第40話 エルフウェッジ(天使の楔)
ロッキンゼルガーらが撤退した後で、別の動きが起こっていた。それは、ロッキンゼルガーもケサ・ランドール片岡も知らない動きだった。
何もなくなった境内に残されたのは、萌恵、ラックハマター、楓、茜、高井戸、菜月、そして死んでしまったカーライルの7人だ。意識を取り戻せていない菜月は戦力にならない。カーライルがもう何もできないのと同じだった。
彼らを囲い込むように広範囲にロケット弾のようなものが撃ち込まれた。爆発はしなかったし、離れていたので直接の被害はなかったが、何かが起きる予感がして不気味だった。空中にもドローンが飛来して、上空に並んだ。
逃げなきゃと萌恵は焦った。でも、みんなは怖くて動けない。死んだカーライルや菜月を置き去りにもできない。そのうち、地面から微かな振動が伝わってきた。地震ではない。微弱だが、ずっと継続した振動だ。機械的なもののように萌恵には感じられた。
みんなの許に戻った萌恵は、「早く逃げよう」と告げた。
「どうやって」と楓が聞いてくる。
上空にはドローンもいくつも現れて、萌恵たちを取り囲むように空中に停止している。足元の振動はさっきより強くなってきていた。
「罠よ。ここにいては、ダメ」と萌恵は言った。正直な気持ちだった。
遅れて駆けつけたラックハマターも「早く逃げよう」と言った。
身動きができない菜月、そして死んでしまったカーライルを萌恵は気にしていた。そのことに気づいたラックハマターが、「こいつは俺に任せろ」と言って、カーライルを担いだ。菜月をどうする。萌恵は菜月を抱き上げようとした。その時、楓が「私に任せて」と言って、彼女が「クロックワークドール」と呼ぶ機械仕掛けの人形に菜月を抱き上げさせた。
「大丈夫」と聞く萌恵に、楓は「これが結構力持ちなんだな」と言って笑った。
神社の正面に行けば、ケサ・ランドール片岡達の後を追うことになる。背後の崖に急な石段があったけど、まだあるのかどうか分からない。行って戻ってくる時間的余裕はない。
すると、ラックハマターが「こっちだ」と前に出た。
「逃げ道、知ってるの」と萌恵。
「お前さんを助けた時に、裏道を使ったからな」と言って、走り出す。
ラックハマターは、ウォールを使って、逃げる7人を守った。空中のドローンは、彼らを囲むように位置を移動させていく。たまに、地上にあった何かがウォールに弾かれて火花を散らしていた。地上にも仕掛けがあるのだと萌恵は思った。
走りながら、萌恵はラックハマターに聞いた。
「助けたって! どういうこと」
「やっぱ覚えてないか」
ラックハマターは、残念そうに言う。
そう言われて、三日間の記憶が消えていたことを萌恵は思い出した。でも、誰でもみんな記憶を失っていたはずだ。
「あなたは覚えているの」
ラックハマターは笑って、「俺も忘れていた。でも、お前さんに会って思い出した」
そこで、ウォールが何かにぶつかって止まった。ラックハマターが自分のウォールにしたたか顔をぶつけてしまった。ラックハマターは、ふらつきながらも足を踏ん張って、カーライルを落とさないようにした。
萌恵も、楓も、茜も、高井戸も立ち止まる。
「何があるの」と高井戸が恐る恐る聞いてくる。
目の前には、神社の森以外何も見えない。萌恵が手を伸ばすと、何か空気の壁のようなものを感じた。それと静電気。バチっと弾かれたのだ。ラックハマターが集中を切らした段階で、ウォールは消えてるはずだから、これは別の何かだ。
どっちに向かえばいいのか。萌恵はあたりを見回した。楓も、ラックハマターも迷っている。その時、茜が萌恵の袖を引いた。
「何」
「あっちです」
一方を指差す。
「見えるの」
「あっちが明るく見えます。よくわからないけど、ほかは真っ暗です」
萌恵は、その言葉に不思議な気がした。茜にも何か特別な能力があるのだろう。闇に取り込まれていた高井戸以外、何らかの能力者だったというのだろうか。
「茜を信じる」
萌恵はそう言うと、茜の指差す方向に向かって走り出した。
上空には、幾筋もの細い光の線が見えていた。ドローンをキーポイントとして、天を区切るようにつながっている。それが何を意味するのか、何が起こるのか、萌恵には想像もつかない。
茜の指さす方向には、小さな窪地があった。祠でもあったのだろうかと思われるほどに、草一つない。そこに細長い筒のようなものが立っていて、その根本に誰かがいる。
だれ。萌恵は足を止めて慎重に近づいて行った。
何かの線を切ったところで、その人物は立ち上がった。そして、振り返りもせずに「迎えにきたよ」と萌恵に告げた。
「お父さん……」
萌恵はびっくりした。ほとんど家にもいない父の宏が、ここにいる。
「おいおい、驚いているのは、こっちの方だ。こんなとこにいるとはね」
「お父さんこそ」
「事情は、後で話す。とりあえず、逃げ出す算段だ」
「何やってるの」
「調べてる」
「危ないんじゃない」
宏はニヤリとして、表面は滑らかな筒の一部をこじ開けようとした。きな臭い臭いがして、同時に茜が「危ない」と叫ぶ。宏は反射的に振り返って萌恵と茜を庇って、地面に伏せようとした。
「ラック…」
萌恵がラックハマターに声を掛けて、宏と茜もろともに十数メートル跳び退いた。宏はびっくりしている。
爆発が起き、十数メートルの火花が上がった。
身を屈めただけの高井戸と楓、放り出された菜月たちは、ラックハマターのウォールに守られた。萌恵に声をかけられたラックハマターが、すんでのところで爆風を防いだのだ。
宏は、ラックハマターの力にも驚かされた。
「すごいね」と、宏は思わず口にした。
萌恵にとっては、ちょっとこそばゆいというか、でも嫌な気はしなかった。父である宏の言い方に、心からそう思っているという素直な心情を感じたからだ。
宏が言葉にせず呑み込んだ言葉は「いつの間に」というものだった。宏が心底驚いていたのには、もっと深い理由があった。しかし、それを萌恵に話せるのは、まだ先のことだと感じたのだった。
「もう、危ないことはやめてね」
萌恵は宏に怒った。これまで一緒にいた時間の少なかった恨み辛みもないまぜになって、思わず強い言葉になってしまった。宏は「悪かった」と素直に謝った。
そして、「下手に触ると、爆発するような仕掛けになってるんだな」と付け加える。
粉々になった筒の残骸は、配線やら基盤やらが焼け焦げていて、元の状態は全くわからなくなっていた。萌恵はそれでも何か分かるかもと思って、手で触れてみた。その瞬間、意識が跳んだ。前にもあった感覚。身体と心が分離して、心だけが自由に物から物に飛び移って行く感じが蘇ってきた。急に何かにぶつかった。目に見えない空気の壁のようなもので、帯電している。それは、ドローンの空域にあるようだった。
ドローンの目線で見下ろすと、森の木々の隙間に宏や茜、ラックハマターが見える。そして、破壊された筒に手を置いて、跪いている萌恵自身の姿。
何かの流れに引っ張られる。離れたところに放電している巨大な塔が見えてきた。何重にもコイルが巻き付けられている。そこに引っ張られている。気がつくと、もうそのそばにいた。見下ろしたところに、多くの兵士たちがいる。
ケサ・ランドール片岡や、ロッキンゼルガーもいる。ロッキンゼルガーのそばにいて、指図している男がいる。見たこのない男だ。話し声が聞けないものかと、萌恵は思った。その想いが萌恵を男のすぐそばに引き寄せた。
自分は一体どこにいるのか、その男か見えているのか、全くわからなかった。隠れようもないし、とりあえずは、気づかれていない様子だった。
ロッキンゼルガーが男に言った。
「まさか、殺す気ではないだろうな」
「君のお目当ては、もう死んでしまっているよ」
「カーライルには、死んでも価値がある」
「思い入れが深いね」
「カーライルは、裏切り者だ。その証拠を掴む」
「心配するな。改良してある。捕獲するのが目的だ」
男が見ているモニターが萌恵の目に入った。いくつもの光点と円が表示されている。それらに囲まれた区域の真ん中に、8個の点が表示されてる。あれは私たちかも、と萌恵は直感した。
8人を囲い込んでいる小さな円が次第にくっついていって、ひと繋がりの壁のようなものになっていくのが見て取れた。何か嫌な予感がする。
「エリア形成完了」と操作している係官が告げる。
「ダウンサイジング」とマウフェンバッハが命令した。
しばらくして、ドンという空気音が響き渡る。宏たちのいる方向をみると、景色がおかしい。空間がずれて見える。違う方向の景色が、映っている。それに、いくつかの放電しているコイル塔が見える。コイルがゆっくりと回転していく。さっきよりも強い空気おんが響く。
萌恵は、この装置を壊せないものかと考えた。
ちょうどその時、萌恵の視界の中に男の顔が現れた。覗き込んでいる感じ。何、こいつと思って、萌恵は顔を手で隠した。
「どうした。マウフェンバッハ」とロッキンゼルガーが声をかけた。
「何かいた」
マウフェンバッハが覗き込んでいるのは、鏡面のように光っている装置の側面だ。ロッキンゼルガーも、顔を寄せる。
「何もないぞ」
「さっきは、誰かがいた」
マウフェンバッハは、周囲を見回して、不思議がった。
萌恵はというと、そのときにはもう自分の身体に戻っていた。そして、宏に言った。
「私たちは、囲まれている。袋の鼠だよ」
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