第35話 陸断姫の宮殿

 機械仕掛けの人形を先頭に、楓と高井戸が建物が見えた場所にたどり着いた時、もう辺りは暗くなってきていた。ようやく見える視界の中で、広い窪地しかなかった。大きな建物は、痕跡すらない。

 がっかりして、二人は座り込んだ。冷たい風が吹いて来る。

 また、天空に轟きが走り、広大な荒野に落ちて来るものたちの姿が見えた。嫌な気持ちになり、二人は窪地に降りて行った。せめて、あの姿を見ないですむところに行きたかった。

 道も階段もない斜面で、二人は何度も足を滑らせて、転びそうになった。手を取り合って何とか窪地の底にたどり着いた。平たくなった部分の真ん中に、何か小さい祠のようなものが立っている。そばに行って見ると、二人の背丈ほどの祠があった。

 扉が開いている。中を覗き込んでも、暗くてよく見通せなかった。

 天の轟きは続いている。扉の中を覗き込んでいた楓が、その音にびっくりして扉を閉めた。すると、轟きがピタリと止んだ。不思議に思い、今度は開けようとすると開かない。何かとんでもないことをしでかしたのだろうか。楓は不安になった。

「やばいかな」

「仕方ないんじゃない。あなたの所為じゃないわよ」

 高井戸が慰めるように言った。

 その様子を見ていた者がもう一人いた。その者は、まだ斜面の上にいる。見た目は獣。ラッフルレイズのようだが、身体は細身で女性のようでもあった。その獣人は、空を駆けるように二人の前に現れた。

 楓と高井戸がギョとなった。いきなり目の前に現れたように感じたからだ。身構える余裕もなく、呆然と立ち尽くす格好になった。

 獣人はじっと二人を見つめている。襲いかかって来る感じではない。楓が恐る恐るその顔を見ると、その目は獣の目ではなかった。

「あなた達を知っているわ」と獣人が言った。

 楓と高井戸は、思いがけない言葉に互いを見交わした。お互いに、あなた知ってると問いかけているかのように。

「二人とも、占いの館にいたわね」

「紫占さんの?」と高井戸が言う。

「そう。でも、あなたはあの時とは違っている。憑き物が取れたように見える」

 そう言われて、高井戸はあの時は夢の中にいるかのような気分だったことを思い出した。

「闇に囚われていたんじゃないの」

「…かもしれない」

「よかったわね。闇が離れて」

「闇って何ですか」と楓が問うた。

「この世界にいた魔のかけらよ。他のものを取り込んで、力を増すの。あの時は、あなた以外にもたくさんのもの達が取り込まれていた様子だった」

 高井戸がおずおずと聞いた。「あなたも」

「私は違う。私の心はあの占い師さんの方に繋がっていた」

「紫占さん」と楓が確認した。

「そう。私はラッグダムに帰りたかったし、自分の身体に戻りたかった」

「ラッグダム?」

 楓と高井戸にとっては初めて聞く名前だった。

「この世界のこと。私たちは、そう呼んでいる。そう言えば、この身体を取り戻せたのも、あなた達のお陰ね」

「それは、どうも」

「あの招仙門を通れたから」

「あの二本の柱のこと?」

「そう。私の身体は、門のこちら側にいた。でも、魔に囚われていた私の心は、門のこちら側には来れなかったの」

 と言われても、楓も高井戸も戸惑うばかりだった。

「理解できなくていいわ。とにかく、礼を言う。ありがとう」

「あなたは、私たちの言葉を話している」

 今更ながらに、高井戸が聞いた。

「あの占い師さんと一緒だったから。心が相手の身体と一体になっていると、その人の持っている知識も手に入るの」

 楓も高井戸も、ますます理解できない。

「とにかく、礼を言えてよかった。では、失礼」

 と言って、獣人が立ち去りかけて時、大きな窪地に変化が起きた。

 巨大な宮殿が出現し、三人は大きな広間にいた。階段の上に高壇があり、その向こうに大きな木の扉がある。そして、その前に誰かが立っていた。

 獣人は素早く身構える。戦闘の経験のある身のこなしだ。

 高壇の上の人は、巫女のような格好をしており、身構えた獣人を手で制した。獣人は床に押さえつけられて、身体を動かそうにも、指ひとつ動かせない様子だった。離れたところから、身体の自由を奪うとは、かなりの力を持っているようだった。

 巫女の顔は怒りに震えている。楓も高井戸も、何が何だかわからない。

「なぜ、邪魔をする」と巫女が言った。

 階段下の三人は、答えようがない。

 楓が小さな声で「何をしたと言うの」とつぶやくと、巫女は「神に逆らうか」と怒鳴りつけ、楓と高井戸の二人も、床に押さえつけた。空気の塊が身体に乗ってきたかのように、身動きできなくなった。

 楓は離れたところにいた人形を動かして、巫女への反撃を試みた。しかし、人形はあっさりと吹き飛ばされてバラバラになってしまった。万事休す。

 楓は目をつぶった。何をされるか想像もできない。そんなことを見たくもなかった。上からゆっくりと近づいて来るのを感じた。それは巫女かと思いきや、別の声がした。

「もう、おやめなさい」

 楓が目を開けると、三人と巫女との間に、一人の女性が立っていた。白いローブをまとい、背も高い。巫女は圧倒されて、言葉を失っていた。楓が手を動かそうとすると、あっさりと動いた。高井戸も、獣人も、圧迫を逃れたようで、起き上がっている。

「あなたは、陸断姫と呼ばれているの」と、その女性は巫女に聞いた。

「それは、そこの人間達の呼び名だ」

「神として祀られている」

「迷惑」

 その女性は、フッと微笑んだ。それが嫌だったのか、陸断姫はムッとしてどなった。

「何者だ」

「あなた、一度、私に会いに来たんじゃない。このラグワム狭道の先にあるラームに」

 陸断姫は少し驚いた様子で、言葉を和らげた。「あなたは誰れ」

「マウファと呼ばれている。見守る人という意味だ」

「あなたが…ラームの聖者」

「そう言うものもいるのかしら。私はただ古い約束を守っているだけ」

 陸断姫は泣きそうな顔になって「私は自分のいた世界に帰りたかった」

「天の世界」

「地上の世界からそんなに離れていない。それなのに、あの忌まわしい神社のお陰で縛られている」

「人々の祈りね。天の住人である神にとっては、嬉しいことなのに」

「今となっては、苦痛でしかない。だから、あの神社を壊してしまいたかった」

「そう。残念。そうすると、この人たちが戻れなくなる」

 そう言って、マウファは楓と高井戸を指差した。陸断姫は聞きたくないとでも言いたげに、顔を背けた。

「神様なのに。冷たいのね」

「知らない。知りたくもない」

 陸断姫は両耳を押さえて、背を向けた。

「そうはいかないわ。まだ、多くのものたちがあちらの世界にいる。私には、ラッグダムに戻してあげる責任がある」

「どうして。関係ないでしょ。あんな化け物たち」

 マウファはニコリとして、「約束なの。古い約束」と言った。

 そして、陸断姫に「協力してくれたら、天界に帰してあげる。どう?」

 ちょっと意地悪そうに言う。陸断姫は天界に戻りたい誘惑に、ちょっと顔をしかめた。その顔は哀しげでもある。マウファには、陸断姫を天界に戻せる力があることを知っているのだ。

 陸断姫は苦しそうな声で、「私に何をしろと?」と問うた。

「あの扉を開けなさい。そして、まずこの二人を戻してあげること」

 と言って、楓と高井戸を指差した。

 陸断姫は嫌そうな目で二人を見る。明らかに嫌っている目だ。

「そして、扉の向こう側にいるラッグダムの住人たちをこちら側に戻してあげる。そうすれば、あなたを天界に帰してあげる」

 至極当然そうに、マウファは陸断姫に言った。陸断姫は悔しそうに「嘘ではないな」と訊す。

 マウファはにっこりと笑って「約束する……えっと」

 マウファは陸断姫の名前を知らない。

「ヴェッサ」とだけ陸断姫は答えた。

「そう。ありがとう。ヴェッサ」

 マウファはどこまでも嫌味がない。不思議な人だと、楓は思った。高井戸も、もう一人の獣人も感じている様子だった。マウファは、そんな楓たちの思いに感じたのか、三人を見た。

「戻るでいいのよね」

 楓も高井戸も、頷く。マウファは獣人を見て、「あなたはラッグダムの住人ね」

「そうです。聖者様。エルフェロウといいます」

「あなたたちまで、私にことをそう呼んでいるの」

 エルフェロウは、感じ入った様子でお辞儀をした。

「ありがとう。でも、そう呼ばなくていいわ。出会っているのですもの」

「何とお呼びすれば…」

「マウファ」

 そう言うと、今度は穏やかな微笑みを向けた。

「マウファ様」

「こそばゆいわね」

 その様子はあくまで普通の人のように見えた。しかし、この人にはとてつもない何かを感じると楓は思った。きっとこの世界を守ってるからに違いない。それだけの力を持っているという感覚がどうしようもなく迫ってくる。油断してはいけない。

 マウファが軽く手を振ると、高壇の奥にある扉が開いた。急に強い風は吹き込んできた。

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