第38話 蟹庵亭の男

 兵士の一人がランチャーで小型ロケット弾を高く打ち上げた。ロケット弾は上空に大きな弧を描いて、まっすぐに社殿のあったところにいる萌恵たちに向かって落ちていく。

「しまった」

 ラックハマターが慌ててウォールを動かす。そこに隙ができた。

 ウォールがなくなったのを幸いに、ランチャーを打った装甲兵が、カーライルに襲いかかってきた。他の兵士たちもそうだが、面当てをつけて顔を隠している。ただ、ラックハマターを無視して、まっすぐにカーライルに襲いかかってきたことから、どこか出会ったことのある相手かもしれないと、カーライルは感じた。

 ウォールのお陰で上空高いところでロケット弾は爆発し、萌恵たちに怪我はなかった。それを確認して、ラックハマターは、正面にウォールを戻した。しかしその時には、もうカーライルに襲いかかってきていた兵士はウォールの中だった。止められないし、手助けもできなかった。

「カーライル爺さん」と叫んで、萌恵が走ってくる。

 その動きの速さにはラックハマターも驚かされた。萌恵は自分に何ができるかよりも、カーライルのことが気になって駆け出してしまったのだ。

 カーライルは「来るな」と返すのが精一杯だった。

 その兵士は、槍の両端が鎌になった奇妙な武器を手にして、カーライルに打ち掛かってきていた。かなりのスピードで連打してくる技をかわし続けなければならず、振り返ることさえできなかったのだ。

 ウォールの中にはもう一人いた。萌恵の動きを止めたのは、ケサ・ランドール片岡だった。片岡もまた、ウォールの隙をついて中に入ってきていたのだ。片岡は機械の手で思いっきり萌恵を跳ね飛ばした。普通だったら、大怪我をして立ち上がれないほどの力だ。

 驚いたことに、萌恵は怪我ひとつなく、出血もなかった。ただ、意識は少し朦朧としているようで、ゆっくりと立ち上がると、ケサ・ランドール片岡に向かって飛びかかっていった。顔は無表情で、片岡を見ている風でもなく、身体が勝手に動いている印象だった。

 ラックハマターは、何かが切れたのかと思った。思考停止状態で、身体が動くというのはラックハマター自身にも経験があった。そんな時は、かなり強い。か弱い女の子ではなくなっている。萌恵と片岡の動きは、目にも留まらぬほどに速かった。ラックハマターは背後を気にしつつも、目の前の兵士たちに集中することにした。

 カーライルは萌恵の方を見ることさえできなかった。それほどに、目の前の兵士の動きは速かった。素手で鎌に立ち向かうわけにもいかず、カーライルはバタフライリングを手にとった。正直、使い方のよくわからない道具ではあったが、防御くらいには役に立つだろうと考えたのだ。

 防御しつつ、相手の様子を探るため、声をかけた。

「お主、どこかで会ったことがあるな」

 相手は、ニヤリと口元を歪めた。男は両端が鎌になった槍を振り回してくる。

「双極鎌の使い手か」

 カーライルは、バタフライリングをそれぞれ違う方向に投げた。

「明後日に飛んでるぞ」

 男は馬鹿にしたように言い、双極鎌を振り回す。槍の柄と思われた部分がしなって、まるで鞭のようにカーライルに襲いかかってきた。カーライルは身を伏せて、それをかわす。その時ブーメランのように戻ってきたバタフライリングの片方が、男の面当てを砕いた。

 その顔を見て、カーライルは合点が言った。

「蟹庵亭のオヤジか」

「やっと気づいたか」

「諸角とかいったな。お主は、やはりあやつらの手先だったんか」

 カーライルは、ロッキンゼルガーを指差した。両角は双極鎌を振り下ろし、接近戦に出た。カーライルは、二つのバタフライリングをそれを受け止める。

「知るのが遅すぎたようだな」

「そうでもない」

 カーライルはバタフライリングを変形させて、双極鎌を持つ諸角の手を切り裂いた。双極鎌が宙を飛んでケサ・ランドール片岡を背後から突いた。刺さるかと思われた矢先、片岡は身をかわし、片手で双極鎌の柄をつかんだ。

 ケサ・ランドール片岡は、双極鎌を諸角に投げて返すと、「自分の武器くらいちゃんと使え」と怒鳴った。その向こうには、萌恵の姿が一瞬見えて、また消えた。同時に片岡も見えなくなった。動きが速すぎて、目では捉えきれない状態なのだ。

 諸角は利き腕に深い傷を負っている。カーライルはバタフライリングを収めて、諸角に声をかけた。

「一旦、引け。その傷では戦えまい」

「ふざけるな。もう俺に後はないんだ」

 そのことがの意味するところが何か、カーライルには分からなかった。黙っていると、諸角は言葉を続けた。

「貴様のせいでアジトを失った」

「蟹庵亭のことか」

「途中まではうまく利用できたと思ったがな」

「人生と経験が違う」

「俺のミスだ。貴様を殺して、埋め合わせる」

「無駄なこと」

 諸角はカーライルの言葉を聞くことなく、使える左手で双極鎌を振り回してくる。大振りだ。カーライルには、その動きが手に取るようにわかる。カーライルは避け続けた。

「後ろ、気をつけろ」とラックハマターの声が聞こえた。

 カーライルは背後に大きなものを感じ、寒気を感じた。しかし、その時にはもう遅かった。ケサ・ランドール片岡が、その機械の手に装着された小型の銃で背後からカーライルを撃った。普通の身体しか持たないカーライルにとっては、それが致命傷となった。

「カーライル爺さん」という萌恵の声がしたのを、遠のく意識で聞いていた。

 カーライルは最後の力を振り絞って、持っていたバタフライリングをその声のする方に投げた。萌恵は、ケサ・ランドール片岡の巨漢を押しのけて、空中でバタフライリングを掴み、崩れ落ちるカーライルを受け止めた。華奢な身体から想像のできないくらいの力だった。

 ケサ・ランドール片岡は、押しのけられた勢いのままに、今度は諸角を打ちのめした。

「この役立たずめ」

 諸角の身体の装甲は吹っ飛び、粉々になって飛び散った。

 ラックハマターはウォールを保持したまま、見ているしかなかった。ラックハマターの背後で、カーライルを抱きとめうずくまる萌恵と、それを見下ろすケサ・ランドール片岡の巨体が一時の静寂の中にいた。動きは止まっているのに、一触即発だった。

 萌恵は、片岡に背を向けている。その背がかすかに震えているのをラックハマターは見て取った。泣いているのか。しかし、敵はそんなやわじゃない。ラックハマターは、ウォールをやめて、助けに行こうとした。

 その時、萌恵はカーライルの目を両手で優しく閉じて、立ち上がった。バタフライリングを一つずつ手に握りしめている。

「そんなオモチャが役にたつか」

 ケサ・ランドール片岡は、渾身の力を込めて、装甲に覆われた両手を萌恵に打ち下ろしてきた。萌恵はその攻撃をやすやすとかわすと、カーライルから離れた場所に飛びのいた。不思議なことに、その時には手に持っていたバタフライリングは消えていた。

 ラックハマターはどこに行ったのだろうと辺りを見回した。

 バタフライリングはどこにもいていなかった。それは、萌恵の手の中にあった。バタフライリングは、萌恵の身体にゆっくりと溶けるように入り込んでいった。身体が変化していっている。

 後ろの方でその様子を見ていた楓は、あのラッグダムの守り人マウファが言っていたことなのだろうかと思った。萌恵の中で何かが目覚め始めている。楓の頭の中で、萌恵の声がした。

「カーライル爺さんを預かって」

 楓は横たわっているカーライルを見た。自分にできるだろうか。そばにいるのは高井戸と茜、そして気を失っている菜月だけだ。誰も助けられそうにない。それに、萌恵の声を聞いたのは、楓だけのようだった。

「聞こえた?」と聞いても、誰もわからない様子だった。

 楓は、クロックワークドールを起動した。それを変形して、自らの全身を覆った。戦いはできないけど、自分の身を守る鎧くらいの働きはするのではないかと考えたのだ。

 萌恵が時間稼ぎのように、ケサ・ランドール片岡の動きを封じていた。楓を待っているように見えた。怖かったけど、楓はカーライルの所に走った。

 楓の動きに気づいたケサ・ランドール片岡が、背中に隠していた小型のランチャーを出して、楓を狙った。萌恵の動きの方が素早かった。手刀でランチャーを切り捨てた。身体の中をキラキラと輝くものが滑らかに流れていく。一箇所に集まったかと思えば離れ、離れては結びつき、とどまることを知らない。

 楓は美しいと思った。

 見とれているわけにもいかず、楓はクロックワークドールにカーライルを抱きかかえさせると一目散に高井戸たちのところに戻っていった。

 萌恵はその様子を見ている余裕はなかったはずなのに、そのとき微笑んだ。目の前にはケサ・ランドール片岡がいる。今までは防御ばっかりだったが、今度は違った。何かが吹っ切れたかのようだった。

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