第33話 謎の男

 ラッフルレイズの力を持ってしても、扉はビクともしなかった。叩いても、蹴っても、ヒビ一つ入らない。

「衰えたな」とカーライルが言うと、ラッフルレイズは嫌な顔をして、ますます力を込めた。

 萌恵は、記憶の中で見た菜月が現れるのではないかと恐れた。何者かは知らない。でも、武装した兵士たちを軽く吹き飛ばすような力を持っていた。

 社殿の扉は思いの外頑丈だった。ラッフルレイズが肩で息をしている。冷やかしていたカーライルも普通じゃないと思い、自分でも扉を調べてみた。古いことは古い。乾燥し切っている。表面の塗装も剥げ落ちて、下地が露出しているところも多い。閂は外れている。

「何故、これが開かんのだ」

 カーライルも不思議の感を隠せない。ラッフルレイズは疲れてしまって、「クソッタレ」と息が荒い。カーライルは何を思ったか、トントンと扉をノックした。開かない。ノックして、開けてみる動作を何度か繰り返して、諦めた。

「入れてくれそうにないなあ」とカーライルがため息をついた。

 そして、萌恵に顔を見た。

「わたし? どうしろって言うの」

「何か思いつくことはないかね」

 萌恵は首を傾げて、お手上げポーズ。再び、カーライルもため息。呼吸が整ったラッフルレイズが、再び扉の前に立った。まず、大きく吠える。脅しなのか、気合いなのか。

 足を大きく振り上げて蹴ろうとしたとき、小さくカチャリと音がした。閂は外れているのに、鍵の開く音がするなんて、とても違和感があった。何が出てくるのと、萌恵はカーライルの陰に隠れた。

 ギギギィィィと小さな音を立てて、扉が少し開いた。ラッフルレイズとカーライルは身構えた。離れた位置から扉の隙間を覗き込む。狭い隙間から見える室内は暗い。何者がいるのかもわからない。

「開けるぞ」とラッフルレイズが言って、開いた木戸の側に立った。慎重に、閂の枠を掴む。すると驚いた表情になって「軽い」と呟いた。

「待て」とカーライルが声をかけて、萌恵を連れてもう一方の木戸の横に移動した。扉から何かが飛び出してきても、直撃を避けようというのだ。

 それを見届けてから、ラッフルレイズが思いっきり力を込めて扉を引いた。

 猛烈な風が吹いて、社殿の中に吸い込まれていく。萌恵、カーライル、ラッフルレイズの三人は扉の陰で風圧を避けた。

「戻るなら、今じゃぞ」

 何を思ったか、カーライルがラッフルレイズに大声で言った。まだラッグダムに繋がっているから、猛烈な風が起こっているのだとカーライルは思っていた。

「いいのか。もう戻って来ねえぞ」

「そのかわり、あの姉ちゃんだけ帰してくれ」

「誰のことだ」

「萌恵さんの友達」

 ラッフルレイズも合点がいったようだった。「でも、どうやって?」

 このままなかに飛び込めば、ラッフルレイズの体力を持ってしても、瞬く間にラッグダムに飲み込まれてしまうことだろう。

 そこに、女性の悲鳴が響き、若い女性の身体が飛んできた。ラッフルレイズとカーライルが慌てて扉を閉めた。女性の身体は扉に当たって、社殿の外縁に落ちた。

「茜ちゃん」

 思わず、萌恵が声に出した。

「知り合いか」とカーライル。

 萌恵が駆け寄り、抱き起こした。茜は胸を強く打ったショックで息ができない様子だ。カーライルが背中を強く叩いた。人工呼吸をするまでもなく、茜は息を吹き返した。

「しっかりして」

 思わず萌恵は茜の身体を揺さぶった。カーライルが優しくそれを止めた。

「もう大丈夫じゃねぇか」

 ラッフルレイズが調子外れの声で言う。修羅場をくぐり続けたラッフルレイズも、若い女の子のいきなりの登場に自制を失っている。

「友達かね」とカーライルが萌恵に聞く。

 萌恵は黙って頷いた。茜は呼吸はしているものの、痛みのせいか顔をしかめ、起き切れない様子だ。

「おい。もう一人いるぞ」

 ラッフルレイズが鳥居の方を指さした。萌恵とカーライルがその方をみると、袖なし半纏を」着た若い男が立っている。萌恵には、どこかで見た記憶があった。でも、どこ?

「知り合いか」とカーライルが聞いてきた。

「思い出せない」と萌恵。

 若い男は、ゆっくりと歩いてくる。ラッフルレイズが怪訝そうな顔になった。

「どうした」

「あいつ、変だ。二重に見える。」

「どういうことかね」

「俺は、ラッグダムの住人の姿が見える。お前さんたちが、人間の仲間を見えるようにな。あいつは、人間の姿とラッグダムにいる背の低いがっしりした小人の姿と、二つの姿をしている。」

「不思議じゃな」

 ラッフルレイズは、扉に閂をかけると階段を降りて行った。男はゆっくりとしかし確実に近づいてくる。男と萌恵やカーライルとの間を遮るように、ラッフルレイズが立った。若い男は少し笑っているように見える。

「お前、ラッグダムのものだな」とラッフルレイズが先に声をかけた。

 男が止まる。

「俺が見えているのか」

「ああ」

「では、話ができる」

「かもな」ラッフルレイズは距離を開けたまま立っている。

「何で、この世界の住人と絡む?」

「別に、群れちゃいない。コイツらは信用できる」

 男は、信じられないという顔になった。「一体どれくらいの仲間たちが捕らえられたり、犠牲になったか知ってるのか」

「俺は知らん。関係もない」

「そんな奴か」と、男はため息をついた。

「お前は、どうしたいんだ」

 男はややためらいがちに、こう言った。

「仲間たちを助ける」

「そいつらは、どこにいるって言うんだ」

「ここにも、来てる」

 男が振り返ると、背後の森が大きく揺らいだ。人の姿をしたものは一人としてない。全て異形。ラッフルレイズも、流石に驚いた様子で、

「こんなに残っていたのか」と呟いた。

 カーライルも目を見張っている。

「こんなんじゃ、この狭い社殿の入り口を通り抜けられんなあ」

 そのとき、ガタンと音がして社殿の扉が大きく開いた。猛烈な風が起き、社殿の中に吸い込まれていく。萌恵は、茜の体を抑えたまま、外縁にしがみついた。あまりに風圧に社殿自体が大きく揺らいでいる。

 男は両足を踏みしめて、仁王立ちに立っている。ラッフルレイズさえ立ってられないほどの風圧なのに、その脚力にラッフルレイズは驚かされた。

 背後の森に隠れていたものたちが飛ぶようにして社殿に吸い込まれていく。足を踏みしめているのは、樹木と一体化したような巨人くらいなもので、小さなものたちは我先に飛び込んで来ている。ラッグダムに戻れると感じているのだ。

 あの巨人たちもラッグダムに帰りたいのではないかと、ラッフルレイズは思った。だとすると、社殿は破壊されてしまう。止められるのか。巨人たちがまだ踏ん張っているうちはいい。我慢できなくなったとき、どうすればいいのか。ラッフルレイズにはわからなかった。

 社殿が破壊されたとき、この世界はラッグダムに飲み込まれてしまうのか。

 目の前の男には、わかっているのだろうか。

「おい。一体何が目当てなんだ」

 ラッフルレイズが問うと、男は「俺はもう帰れない。それは分かってる。ただ帰りたい奴らがいる。」と答えた。

「どうして帰れない?」

 カーライルは少し優しく聞いた。

「この身体まで連れて行くことになる。こいつは行きたくないだろう」

「お主と一体化したんじゃないのかね」

 男はため息をついた。「それならどんなに楽か。こいつはこいつの意識を持ってる」

「二人で一つなのか」

 ラッフルレイズは興味津々に言った。

「残念ながら、な」

「あっ」と男が小さな声を上げた。

「どうした」

「そろそろ、もう一人の奴が目覚めそうだ」

「どうなる」とラッフルレイズが問う。

「俺ほどタフじゃない。助けてやってくれ」

「お主、名は」カーライルが聞いた。

「ラックハマター」

 と言う間もなく、男は腰砕けになった。

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