第48話 帰宅

 家に帰ると、母の咲子が待っていた。

「一緒に何してたの。珍しい」

 と、咲子は、宏と萌恵が一緒に帰ってきたことに驚いていた。

 特に萌恵は時間感覚がわからなくなっていて、自分が家を出てから何日経ったのか心配だった。咲子がそのことを気にしているかと案じていたら、咲子は父の宏と一緒に帰ってきたことの方に驚いていたから、ちょっと安心すると同時に、そんなに時間が経っていないのかしらと思った。

「ごめんなさい。心配した?」と向けてみた。

「遅いから、どっかに泊まってくるのかとは思ったけどね。お父さんと一緒なら、滑り込みセーフってところかしら」

 萌恵が時計を見ると、午後十時半。門限はないけど、言い訳は必要な時間かも。父の宏と一緒になったことが幸いした。

「何日経った?」

「変なこと聞くのね。まだ、一日経ってないわよ」

 随分と時間が過ぎたような気がしていたので、意外だった。時間軸の異なる世界だったのかもしれないと萌恵は思った。

 宏は普段と変わらず「風呂、風呂」と言って、服を脱ぎながら風呂場に向かっている。

 咲子は何も気づいていないように振る舞っている。でも、本当にそうだろうか。霊廟を出たところが丹原記念病院だったことが妙に引っかかる。

「知哉は?」

 気になったので、聞いてみた。

「部屋にいるんでしょ」

 あくまで気にしない感じの咲子の返事だった。

「それより、何か食べる?」

と聞かれて、萌恵は急にお腹が空いてきた。それまでは何も感じていなかったのに、不思議だ。

「食べる。食べる」

 萌恵は嬉しそうに答えた。

 咲子は「待ってて」と言うと、キッチに向かった。この家は戦後お祖父ちゃんが建てたものだけど、当時としては珍しくオープンキッチンになっている。だから、咲子が食事を用意するところを、幼い頃から眺めてきた。テーブルに座るだけで見えているからだ。

「どこに行ってたって、聞かないの」

「だって、お父さんと一緒でしょ。何か話したいことでもあるの」

と振られると、萌恵は言葉に詰まった。到底、信じてもらえる内容ではないと思ったからだ。

「ちょっと安心した」

「心配だったの?」と咲子が聞いてきた。

「まあね」と萌恵。

 咲子はちょっと嬉しそうに笑った。

 萌恵が食べ始めると、咲子はすぐに何かを作り始めた。

「おにぎり作ってんの」

と萌恵が声をかけると、咲子は「おにぎらず」と答えた。

 頭を拭きつつ、着替えをすませた宏が戻ってきた。

「もう出かけるの」と萌恵が驚きの声をあげた。

 咲子は「食べる? 持ってく?」と宏に言う。

「ありがとう。今食べる」

 宏は、皿の上に置かれたおにぎらずにかぶりついた。あっという間に二個食べてしまう。

「早い」と萌恵は驚いた。

「いつだって、こんなものよ」と咲子は平気。

 出て行こうとする宏に、「戻りは分からないの」と咲子が声をかけた。

「遅くなる」

「そう」

 咲子は素っ気なく返事して、そのまま宏を玄関まで見送った。

 いつもこうだったっけと、萌恵は不思議な気がした。何しろ、萌恵が起きている間に宏と顔を会わすことがほとんどなかったから、記憶にないのだ。小さい頃から父親がいないことが、むしろ普通だった。そんな家庭だったし、それを寂しいとも思っていなかった。

「考え事?」

 戻ってきた咲子が声をかけてきた。

「いつも、こうだったかなって思ってね」

 咲子は萌恵の心の内を読んでいるかのように、「お父さんのこと」と聞いた。

「うん。お父さんの仕事って、何?」

「経営コンサルタントの会社で、調査担当よ」

「表向きは、ね」

「何か話を聞いたの」と言いつつ、咲子は萌恵の手をそっと握った。

 その手首には、細かな文様の入ったブレスレットをしている。萌恵には石でできているように見えた。そして、何かを感じているかのように瞑目した。一瞬、驚いたような表情に変わる。

「大変だったのね」

「わかるの?」

「大体ね」

 そう咲子に言われた時、萌恵は自分に起きたことを受け入れてもらったかのような安堵感を感じた。自分でも驚いていて、どうしたらいいのか分からない自分の変化を母親である咲子は、きみ悪がらず、普通に理解してくれているのではないかと思えた。

「あなたは、時を超えてくる者なのね」

「どういう意味?」

「血のつながりじゃなくて、男女の区別なく、突然現れる人がいるの」

「昔にもいたの」

「お父さんの家系にもいたらしいし、私の家にもいたわ。努力とか訓練ではなく、目覚める人がいるの。あなたはそうなのかもしれないわね」

「そういうのって、嫌?」

「私の子供ですもの。嫌なはずはないわ。ただ、驚いているだけ。そして…」

 咲子はそこで言葉を切った。どのように言おうか、迷っている様子だった。

「何か、あるの」

「そうね。時を超える人が現れるときは、必ず大きな災難があって、その人はその災難と戦わなければならないと言われているのよ。そこが、気になるの」

「昔も何かあったの」

「私の知る限り、ないわ。全ては言い伝えよ」

「じゃあ、わかんないんじゃない」

「そうであってほしいわね」

と言うと、咲子はにっこりと笑った。

「何があっても、無理をしちゃダメよ」

「了解」

 萌恵も、微笑んだ。

                             (第一部 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紫水晶と魔の断片 茶和咲 惇 @37367

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ