第39話 使者
萌恵の中で何かが芽生え始めていた。
マウファは「思い出しなさい」と言った。知識としては何も浮かんでこない。でも、感覚として何かが出てこようとしている。萌恵の攻撃など、片岡にとっては蜂の一刺しにもなってないのは、よくわかっていた。何しろ口喧嘩以外、殴る蹴るの喧嘩はしたことがないのだから、いきなり相手を倒そうとしても、どこをどう打てばいいのか、叩けばいいのか、わかるはずもない。
ケサ・ランドール片岡は、萌恵の攻撃をかわすばかりで、萌恵を倒そうとは考えていない様子だった。それに痺れを切らしたのか、ロッキンゼルガーが怒鳴った。
「小娘などに関わるな。手前の邪魔者をなんとかしろ」
それは、無論、ラックハマターのことだ。
ケサ・ランドール片岡が一瞬立ち止まる。ラックハマターと目が合った。ビクビクモードのラックハマターに、片岡は嫌そうに笑う。嫌なことは早めにケリをつけたい気分なのだ。
片岡は、ラックハマターに襲いかかってきた。ウォールを消して逃げるか、このままやられるか、ラックハマターは岐路に立った。
その時、思いがけない一撃がケサ・ランドール片岡を跳ね飛ばした。萌恵が蹴りを入れたのだ。ラックハマターでさえ、びっくりするような一撃だった。跳ね飛ばされた片岡は言うまでもない。ロッキンゼルガーでさえ、装甲ジープの上で身を乗り出した。
「負けてるねえ」
突然、背後から声をかけられて、ロッキンゼルガーは驚いて振り返った。見覚えのある男が立っている。車高の高い装甲ジープの上から見ても、上半身が目に入ってくる。それほどに背が高い。
「何の用だ。マウフェンバッハ」
「可愛い女の子に手間取っているようだから、手伝いに来たのさ」
「今、裏切り者のカーライルを処分したところだ。あの小娘は問題外だ」
マウフェンバッハは「そうかな」と呟き、笑った。いかにも馬鹿にした笑い声にロッキンゼルガーは苛ついた。マウフェンバッハは、急に真面目な顔になって、こう切り出した。
「殺すな。生け捕りにしろというのが、上の指示だ」
「何だと」
「不満のようだね。でも、考えて見たまえ。あの子たちは非常に興味深い素材だ。ラボでの研究にも役立つ」
それは、ロッキンゼルガーも同意見だった。問題は、どうやって捕まえるかだ。
「それができれば、苦労はせん」
「最新兵器を使う」とマウフェンバッハは自信ありげだ。
「まさか」
ロッキンゼルガーも知らないわけではなかったようだ。
「あれは、まだ研究途中だ」
「閉じ込めて、捕まえるだけだよ」
「ダメだ」
「私は確かに伝えたからな」
と言うと、マウフェンバッハは手を振って、さっさと歩み去った。
何かを仕掛けていると、ロッキンゼルガーは思った。だとしたら、ここで巻き込まれるのは危険だ。ロッキンゼルガーは通信機をつかって、ケサ・ランドール片岡に「戻れ」と伝えた。
ケサ・ランドール片岡の動きは速く、肉眼で追うことができない。相手の女の子も、同じだ。肉体を強化されているわけでもないのに、どうして片岡と同じくらい速く動けるのか。興味尽きない。マウフェンバッハが言ったように、捕まえられることなら、生きたまま捕まえて、ラボでじっくり研究したい。ロッキンゼルガーも、真剣にそう考えるようになっていた。
ただ、「あれ」が気になる。
ロッキンゼルガー自身、ラボで一度見たことがある。生き物を囲い込んで捕まえる檻のような装置の実験だった。ただ、その実験場には囲いや檻が作られているわけではなかった。何もない、ガランとした広場に30種類くらいの大小の動物たちが集められていた。植物も植えられていた。
実験開始とともに、広場の上空に遠隔操縦の小型ヘリのようなものがいくつも飛来し、網のようなものを広げた。ロッキンゼルガーや他の研究者たちが陣取っていた建物の上にあった巨大な電極から何度か放電され、網を直撃した。網は金属でできているようで、火花を散らしながら電気が走る様子が見て取れた。
飛んでいたヘリはショートして次々と墜落していく。びっくりして逃げ惑う動物たちの上に被さるように、ヘリと網が落ちていく。よく見ると、地上にも電極棒のようなものがいくつも設置されていた。
地上の電極棒と落ちていく網、そしてこれも真っ逆さまに落ちていく小型ヘリ、それらが放電された電気によって繋がって、一瞬、空気の塊のような壁ができて動物たちを囲い込んだ。逃げられないままに、動物たちは激しい電撃に見舞われ、ローストされてしまった。
実験は失敗だと、その時ロッキンゼルガーは思った。だが、機器を操作していた研究者たちは、意外にも満足そうな顔をしていた。それが意外だった。
その兵器はまだ未完成だと聞いていた。ここで実験の続きをやろうとでも言うのだろうか。いずれにせよ、早く部隊を撤収させないと巻き込まれることになると、ロッキンゼルガーは思った。
ケサ・ランドール片岡に向かって「戻れ」と合図した。気づくかどうかは、片岡次第だ。
一方、片岡は素早く動き回る萌恵に戸惑っていた。前より動きが速くなっていると感じている。捕まえようとするとすり抜けるし、打撃もかわす。身体の中の銃弾を全弾ぶちかましたい衝動に駆られたが、それをすると味方にまで損害が出てしまう。
しかも、萌恵は巧妙にロッキンゼルガーを背にしていた。
ケサ・ランドール片岡は苛つきながらも、ちゃんとロッキンゼルガーの命令を見ていた。ラックハマターに照準を当てる。萌恵は、急にケサ・ランドール片岡の動きが止まったことを不審に思った。照準の先を振り返ると、ラックハマターがいる。
まずいと思って、ケサ・ランドール片岡の腕を狙った。
ケサ・ランドール片岡が撃ったのと、ほとんど同時だった。萌恵がまた振り返ると、ラックハマターが肩を押さえてひっくり返ろうとしている。萌恵はケサ・ランドール片岡の腕を蹴り上げる反動で、ラックハマターのところに跳んだ。
「大丈夫?」
ラックハマターは肩を押さえたまま「平気だ」と言ったが、その時確実にウォールは消えていた。敵が来ると思って、萌恵は身構えた。
しかし、実際は逆だった。
ケサ・ランドール片岡も、ロッキンゼルガーも、部隊ごと後退して行った。
ロッキンゼルガーの装甲ジープに跳び乗ったケサ・ランドール片岡は、不満タラタラに「なぜ引くんですか」とロッキンゼルガーに言った。
「神官どもが来ているのだ」
「えっ」
「未完成品の実験をしようとしている。巻き込まれるのは御免だ」
そう言われると、ケサ・ランドール片岡も逆らえなかった。「神官」と呼ばれている輩がラボでどんな研究をしているのか、片岡なりに知っていたからだ。正直、片岡自身もその研究の成果の一つだった。何をしでかすかわからない奴らというのが、ケサ・ランドール片岡の偽らざる気持ちだった。
「お前、どうした」と、ロッキンゼルガーに言われて、ケサ・ランドール片岡はハッとなった。身体がボロボロになっている。未だかつてなかったほど長い時間高速で動き回っていたことと、あの小娘の打撃のせいかと思った。
「エルフ・ウェッジですか」
ロッキンゼルガーは頷いた。
「で、あいつらは」
もちろん、萌恵たちのことだ。
「わからん。わしらだって、巻き込まれたら、どうなるか誰にも分かっとらんのだ」
死んでもいいということかと、ケサ・ランドール片岡は理解した。どの道、このままではいずれ殺すことになっていたはずだと思うと、自分の手を汚さずに殺せることをよしとせざるを得ないとも思った。
その時、片岡たちとは逆の方向に向かう人影を見た。森の中を移動していたし、動きが速かったので、どんな奴か片岡にはわからなかったが、また余計な敵が増えたのではないかという気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます