第36話 再び、籠神社

 扉の向こうには、境内が広がっている。

 ただ、何かが違って見える。大小の多くの化け物たちが遠巻きに取り囲み、蠢いている。近づいて来れない様子だ。何かが遮っている。ラックハマターのウォールなのだが、それを理解しているのは、マウファだけだろう。

 社殿を見下ろす巨人達に目を奪われて、ヴェッサまでも唖然としていた。

 扉の脇にいる萌恵たちに、マウファが目を向けた。萌恵は、この人のこと見覚えがあると感じた。その思いはマウファにも通じたようだ。マウファはにっこりと笑って、萌恵に声をかけた。

「また会ったわね」

「校庭の人……ですね」

「そう。あなたはずいぶん強くなったようね」

「えっ」

「あの者たちは、ラッグダムに帰す。でも、その後ろの者たちはラッグダムの住人ではない。あなた達に任せるわ」

 萌恵は、化け物たちの背後にいるロッキンゼルガーの部隊を見た。あれをどうしろというのだろう。それに、強くなったと言われても、萌恵には全く自覚がなかった。

 マウファはクエスチョンマークだらけの萌恵をそのままに、一人社殿を降りた。その時初めて、萌恵は女の獣人がそばにいるのに気づいて、思わず後退りした。

「わたし、あなたを見たことある」と、その獣人は言う。

 だれ、知らないと思いつつ萌恵はまじまじと女獣人を見た。ラッフルレイズに印象が似ている。

「どこで、ですか」

「あなたの持ってる黒水晶の中で」と言うと意地悪そうにニヤリとする。

 萌恵は慌ててポケットを手で押さえた。まだ、塊の感触はある。でも、目の前の獣人のことは思い出せない。

「ああそうか。そのとき、わたしのこと、見えてなかったんだ」

 エルフェロウはひとり合点がいった感じで、納得してる。萌恵はなんか嫌な感じがした。何か知っているのに教えないなんて、失礼。ラッフルレイズとは違うと思う。とにかく、紫水晶を渡すわけにはいかない。一緒にいるもう一人の女性。菜月を奪った当人がいるのだから、尚の事だと思った。

 一方、マウファは卓史のそばに行った。白化現象が起き、周囲の地面まで固めつつある卓史は自分さえ失っている。

 急に現れた女性に、カーライルもラッフルレイズも驚いた。

 マウファは白化現象の影響を受けることなく、卓史の側に立ち、卓史に声を掛けた。

「もうそろそろ出てきなさい」

 それはラックハマターにかけた声だろう。卓史の表情が変わった。固まっていた身体がピクピクと震えている。マウファはそれが誰か知っているようだった。

 ラックハマターは、ガーッと吠えて立ち上がった。

「まだ壁を消してはダメ」とマウファが言った。

 ラックハマターが戸惑って、マウファを見下ろす。一瞬消えかかったウォールがまた元に戻り、ぶつかるもの達もいた。

 萌恵はそのときようやくマウファがそんなに背の高くないことに気づいた。

「あのもの達をラッグダムに帰す」

 マウファは至極当然のようにラックハマターに命令した。

 ラックハマターの方がどうしていいか分からず、助けを求めるようにカーライルとラッフルレイズを見た。二人とも分からない。肩をすくめた。

 マウファは社殿に現れた門を巨大化させ、大きく開いた。ヴェッサや高井戸、楓そして萌恵が左右に逃げるのが見えた。マウファはそれを確認して、ラックハマターに「いいわよ」と告げた。

 ラックハマターは言われるがままに、ウォールを消す。

 巨人や化け物たちが、一気にラッグダムへの扉に向かって駆け出した。ものすごい振動と土埃が上がって、前も見えない。ラックハマターとカーライルは慌てて、逃げた。マウファは平然と立っている。ラッグダムへの扉に向けて急ぐものたちが、マウファを避けているのか、通り過ぎていく。土ぼこりに霞むマウファの姿は、誰にもぶつかりもしていないし、かすりもしていない様子だった。

 そして、多くのものたちが扉の中へと吸い込まれるように入って行った。しばらくは、辺りは土ぼこりに包まれて、数メートル先もよく見えない状況が続いた。社殿の姿もよく見えない。

 カーライルとラックハマターは、ただ待つしかなかった。

 土ぼこりに中から、マウファがゆっくりと歩いて出てきた。

「お前さんは無事だったのか」

 カーライルが驚いたように呟いた。マウファはにっこりとした。当たり前といった感じだ。マウファは前からカーライルのことを知っていたようだ。

「あなたの見つけた石は、今、どこのあるの」

 マウファがカーライルに聞いてきた。カーライルは意味がわからないといった顔をした。しかし、マウファには確信がある感じだ。

「今回のトラブルの原因となった石よ」

 カーライルが黙っていると、畳み掛けるようにマウファが聞いてきた。カーライルの心の中まで見通しているかのようなマウファの目をカーライルは見返す事ができなかった。いくらカーライルの方が年を取っているといっても、隠せるものでもなかった。

 その心を読んだかのように、マウファは笑って「私の方がもう随分と年寄りなのよ」と言う。

 カーライルは勘念して、「イシムの宝玉のことを知っているのか」と返した。

「イシム……貴方達はそう呼んでいるのね。あれは、とても不思議な性質を持つものですよ。知っていましたか」

「多少は。我々にも伝承があってね」

「古き人々の言い伝えですね。まだ、繋がっているのね。ちょっと安心しました」

「ご存知ですか」

「私は、とっても年を取っているの。おそらく、その伝承の初めの頃から知っているかもね」

「では、教えてくださらんか」

 マウファはまた微笑んで、「ダメ。ある方々との約束なの。貴方達の伝承の初めの人たちよ」

「何故」

「知らない方がいいから」

 そこで、近くで爆発があり、話は中断された。撃ってきたのは、今まで遠巻きに包囲していたケサランドール片岡の部隊の者たちであった。すぐにラックハマターがウォールを作って防御した。

 マウファが「堪え性のない人たちね」と呟く。

 と同時に、撃ってきた兵士の銃が吹っ飛んだ。その反動で、兵士自身ものけぞってしまう。

「何をした」とカーライル。

 マウファは黙って、微笑んだ。


 そこで驚いていたのはカーライルだけではない。

 兵士たちの後ろの特殊装甲ジープから見ていたロッキンゼルガーもまた、目を見張った。何が起きたんか理解できない。そばいいたケサランドール・片岡に「撃たれたのか」と聞いても、片岡さえ首を傾げていた。兵士はよろよろと立ち上がったから、ダメージを受けているものの、死んではいないことは分かった。

「また、未知の能力者か」とロッキンゼルガーは呟いた。

 簡単位手を出せない相手であることだけは理解できた。無理をせず、様子を見ることにした。


「やっつけようぜ」とラッフルレイズが怒鳴る。

 ところが、マウファはフッと引き下がった。

「どうした」とラッフルレイズが問うと、「御免なさい。私はこれ以上この世界には関われないの」とマウファが答えた。

「どうして」とカーライル。

「古き人々との約束。私はあっちの人とも話があるから」

 あっちとは、社殿のところで怯えている萌恵や茜、楓、高井戸、そしてヴェッサを指していた。ここにいるマウファはそのままに、彼らのところにもマウファは現れた。

 ここにいるマウファは、ふとラッフルレイズを見た。

「あなたは、どうするの」

「俺か」とラッフルレイズは戸惑って言う。

「それとあなたもね」

 マウファはラックハマターを指さした。

 一方で、萌恵は、カーライルのそばにいるマウファと目の前にいきなり現れたマウファを見て、びっくりした。どちらが本物なのと思ったからだ。

 マウファは、萌恵、茜、楓、高井戸、ヴェッサ、気を失っている菜月そしてエルフェロウを見回して、楓に声をかけた。

「あなたの力は、みんなの役に立つわ。彼女と一緒にみんなを守って」

と、萌恵を指差す。楓は戸惑って、「どうして、私なんか……」と言葉を濁した。

「機械の人形を使えるでしょ。今は、それが役に立つわ」

「あなたはどうするの」

「ごめんなさい。私は、あのもの達を」

と、ウォールの外の化け物達を指差し、「この扉の向こう、ラッグダムに戻してあげなければならないの。壁のこっち側の二人と、そこにいる人も」

 楓は、その言葉を聞いて、カーライルのそばの獣人と若者、そして、エルフェロウのことだと理解した。マウファは言葉を続ける。「この神様との約束もある」

 扉のそばに立つ気の強そうな若い女性を「神」と呼んだことに楓も萌恵もびっくりした。この神社の祭神とでも言うのだろうか。その女性は嫌そうな顔をして、ツンとそっぽを向いた。

 萌恵にとっては、友人の菜月に取り付いていた相手と気づいていたので、ますます嫌いになった。しかも、菜月はまだ意識を取り戻していない。

「みんな、帰っちゃうんですか」と萌恵は不満そうに聞いた。

「そう。あっちの二人はまだ迷っているかもね」

 マウファは、ラッフルレイズとラックハマターを指差した。そして、「あなたはどっちがいいの」と、今度はエルフェロウに聞く。

 エルフェロウは困ったような顔になった。自分はラッグダムに戻ることを決めている。だが、ラッフルレイズがどう思っているかはわからなかった。彼女は、ラッフルレイズに対して、遠い昔からの繋がりを感じていたからだ。しかし、それが何かはわからなかった。きっとマウファは、これが最後の別れになるといっているのかもしれなかった。

 そのことが、エルフェロウをとても戸惑わせていた。

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