第5話 異変

 萌恵は茜と一緒に近くのカフェに入った。占いの館の玄関が見えるカフェで、ちょうど窓際の席が空いていたのも都合がよかった。萌恵が先に占いの館が見える席に座ったので、結果、茜は占いの館に背を向ける形になった。萌恵は自分の見た光景の意味を確かめたかったし、そのことで茜に要らぬ不安を与えたくはなかった。その点、ちょうどいい。

 萌恵は、時々外を見るふりをして、さりげなく、占いの館の様子を窺った。

 占いの館は、人の動きもなく、静まり返っている。人気の占い師と聞いていたのに、訪ねてくる客の姿もない。

 チラチラと外ばかり見ていたので、流石に茜も気づいて、「何か動きがありますか」と聞いてきた。

「あら、ごめんね。よそ見ばかりして」

「いいえ、何か気になることがあるんでしょ」

「まあね。あの人たち変だったでしょ。気づいた?」

「ええ。何か見えますか」と、茜は振り返って、占いの館を見た。

「何にも。あの人たち、一体何やってるのかしら」

 じっと見ていた茜が占いの館を指差して「ちょっと変です」と言った。声が震えている。

 変と言われても、萌恵には何も見えない。「変わんないわよ」

「建物全体が何か黒いものに覆われていってます」

「見えるの」

 茜は、頷いた。その表情から、本当のことだと分かった。茜には、萌恵に見えない何かが見えている。それは、萌恵が身体を離れて跳べるのに対し、茜はそれができないことと同じ。茜には、何かが色で見えてるのかもしれない。

 占いの館の前を通り過ぎようとした若い女の子たちが、急に驚いて、不安そうに辺りを見回すと、占いの館の前を避けるように足早に歩いていった。それを見て、萌恵も異変が起きていることを理解できた。

 一見、静か。道を通る人とて少ないので、気づく人もほとんどいない。

 そこに薄汚い袖なし半纏を着た若い男が歩いてくる。髪の毛はボサボサで、量も多く、顔が半分隠れてしまっている。しかも、下駄。変わった奴だ。なのに、なぜか、萌恵は気になった。じっと見つめていると、男は占いの館の前で立ち止まった。

 建物を見上げている。萌恵や茜と同じように、何かを感じているのだろうか。だとしたら、能力者? ますます興味が湧く。

 茜が笑って、「あの変な人、気になりますか」と聞いてきた。

「えっ、いいえ、別に」と萌恵は誤魔化す。

 男は何を思ったのか、占いの館に背を向け、萌恵たちのいるカフェに向かって歩き出した。見ていたの、気づかれたのかしらと不安になる。目をそらして、よそを見ているうちに、男はカフェに入ってきた。萌恵は茜の陰にちょっと身を隠す。

 杞憂だった。男は、空いている席を物色しただけで、離れた壁際に座った。

 でも、気になる。茜はくすくすと笑っている。変じゃない。これは、きっと何かあると、萌恵は思う。胸のときめきとかは、全く感じないのだから、それ以外の何かがある。萌恵がちょっとムッとした表情で見つめると、流石に悪いと思ったのか、茜も笑うのをやめた。

 半纏男は、紅茶を頼んだ。ミニスカートの店員に笑顔を向けている。なんだ、普通じゃん。どうして、気になるのか。萌恵にはさっぱりわからない。

「あっ」と茜が声を上げる。

 指さした先に、異変が起きていた。占いの館から火が起きている。火事。カフェの客の中にも気づいた人もいて、騒がしくなった。萌恵も立ち上がって、燃え上がっていく炎をガラス越しに見つめた。

 中の三人は大丈夫なのか。茜が、萌恵の手を掴んでくる。その顔はとても不安そう。あの三人を心配しているから。それとも、何かもっと恐ろしいことが起きることを予感しているから。幸か不幸か、萌恵には予感や予知の才能はなかった。あるがまましかわからない。萌恵がいま、心配しているのは、自分の意識が身体を離れて、あの炎の中に飛び込んでしまうかもしれないこと。そうなると、自分ではコントロールできない。意識だけなら、焼け死ぬことはないとしても、戻ってこれるのかどうか、自信がない。

 炎はますます燃え上がり、占いの館を覆い尽くした。もう生きて、館から外に出て来る者は誰一人としていないと思われた。消防車のサイレンが聞こえ、救急車も駆けつけてきた。警察官がカフェにも現れ、早く避難するよう促した。

 店の従業員の案内で、裏口から逃げ、消防車の背後の狭い坂の下から崩れ落ちる占いの館の様子を見ていた。今回の仕事はなしだなって思う。取材記者が死んでしまったのだから、記事になりようがない。

「帰ろう」

 茜が萌恵の袖を引っ張った。

「何」

「あれ」

 人混みの向こう。袖なし半纏男がいる。茫洋として火事を眺めている。

「やっぱり変な奴かも」

「気になります?」と、茜。

「まさか」

 火事場好きの猟奇的な男かも、という気がしてきた。あの顔、笑ってるじゃない。萌恵は気の滅入るようなめまいを覚えた。その反面、どこかで会ったことがあるという疑念が心の奥底に淀みのように漂っているのを感じていた。あんまり関わりたくないのに、このこだわりの感じは何、といったところ。ある種、嫌な感覚だった。

 その日は茜を駅まで送って、そこで別れた。

 萌恵は、どうにも腑に落ちない感じがしていたので、また火事の現場に戻った。消防車も去り、見物人もいなくなった後の現場だ。占いの館は、ほとんど焼け落ちていて、木の柱と太い梁くらいしか残っていない。外観はモダンな感じの建物だったのに、基本構造は古い木造建築だったようだ。焼け残った柱も梁も、真っ黒になっている。

 まだ、現場検証のために、何人かの係官が作業している。停止線も張られ、近づくことはできなかった。遠目に見守る。一度立ち去る前に、死体は発見されていなかったのを確認している。茜がすごく心配していたので、焼け焦げた死体が運び出されるのではないかと、ずっと見ていたからだ。紫占と高井戸、楓の三人は一体どこに消えたのか。路地から路地へと歩きながら萌恵は考えた。

 再び、占いの館が見えるところに来た。カフェとは反対側で、道はもっと狭く、人一人ようやく通れる程度の路地裏で、そこから見える占いの館は、白い壁の下の方が一部燃え残っていた。そこには、停止線もなく、焼け跡のそばまで近づくことができた。

 館の隣と後ろの家も一部焼けている。住民も避難して、いないようだ。

 ちょっとした石組みがあって、萌恵はその上に乗って、焼け跡をまじまじと見た。柱以外はほとんど焼けて、形を残していない。萌恵は立ち上る炎の強さを思い出して、寒気を覚えた。

 どれほど見ていたのだろう。近くで小さな咳払いがして、萌恵は我に戻った。周りを見回すと、塀の上に、背広に中折れ帽姿の老人が座っている。

「すみません。私、道に迷ったみたいで」

 警察か、消防関係者かと思って、萌恵は言い訳した。

「お嬢ちゃん、わしもそうじゃよ」

「えっ」

「お嬢ちゃんと一緒だ」

「町内会の人」

「いいや」

「じゃ、何」

 老人は塀から飛び降りると、萌恵の前に立った。意外に背が高い。しかも、日本人ではない。

「ここで何があったのかを、調べているんじゃ」

「わかるの」

「痕跡を見れば、ね」

「やっぱり、消防の人?」

「いいや。火事に興味はない。ここで何があったかを知りたいんじゃ」

「意味、わかんない」

「かもな」

 と言って、老人は笑った。ますます、頭が混乱する。また、変な奴に出会ってしまった。今日一日で一体何人出会えば済むのか。萌恵は、うんざりした。

「お嬢ちゃんはどうして、わざわざ戻って来たの」

「どういうことですか」

「さっき、あっち側で火事を見てたでしょ」

「知ってるんですか」

「わしもいたんでね」

「どこまで知ってるの」

「大したことはないよ。わしは、途切れた記憶の糸を手繰り寄せながら、ここに来た。わしが日本にきた目的も、やろうとしていたことも、過去のある時点から記憶が途切れてしまっている」

 萌恵は、頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。彼女自身も、同じ感じがしていた。この数週間、何かがなくなってしまったかのような、途切れた感覚を覚えていた。思い出そうとしても、思い出せないし、人に聞いても誰も気に求めていない。こだわっている自分が馬鹿らしくなるくらいなのだ。それを、この老人は萌恵と同じくらい感じている、のだろうか。

「あなた、一体何者?」と萌恵は聞いた。

 老人はにっこりと笑って、「お嬢ちゃんには、わしの思いが理解できるんだね」と言った。

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