切気付いていない。


 茶色の目に茶髪、服装はカーゴパンツにジャケット。ごく普通で周囲の視線を引く事も無い。


(さて、ボスに報告報告)


 思考――耳穴に埋め込まれたイヤホン型端末は彼の念を電気信号にし、電波にして飛ばす。


(こちらオートクラブだ。趣味はバイクだそうで。日本製とはセンス良いもんだ。詳しくは後で合流した時に言うとしますぜ)

『ようし、そこへ行く頻度も調べなきゃな。しかしバイクに乗れるだと、反乱軍に入りてえな』


 念じる直後、緊張感ゼロの低い声が返ってきた。それどころか無理矢理楽しもうとしている雰囲気でもあった。


(だったらこんな泥臭い仕事なんてせずに、入れば良いじゃないですかボス)

『金が欲しいんだよ俺は。それに傭兵の方が俺には性に合ってる』

(へいへい……それで、どうやら奴ら次はクラブ行くらしいっすけどどうします? 実はさっき気付かれそうになりましたがね)

『クラブねえ、楽しそうだ……混んでるだろうからバレねえだろ。接近は避けた方が良いな。もう一人行かせとくか。その代わり俺の分のジュース貰ってこいよ。俺は周囲の奴らをもうちょい調べてるぜ』

(了解)


 応答した瞬間、耳の穴に直接響く声は途切れた。


(ったく、ボスの奴も人使い荒いな……)


 通信機を切って心の中で愚痴る。見ると、サーキットのゴールラインを一台のバイクが猛スピードで通過した所だった。


 それを見る観衆達は声を上げる。それらに紛れて、茶髪の人物はボロボロの建物がそびえる旧市街地方面へ歩き始めるのだった。

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