第46話 夏の終わり

 見られてる。萌恵も茜も、振り返って見ることができなかった。

「誰かいるんでしょ」と紫占が言った。

 恐る恐る振り返ると、紫占は身体を起こしていない。横たわったままだし、月明かりの中で見た感じ、目も開いてないようだった。

「夢を見ていたのかしら。いろいろな人を見た。獣のような人も」

 その言葉に、萌恵はハッとさせられた。

「見たの」

「分からない。感じていたのかもしれない」

「なら、夢よ。もう一度寝たら、忘れるわ」

 萌恵自身、あの不思議な地震以来、今まで出くわした事件や軍隊、異形の存在のことをなかったことにしたかった。何でもない日常に戻りたかった。その思いがつい言葉に出た。

「あなた達のことも」と紫占が聞いた。

「そうね」

「だったら、ひとこと言わせて……ありがとう」

 萌恵と茜は顔を見合わせた。「なぜ」

「きっと、助けてくれたから」

 心を体に戻したことを言っているのだろうか、と萌恵は考えた。自分では、それほど感謝されることでもないと思っていたけど、紫占にとっては重大事だったのだと改めて気づかされたような気がした。

「おやすみ」と言って、萌恵は出て行こうとした。

「一つ、聞いて」

 その声に、茜が立ち止まった。萌恵の袖を引っ張る。

 紫占は知らずか、そのまま話し続けた。

「冬になるわ。とても、厳しい冬よ。あそこから、始まってる……神社。でも、誰も、言わない。みんなが騙されてるの。そうでしょ、きっと何かが裏で動いている」

「まだ、夏の終わりよ」と萌恵が言った。

「今年は、早いの。そして、もっと厳しい」

「それは、占いですか」と茜が恐る恐る聞いた。

 紫占はふっと笑った。

「何故かしら。もうその力を感じない。未来は見えてこない。それなのに、強く感じるの。全く違った感覚……」

「よくない事が起こるというわけ」

「たくさんの獣や異物が来る」

「兵士たちも?」

「彼らもいる」

 また、ロッキンゼルガーやケサ・ランドール片岡と関わることになるのかしら、と萌恵は思った。できれば、もう関わりたくなかった。

「やっぱり、占い。それとも、予知」と萌恵は聞いた。

「その感覚は、獣の女性とともに消えたわ。これは、何だろう。不思議……私にも、わからない」

 紫水晶の力だろうか。萌恵は、マウファが紫水晶から紫占の心を取り出したことを思い出した。

「その冬、お互い、関わりたくない」

 それは、萌恵の正直な思いだった。

「私は…」と紫占は言葉を切った。

「何?」

「もう、終わり」

「大丈夫。元気になるわよ」

「何かがなくなって行ってる。身体と心から消えていく。そんな感じ」

 茜が萌恵に囁いた。「何か、色合いが薄れてきてます」

「占いの力が失われているって事?」

「わかりません。ただ、今まで全身を覆っていた色が消えていってます」

 萌恵は気になって、紫占に声をかけた。「紫占さん」

 答えはない。静かな寝息だけが聞こえてくる。萌恵は、紫占が眠ったのだと思った。ぐっすりと眠って、元気を回復するなら、その方がいい。しかも、ここは病院だし、心配はない。

 ただ、何かが変わってきているとしたら、それは紫占にとっていい事なのだろうか、それとも、よくない事なのだろうか。萌恵は、茜に促されるまで、じっとそのことを考えていた。

 萌恵と茜の二人は、病室を出た。今度は、外部の非常階段から下に降りて行った。もっとも、途中から萌恵が茜を背負って、飛び降りたのだから、駆け降りたわけでもない。

 地上には、みんなが待っていた。宏が「急に飛び降りたから驚いたよ」と声を掛けた。

 そう言われてみれば、 宏に言われたようなことが平気になってたんだと改めて思う。嬉しくはないけど、何となくこそばゆい。私は私じゃなくなったのかなとも思う。

 全員が揃ったところで、問題はどのようにして家に帰るかということになった。神社の周辺にはまだロッキンゼルガー配下の兵士たちがいる可能性があった。それを回避しつつ、無事に家に帰り着くことを考えねばならない。

 それに、見上げると、神社のあったあたりは、黒雲に覆われ雷が鳴っている。黒雲の隙間から稲光も時折見える。

「何かが起きているんだな」

と宏が呟くと、萌恵は病室での紫占の言葉を思い出した。

「冬が来る……って、紫占さんが言ってた」

「そうです」と茜も合いの手を入れた。

「厳しい冬になるって、そして、なんだか分からないけど、獣や異物もって」

 それを聞いて、宏はちょっと考え込んだ。何か思う節があるのだろうか。萌恵はじっと父親の横顔を見つめた。その様子を見ていた高井戸が聞いた。

「一旦、解散?」

 高井戸は魔に囚われていたショックからか、ずっと無口だった。雑誌編集者だから、もっとお喋りで、前に出て来るタイプなのではないかと萌恵は思っていたから、それまでの大人しさはちょっと意外だったのだ。安心したのか、ようやく自分の口から言えるようになったのかもしれない。

「そうね」と萌恵が答える。「でも、みんな、ちゃんと家に帰れるの?」

「それは、いかん」と宏が言う。

「送って行ってくれるの」と高井戸。

「安全なところまでだが、あの黒雲の下には行かんほうがいい」

 宏は、籠神社があった方角を指差す。

 高井戸は、「私は、JRの駅まででいい」

 楓は、「私も」と手を上げる。

「萌恵はいいとして、残り三人は?」

 三人というのは、茜と卓史そして菜月のことだ。菜月と茜の家は、萌恵が知っていた。問題は、卓史だ。

「君は、どうする」と宏が卓史に聞いた。

 卓史は迷っていた。彼のアパートは崖の上の、籠神社の近くだったからだ。でも、卓史はそれを言い出せなかった。

「その人は、神社の近くです」と茜が恐る恐る言った。

「そうなのか」と宏が聞くと、卓史は力なく頷いた。

「放ってはおけん」

「茜と菜月は、私が送っていくよ」と萌恵が言うと、宏は「じゃあ、俺に送れっていうことか」

「嫌なの」

 不安そうな卓史を横目に、萌恵は宏に詰め寄った。

「なんか、お母さんに似てきたぞ。結構、じゃあ、そっちは任せた。駅まではみんなで行こう」

 萌恵はちょっと遠回りかもと思ったが、ここでバラバラになるよりマシかもと思い直した。それに菜月のマンションは駅に向かう途中にある。

 宏が、先頭を切って歩いていく。月明かりで、足元は明るかった。というのも、地震以来、街灯は切れているところが多かったのだ。

 今宵は静かな夜だと、萌恵は感じていた。

 まず、最近建ったマンションの前で、菜月と別れ、JRの駅で高井戸と楓を見送り、萌恵は茜を連れて宏と卓史の二人と別れた。

 しばらく歩いて、ふと茜が立ち止まった。

「疲れた?」と萌恵が聞くと、茜は「やっぱり一緒に行ったほうがいいです」と言う。

 なぜ…と問う隙も与えず、茜は逆方向に歩き出した。茜が積極的に行動するのを見たのは初めてのような気がした。萌恵も仕方なくついて行った。

 駅の南側の急な坂道を登って行った。空気感が変わってきたのを萌恵は感じた。

「ちょっと寒くない?」

と茜に聞くと、茜は気持ちを張っていたせいか、それほどでもないらしく首を傾げていた。

 しかし、明らかに寒くなっている。冬みたい。

 そのうち、粉雪も舞い始めた。「やっぱり寒いよ」

「そうですね」とようやく茜も同意した。

 まだ、宏と卓史の姿は見えない。萌恵はだんだん心配になってきた。

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