第47話 卓史の眠り

 卓史と宏の二人は、軽トラック一台が通れるような狭い道を登っていた。頭上の黒雲からは頻りに稲妻が走り、雷が轟く。それに比べ、地上は誰一人、人の姿を見ない。部屋の明かりすら消えている。

「みんな避難しているんじゃないか。本当にアパートに戻るでいいのか」

 宏は卓史に聞いた。

 卓史は不貞腐れたように「そこしか戻るところはない」と答える。

 その言葉を聞いて、宏は「俺に家に来い」と言うわけにもいかず、黙って歩き続けた。検問もなければ、非常線が張られているわけでもない。籠神社を包囲していた兵士達は一体どこに行ってしまったのだろう。

 そう思っていた矢先、低い機械音と振動が伝わってきた。家と家の間の狭い坂道の向こうだった。

「あっちには何がある?」と宏は卓史に聞くと、卓史は「神社の森」と答えた。

 まだ何か残っているのかと宏は気になった。そこで、卓史に

「ここで待て。様子を見てくる」

と言うと、狭い坂道を登って行った。卓史は少し迷っていたが、一人でいることが不安らしく宏の後を追いかけて来た。

 小道の先は森ではなく、荒々しく木を切り倒して作られた広地だった。誰かがそうしたのだ。そこには、放置された機器類と電波塔にような高い鉄塔が立っていた。多くの車両が木々を踏みにじったような痕が残されている。

 見上げると天から雪が吹き下ろして来ている。そのせいか、鉄塔も凍りついて、氷の塔になりつつあった。卓史がガタガタ震えているのに気づいた宏が、これを飲めとカプセルのようなものを渡す。

 卓史が受け取ると、それは石のような固い感触があった。

「薬?」

「体が温まる。そのままだと死ぬぞ」

 そう言われて、卓史はカプセルのようなものを飲み干した。口の中でカプセルは崩れて広がっていく。それが食道を下って胃へ、そして腸へと落ちていくうちに次第に体が温まってきた。

「えっ、何、これ」

「役に立つだろう」

 宏はニヤリと笑う。

 視界が悪い中、宏はゴーグルのようなものをかけて周りを見回した。そのゴーグルも特殊なもので、雪などの視界を遮るものを排除して見通せる。見ると、森の中の一部が荒々しく伐採されて、そこに様々な機器が据えられている。いずれも凍りついて、氷の塊と化していた。

 天から寒気が落ちて来ている。鉄塔は今にも崩れそうだ。

「長居は無用だな」

 宏は卓史を促して、戻ろうとした。その時、凄まじい轟音がして、鉄塔に雷が落ちた。鉄塔が二つに折れて倒壊した。

「危ねえ、危ねえ」

 宏は来た道を逃げた。

「待ってくれえ」

 卓史が必死に追いかけてくる。この吹雪の中では、ゴーグルで視界を確保している宏の方が道を見つけやすい。

 どこをどう走ったのか、卓史は自分のアパートの前にいた。宏が立ち止まったので、卓史も止まり、そこにアパートがあったという感じだった。

「ここです」

「そうか、そんな気がしたんだ。辿り着けてよかったよ」

 アパートの入り口を入ると石畳があってすぐ、玄関になっている。部屋の明かりが点いているところはなく、みんな寝てしまっているのか、それとも避難して誰もいないのか、わからなかった。

「見たところ、誰もいないようだが、大丈夫か」

 そう宏に言われて、卓史は困った顔になった。

「どこにも行くところはありませんから」

「まあ、相棒がいるから大丈夫かな」

「どういう意味ですか」

「どうやら、君にはもう一人の人格が宿っているようだ。助けになるんじゃないかな」

 卓史はよく分からない様子だった。宏も話しても理解できないかもと思って、それ以上は何も言わなかった。

 お互いちょっと気まずい空気になったところで、卓史とは玄関口で別れることになった。卓史は一階の廊下を右に折れて奥の方へと歩いて行った。物音一つしないところからして、誰もいないというのが正解のようだと宏は思った。

 石畳をアパートの入り口まで戻り、宏はうずくまって盛り土を作り始めた。柔らかい土の天辺にポケットから取り出した六角棒を立てる。その棒に石のリングを通した。

「何やってるの」

と声がかかり、振り返ると萌恵がいた。茜も一緒だ。

「おまじない」と宏が答える。

「彼は中にいるの?」

「入っていった」

 萌恵がアパートの部屋の窓を見回しても、どこに明かりが点いていない。

「本当に大丈夫なの」

「そのための、おまじないなのさ」

 その時、何処からか何かが崩れす音が響いてきた。ほぼ同時に強い振動も来た。

「地震」と萌恵。

「違う」と宏。

「じゃあ、何」

「お前が見たものが崩れたんだ」

 そう言われて、萌恵はマウフェンバッハを思い出した。大きな電波塔や機器類、そして操作する部下たち。ロッキンゼルガーやケサ・ランドール片岡らもいた。

「さっき、見た。ほとんど凍りついていたよ」

「でも、何で知ってるの。私、話してない」

「あれ、聞いてなかったっけ」

「はぐらかさないでよ」

 二人の親子ゲンカを黙って聞いていた茜が呟く。

「あんな音がしたのに、誰も出て来ません」

「誰もいないのよ」

「卓史さんも?」と茜。

「眠ってんじゃない」

 茜はじっとアパートを見つめている。その様子を見ていた宏が茜に、聞いた。

「何処が彼の部屋か、わかる?」

 茜は黙って、1階の端の方の部屋を指差す。

「そう。そっちの方だ。何か動きはわかるかい」

 茜は首を振った。

「眠ってくれていることを祈るよ。今日のところは、これ以上関われない」

「どうして」と萌恵が聞く。

 宏は天を指差す。「何かが起きようとしている」

 上空から雪が吹き降りて来ている。

「夏の終わりがというのに、もう寒波が来た。しかも、北からではなく、上空から……何か変だろ。それに予兆がある」

と言って、宏は石版を見せた。ほのかに光っている。赤い色だ。

「何、この色」と萌恵。

「異変があると変化するんだ」

「お知らせ?」

「そう。一旦、家に帰って、それからだ」

 宏は先に歩き出した。

 萌恵は素早く、茜は後ろ髪を引かれる化のように、宏の後を追った。

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