第43話 菜月の目覚め
「お父さん。早すぎ」
萌恵は宏に文句を言った。宏はバツが悪そうだ。
「すまん。すまん」と謝る。
菜月はというと、萌恵の手を離れて、目をつぶったまま、じっと立っている。
「目が覚めたのか」とラッフルレイズが言う。
しかし、萌恵には、そうではないことが分かっていた。抱きとめていた感覚、その手から一瞬消えたようにして、目の前に立ったこと、菜月の意思ではない何かに動かされていると感じていた。
楓も高井戸も、そして茜も、何が起きたかわからず、じっと菜月を見つめていた。固唾を呑む瞬間、菜月は二人になった。そして、三人四人と増えていく。
宏がそのうちの一人に触ろうとしたとき、今度はまた急に一人になった。多くなったり、一人になったりを何度か繰り返す。それが何か特異な能力の発現であるのは分かる。問題は、自分の意思でやっているとは思えないことと、誰かに操られている可能性もないことだ。この場にいる誰も、そんな力を持っていないのは明らかだった。遠隔で操作されているというのも、考えにくい。
そして、菜月は急に消えた。
「どこ、どこに行ったの」
萌恵が慌てて声を上げた。すると、数メートル離れたところに現れた。今度は、消えては現れるを繰り返す。
「一体、何なの」
萌恵は、訳がわからない。
「この人、あの神社の神様に取り憑かれてたんでしょ」
と、楓が冷静に行った。
その言葉で、萌恵は陸断姫にことを思い出した。菜月は、体と心がしばらく別れた状態だった。そのことが、まだ影響を与えているし、陸断姫と一体化していた身体が勝手な動きをしていて、菜月の心はそれについていけないのかもしれない。
その一方で、もう一人にも変化が起きていた。ラックハマターだ。
妙にそわそわしだして、周りを見回し、落ち着きを失っている。怯えているようにも見える。その兆候に最初に気づいたのは、茜だった。茜は不安そうに萌恵の袖を引っ張る。
「どうしたの」
茜が指差す先いるラックハマターの様子がおかしい。
「ラック、どうしたの」と萌恵が声をかける。
ラックハマターはビクッとして、恐る恐る萌恵の顔を見る。
「ラック…」
「だれ、君」
声さえ違う。
「だれって、ラックハマターじゃないの」と萌恵。
茜がまた萌恵の袖を引っ張っている。何よと振り返ると、茜は違うとでもいうように首を振る。
「僕は卓史だ。三嶌卓志。君はだれ、ここはどこ」
「なんか、ややこしくなったね」と宏が割って入ってきた。「君は卓史君か。さっきまでと違うようだが、今はそうなんだ」
「僕は僕だ。違ったりしない」
萌恵は、茜に小声で「二重人格なの」と聞いた。
茜は、頷きつつも、少し首をかしげる。確信がない様子だ。ラックハマターでなくなったことは痛手だけど、ここで揉めても始まらないと萌恵は考えた。
「OK。卓史さん、多分私はあなたを知ってる。だから、協力して」
「僕は知らない」
卓史は殻にこもるようにうずくまった。
「説明している余裕はないの」
萌恵は強く言った。が、逆効果だったようだ。卓史は、そっぽを向いた。
もう一人、菜月もとらえどころがなかった。楓と高井戸が見守っている。捕まえようとすると消えて、違うところに現れるのを繰り返していた。
「困ったねえ」と宏は、頭を抱える。
それは、卓史や菜月のことばかりではない。宏は、茜に耳打ちするように聞いた。
「ねえ、君。さっきいた石室のときみたいに、何か見えないかな」
茜は、ちょっとびっくりしたが、宏に言われるまま、周りを見回してみた。しかし、今度は何も見えない。と言うより、菜月や卓史、萌恵が発する色が交差していて、区別がつかなくなっていた。楓や高井戸だって、茜にとっては様々な色を発している。
6人のいる通路は意外に広く、ほのかに明るい。だから、切羽詰まった状況ではない。問題は、いつまでここに居られるのか誰にも分かっていなかったことだ。
宏は、とにかく前に進みたかった。彼にとっても、霊廟に来たのは初めてで、無事脱出できるのかどうか不安だったのだ。特に、さっきのように石室が崩れていくのを見ると、この通路もいつなくなってしまうのか、定かではない。この通路をそのまままっすぐに行くことに対して、宏は恐れのようなものを感じていた。
萌恵は、茜に卓史を見張っているように言い、菜月の方に向かった。
楓と高井戸は、寄り添いながら、気味悪そうに菜月を見ている。菜月は亡霊のように立っている。楓が萌恵に気づき、「どうしたらいいの」と聞いてきた。
「わからない。でも、菜月はなんとかしたいと思ってるはず」
「友達の直感?」
「さあ。そんな気がするの」
「触ろうとすると消えるから、捕まえられないのよ」と高井戸も言う。
「やってみる」
そう言うと、萌恵は菜月に向かって跳んだ。目にも留まらぬ速さだ。キーンという鋭い波動を感じて、茜は思わず振り返った。卓史は身動き一つしない。これはこれで不気味。
宏も、耳を押さえていた。音というより感覚のようなものだった。何かが全身の皮膚を刺激した。石板を手に出口を示す刻印を探していた宏は、不意に襲ってきた肌感覚に立ちすくんだ。
萌恵はというと、彼女のスピードを以ってしても菜月を捉えることができないでいた。捕まえようとすると、消える。数歩離れた場所に移る。萌恵は加速した。キーンという聴覚の領域を超えた音が響く。
茜はその音に反応した。茜の目には、鮮やかな色の帯が影のようなものを包み込んでいこうとしているかのように見えた。そして、もう一人。
「まただ。うるさい」
と卓史が声をあげた。
この人にも聞こえているのと、茜はちょっとびっくりした。
茜が視線を萌恵に戻すと、帯が影を包み込んだ。萌恵が菜月を捉えたのだ。
「菜月」と萌恵が声をかけた。
菜月の目がうっすらと開くと、か細い声で「めぐみ…」と菜月が応えた。
萌恵はしっかりと菜月を抱きしめている。力を緩めると、菜月がまたどこかに行ってしまいそうな気がしていた。
「痛いよ」と菜月は言って、少し笑った。
「ごめん」と萌恵は腕の力を少し抜いた。
菜月は消えない。もう大丈夫かなと、萌恵は思った。すると、ストンと身体が落ちて、座り込んでしまった。安心したせいかもしれない。
卓史は両耳を押さえたまま、うずくまってウンウン唸っている。それを見下ろしている茜は、どうしていいか分からない。楓も、高井戸も、どちらかといえば菜月の方を気にしている。
一人、離れて何かやっているのは、宏だ。他のみんなを無視して、刻印を探している。萌恵を含む他のメンバーたちも、気にも留めていない。石の通路はずっと続いているように見えるが、宏はまっすぐ行けばいいとは考えていない様子だった。
「わたし、夢見てたのかな」
菜月が萌恵にぼんやりと言った。
「何か、覚えてるの」
「萌恵や、おじいさん、ロボットみたいな人が出てきた」
萌恵は、籠神社でのケサ・ランドール片岡とのいざこざを思い出し、思わずふっと笑った。
「おかしい?」
「夢じゃないかも」
「本当だったら、怖いわ」
二人は、座り込んだまま、何となくほっかりと話し込んでいた。
一方で、茜は卓史のことが気になっていた。
卓史はうずくまったままだ。籠神社のときも、そうだった。あのときは、卓史の周りが白く、石のように固まってきた。茜は、社殿の縁側から遠目に見ていた。濁ったような白さが印象に残っている。実際の色というよりは、茜の目に映った色がそうだった。
あの時は、異世界から来た女性が、ラッフルレイズを呼び覚ました。今は、その女性はいない。このまま、白く石化していくのだろうか。茜は不安になった。この狭い空間で、石化に巻き込まれたら、茜たちはどうなってしまうのだろう。
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