第34話 ウォール
転がりそうになる男をラッフルレイズは受け止めた。さっきとは全く違う。顔つきさえ変わっている。立っていることさえできない。
そういうことかと、ラッフルレイズもカーライルも合点がいった。
「助けてくれえ」
ラッフルレイズに抱きとめられているお陰で飛ばされないで済んでいるのに、逃げようと必死にもがいている。ラッフルレイズが離せば、そのままラッグダムに飲み込まれてしまうことだろう。さっきのラックハマターのことを思い、ラッフルレイズは男の身体を離さなかった。
ラッフルレイズは男を押さえつけながら、全然違うものだなと苦笑した。
「こんなときに何を笑っとる」
カーライルは少しムカついていた。自分が飛ばされそうなので、堪えるのに精一杯だった。
「仲間だしな」
ラッフルレイズは少しずつにじり寄ってくるものたちの方を見て、微笑んだ。樹木や石、捨てられたトラック、はたまた犬猫、昆虫にしか見えなかったものたちが少しずつ近づいてきている。犬猫と見えたものは、もっと大きな固まりになっていた。一匹や二匹の犬や猫であれば、とうの昔にラッグダムに呑み込まれてしまっていたことだろう。
そうならないくらいの巨体だった。
「して、此奴らは、あの狭い穴を通り抜けられるのかね」
「分からん」
カーライルも、ラッフルレイズも、ちょっとした無力感を感じていた。しかし、このまま黙って見ていたら、あの巨人たちが押し寄せて来て、籠神社の社殿は粉々に破壊されてしまうことだろう。そうすれば、もうラッグダムに通じる道は塞がれてしまう。つまりは、帰れない。
この地の人間たちと共生していけるのか。疑問だ。
「数が多すぎる」とカーライルが呟いた。
「助けたいが、ね」とラッフルレイズ。
その時、神社の森の向こうから嫌なものが現れた。軍用ヘリだ。しかも、重武装している。
背後で高らかな笑い声がした。カーライルとラッフルレイズが振り向くと、社殿の扉の前に一人の巫女が立っている。
強風の中、萌恵の声がした。
「菜月」
籠神社が崩壊した時、一度会った女の子だとカーライルは思った。
なぜか、その巫女は嬉しそうに笑っている。迫り来る化け物たちを迎え入れるかのようだ。あの巨体に踏まれたら、籠神社の社殿などひとたまりもなく潰されてしまうというのに。
すると、不意に社殿の扉がバタンと閉まった。巫女が驚いた様子で振り返る。ラッグダムへと誘う強風が止まった。その瞬間、巫女の身体が倒れ、萌恵が慌てたように抱きとめたのが見えた。
「何か起きた」
カーライルが呟いた。
ラッフルレイズは、それどころじゃない。地面に突っ伏して泣き喚いていた袖なし半纏男に異変が起きていた。押し寄せてくる巨人たちの前に、透明な壁が立ち上がっていた。ラッフルレイズが男の顔を覗き込む。石のようにカチカチに固まっている。
カーライルは興味津々で、顔を指先で叩いてみた。乾いた音がする。
壁は頑強で、巨人たちの動きを止めた。
背後からロッキンゼルガーらの軍用ヘリが迫っていた。異変を察知して、ヘリの一団は上空で待機している。壁が見えているのだろうかと、ラッフルレイズは思った。ヘリが降りてくれば戦いだ。そのままでいてくれることを祈る。
この袖なし半纏男の作った壁はどれくらい持つのか、不安だった。
壁に止められ、社殿の扉がしまったことから風圧もなくなり、立ち止まった巨人たちの上空のヘリの音が妙に大きく響いてくる。巨人たちも、上空を見上げる。
ラッフルレイズとカーライルはお互いに顔を見合わせた。これはやばい状況ではないか。きっとどちらかが仕掛ける展開になる。一触即発だ。
一方で、菜月の身体から抜け出した者は、ラッグダムに戻っていた。
そして、そこにいたのは楓と高井戸の二人だった。
なぜ。そこに二人がいるのか。
楓と高井戸が籠神社の崩落に巻き込まれたときのことだ。楓は機械仕掛の人形を操る力を使って、箱を作り、楓と高井戸をその中に入れた。占いの館の火事のときに楓と高井戸それに紫占が隠れていた箱だ。これはかなり頑丈な箱で土砂や瓦礫の圧力に耐えてくれた。二人は周りが静かになるまで、箱の中に隠れていた。
ものすごく高いところから落ちたかのように、箱に衝撃があり、跳ね上がった。箱は十数メートル転がったようにも感じられた。この箱のいいところは、箱がひっくり返っても、中にいる者には影響がないということだ。衝撃はあるものの、ぶつかったり、転がったり、目を回すようなことはない。
楓と高井戸は、身を寄せ合って、じっと外の気配を窺っていた。
どれくらいの時間が経ったことだろう。二人は浅い眠りを貪っていた。目を覚まし、あたりが静かになったのを確認して、楓は箱の一部を開いて、外を見た。
激しい突風が吹き荒れていて、砂埃が舞い込んできた。慌てて閉める。
「どうだった」と高井戸が聞いてきた。
楓は困った顔になって、「わかんない。けど、埋もれているわけではなさそう」
「地上なの」
「多分」
高井戸はちょっと安心した様子。土砂に埋もれてしまうことの方を恐れていたのだろう。楓にしてみれば、一・二メートル先も見えない砂嵐の中も、大して変わらないような気がした。高井戸を不安がらせるのも悪いと思った。
「もうちょっとここにいましょう」
高井戸は素直に頷いた。
外が静かになって、ずいぶん時間が経った。楓がまた外の様子を窺う。風も砂埃も収まってきたようだった。楓は箱の鍵を解いて、箱を展開して今度は人形に変えた。萌恵とカーライルが出会った人形だ。人形を先に進ませる。
そこは平坦な荒野だった。一方に丘陵地があり、反対方向はどこまで続くかと思われるほどの荒野だ。丘陵地には樹木はなく、緑もほとんど見られない。丘と丘の間の谷に何か立っているのが見えた。
「あれは、何?」と高井戸が指差す。
楓も、目を凝らして見る。柱が二本立っているように見える。
二人は行ってみることにした。どうせここにじっとしていても、何も起きないし、暗くなってきたら嫌だ思い始めていたからだ。もう太陽が傾き、夕闇が迫ってきていた。
二本の柱と見えたものは、大きな門であった。通ろうとすると、なぜか手前に戻ってしまう。門の向こう側には行けなかった。その時、天に雷鳴が轟き、背後の荒野に天空から何かが落ちてきた。たくさんの異形の化け物たち。大きくはないが、数が多い。滝を滑り落ちるかのごとくに、天から降って来る。
二人は怖くなって、再び門の中に駆け込んだ。今度はうまくいった。ちょうど太陽が地平線に沈んだくらいの時間帯で、ようやく薄暗さが見えてきていた。
門の中に入ってしまうと、今度は出られないことに気づいて、二人は驚くと同時に安堵した。天から落ちてきた異形のものたちが荒野に散って行っていたからだ。こちらに駆けてきた化け物に襲われたら、逃げ場はないと思われたのだ。
二人は丘の谷間へと入って行った。
二人並んでようやく進めるくらいの狭い道で、くねくねと上り坂が続いていた。
見上げると、太陽の最後の光を受けて、何か輝くものが見えた。巨大な建物の瓦のようだった。行ってみようと、二人は狭道を急ぎ足で登った。建物があれば、誰かがいるかもしれない。それが何者であるかは、頭から消えていた。二人は助かったと思い込んでいた。
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