第5話の2 茜

 取材の後、萌恵と別れた茜は、何となくそのまま帰る気がしなかった。

 でも、火事の現場に戻る気はない。茜は、占いの館の周りに異様などす黒いものを感じていた。ぶらぶらと歩くうちに出くわしたのが、袖無し半天の男だった。

 茜は、萌恵がその男のことを気にしていたのを覚えていた。萌恵は否定したが、茜にはそれが嘘だと分かっていた。茜は、袖無し半天男の後を追って行った。

 追っていく内に気づいたことがあった。袖無し半天男は、茜の目に映る色合いが変化した。全く別人かと思われるほどの変化だった。

 茜が距離をあけて追いかけ始めた当初は、ちょっと暗い感じの色で、落ち込んだ人でよく目にした感じだった。それが、ある瞬間に、明るい色合いの色調に変わって、歩き方が大股になり、スピードも早くなった。胸を張り、堂々としているように見えた。

 茜は小走りしないと追いつかなくなり、次第に距離が開き始めた。袖無し半天男は、途中で電車に乗ることも、バスを利用することもなく、歩き続けた。茜は取材のため、母親が買ってくれた靴を恨めしく思った。いつも履いているスニーカーにしておけば、まだ楽だっただろうにと思ったのだ。

 そのせいか、そろそろ三輪坂町に戻ってきたかなというくらいのところで見失った。

 残念。茜はそのまま歩き続けて、神社の鳥居を抜けて、石段を登った。境内を通り、反対側の急な坂を降りると、茜の家はもう近い。家と言っても、一軒家ではなく、マンションだ。

 その神社は籠神社といい、茜は学校の帰りによく通り抜けていた。その坂は、通る人が少ないので、茜は気に入っている。体力的にはきついけど、のんびり降りれるところがいい。

 疲れが溜まっていたのか、家に戻るとホッとして、そのまま眠ってしまった。夜中に目が覚めると、机の上に夜食のサンドイッチとカップ紅茶が置いてあった。母親のお陰だろう。茜はサンドイッチをパクつきながら、ぼんやりとそう考えた。

 お腹が満ちてくると、昼間の袖無し半天男のことが思い出された。不思議なことに茜に見える共感色は二種類に変化した。茜にとってそんな人は初めてだったし、立ち居振る舞いも全く別人に見えた。とても気になったので、茜は翌日また男を見失った辺りに行ってみることにした。

 今度は苦労して急な坂道と石段を登り、籠神社の社殿の裏に出た。社殿の脇を通って、参道に回り込んだところで振り返って、社殿の神様にペコっと一礼。幼い頃からの癖みたいなもので、なんとなく体がそう動く。別に信じているわけでもないし、親に聞いた話では、この神社の神様はとても恐い女の神様だそうだ。

 鳥居をくぐって、広い石段を下ると、昨日、袖無し半天男を見失った狭い通りに出た。たまに車が走ってくるから、道の脇の塀の陰から通りの様子を窺った。

 また、現れるだろうか。心配になる。でも、気になる。

 通りから脇道に入り、神社の森に沿って古い住宅街の中を歩いた。神社の森の向こう側は、JRの鉄道を見下ろす崖だ。狭い一戸建て住宅の奥にアパートが建っているところもある。下り坂になり、降りていくと途中に、長屋のような建物に数軒居酒屋が入っていた。その先はもうJRをまたぐ陸橋だ。

 茜はそこでUターンして、来た道を戻って行った。建物と建物の間にいくつも路地があった。そのいずれも、覗き込んでみると、行き止まりばっかりだった。戻る道は、歩いて来た道以外になく、車が一台通れるくらいの幅だった。

 疲れたなあと立ち止まり、汗を拭いた。誰の家の塀とも知れぬ石積みに腰を下ろし、一息つく。喉も乾いて、頭がちょっとぼんやりしてきた。無駄な思考が途切れたのがよかったのか、茜の共感覚が閃いた。

 周りの景色が変わった。何もかもが色を失い、画質の落ちた白黒映画を見るかの如くになった。その中で微かな違いがある。最近見たことのあるくすんだ灰色に近い黒を感じた。

 異様な色の世界を、その黒に向かってゆっくりと歩いていく。人ひとりがやっと通れるくらいの狭い路地だ。JRの崖地に近づいているのは、何となくわかった。行き止まりになるんじゃないと思った矢先に、細い石柱に挟まれた入り口に出くわした。古いアパートの入り口で、建物まで少し石畳がある。

 アパートの1階の右端、崖地に近い方の部屋に色を感じた。あの袖無し半天男のものだ。いや、正確にいうと、ちょっとおどおどした方のだ。茜は、こんなとこに住んでいるんだと、ちょっと驚いた。萌恵さんはあの男と一体どこで出会ったのだろう。関心を持つほどの何かがあったというのだろうか。

 その時、袖無し半天男が動いた。部屋を出た。

 茜は門柱の脇に身を隠した。男はなかなか出てこない。トイレだったのだろうか。近づいてくる色合いに変化があった。堂々とした方と入れ替わって、玄関から出てきた。

 茜は、慌てて崖の方にある竹林に身を寄せた。

 男は茜に気づいていない様子で、そのまま狭い路地を崖とは反対方向に歩いていく。同じ顔、同じ格好なのに、こんなにも印象が違うのだろうかと茜は不思議に思う。二重人格というのは、こういう人のことをいうのかも、と勝手に想像してしまった。

 それから、茜は暇を見つけては、男の後をつけた。興味が湧いたし、この男が何かをしでかしそうな気がしていたからだ。

 茜は、男を二つの呼び方で区別することにした。挙動不審でおどおどした方は山猿、どっしりと構えて行動的な方はゴリラ。外に出たときには、ゴリラであることが多い。山猿が出て来て、途中でゴリラに変わることもあった。

 もう一つ不思議なのは、ゴリラはふと姿を消すのだ。角を曲がるともういなかったり、脇の茂みや林の中を覗いてもいなかったりする。茜の追跡に気づいている様子はないのに、姿をくらます。しばらくすると、別の場所にひょっこりと現れる。

 一体何をやっているのだろうと茜はますます興味が湧いた。

 とはいえ、高校一年生の茜は学校にも行かねばならない。毎日、男の追跡に関わっている訳にもいかなかった。そこで、学校の行き帰りに、男のアパートの近くを通り、男の発する共感色を見極めることにした。ついでながら、籠神社の境内を通ることも増えた。

 ゴリラは明らかに何かを探していた。他人の家の庭にもずけずけと入っていく。山猿なら、絶対にそんなことはしない。

 色合いでも分かるようになった。山猿は淡いブルー、ゴリラは明るい赤だった。しばらくすると、離れたところからでも、ゴリラを見つけることができるようになった。

 ゴリラは脇道に入ったとき、林の手前、折れ曲がった狭い路地の途中など、ちょっと見失ったくらいにところで、いなくなる。塀や林の中を覗き込んでも、何処にも姿がない。不思議なのは、たまに林の中などに入ろうとすると、見えない壁のようなものがあって入れないことがあることだ。硬い壁というよりは、強い空気抵抗にあう感じだった。その先に行けない点では壁と同じだと思う。

 その場所の翌日行ってみると、すんなりと林の中に入れた。雑木林で足元も悪く、おっかなかったけど、どこまで行っても、何もないし誰もいなかった。ここじゃないんだ、と茜は思った。その思いの裏には、きっとどこかに隠しているものがあるという確信もあった。

 ゴリラが探しているものって何だろう。

 逡巡しながら数日が過ぎた。日を追うごとに山猿は元気なくなり、部屋に籠りがちになった。疲れ果てたように動きも鈍くなってきた。ゴリラとなると、元気いっぱいで動き回っている。まるで、山猿はゴリラに体力を奪われてしまったかのようだった。

 そのゴリラも、アパート周辺の道路に突然現れた警備員や警官に呼び止められることも多くなった。もちろん、茜も同じだ。ゴリラは住人だからアパートまで帰れたが、茜はゴリラの後を追う理由を説明したところで、理解してもらえるはずもなく、渋々引き返すことになった。

 すぐにも規制線が張られ、銃器を持った自衛隊員も巡回するようになり、茜は規制線の中には全く入れなくなってしまった。

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