第32話 最後のピース

 萌恵は、まだ理解できていなかった。目の前には、崩壊したはずの籠神社の社殿が建っている。誰ひとりいない。何事もなかったかのように、静かだ。

 記憶の旅の中で、思い出したことも多い。おそらく地震の後で失っていたものだ。カーライル爺さんもそう言っていた。カーライル爺さんも、ラッフルレイズも、自分と同じように地上に降りてきたはずで、過去の記憶の中をさまよっているのではないかと萌恵は思った。

 ここにいないということは、二人がまだ自分の記憶の中をさまよっているのか、それとも萌恵自身がさまよっているのかのどちらかだ。

 萌恵は菜月を探してここに来た。まだ、記憶の中にいるのは萌恵自身かもしれなかった。だとしたら、萌恵はここで何と出会ったのだろう。

 ゆっくりと社殿に向かって歩き出す。露出した土がデコボコしていて歩きづらい。

 不意に社殿の扉が左右に大きく開いた。フラッシュバックするかのように、萌恵の周りに人影が現れた。兵士たちだ。かなり重装な武装を身にまとっている。

 猛烈な風が社殿の扉に向かって吹いている。兵士たちはその風に足を取られまいと身構えている。萌恵はその様子を視覚的に捉えているだけで、風そのものの影響は全く感じていなかった。この光景が記憶の中のものであるからなのだろう。

 社殿と扉からゆっくりと出てきた者がいた。萌恵はその姿を見てハッとした。

 菜月だ。萌恵の記憶の中の菜月とは随分様子が違う。

 鋭い視線で兵士たちを睨みつけ、吹き荒れる強風にも微動だにしていない。境内にいる誰もが、社殿の中に吸い込まれそうになりながらかろうじて踏みとどまっているのに比べ、平然としている。

 何か変、と思った時、萌恵は社殿の中にいた。祭壇に大きな穴が空いていて、そこに向かって空気が吸い込まれている。祭壇側の壁際に萌恵がいた。自分を見ている自分がいる。萌恵は、その状況をすぐには理解できなかった。が、すぐに占いの館で起こったことがここでも起きているのではないかと考えた。

 目の前に見ているのが、萌恵の身体だとしたら、萌恵の心はどこかにいるのだ。きっと、近くに。

 その時、萌恵の身体が動いた。社殿の扉に向かって走っていく。扉の外には、菜月がいたはず。

 萌恵の身体の動きに合わせるように、見ていた萌恵も外に出た。兵士たちの姿が見える。背後で扉が閉まり、菜月の姿はどこになかった。中に入ったのだ。萌恵は取り残された。

 運の悪いことに、兵士たちの真ん中に嫌な男の姿があった。散々追いかけ回された奴。ケサランドール片岡だ。

 振り返って、社殿の扉を開けようとしたが、ビクともしない。

「開けて」と言いながら、扉を叩いた。返事もない。萌恵はその行動が、今の自分のものなのか、それとも記憶の中の自分なのかわからなかった。パニクっていた。

 スゥッと何かが抜けて行った。振り返ると、萌恵の身体が兵士達に向かって走っていく。その動きに対し、兵士たちの動きは奇妙にゆっくりだ。ただ一人、ケサランドール片岡を除いて。二度目だ、と萌恵は思った。

 時間軸的には、こっちの方が先なのだろう。萌恵の記憶の中の出来事としては、二度目だった。片岡の動きは、萌恵の動きと同じくらい速い。捕まるかもと思った時、萌恵にとって幸運なことが起きた。

 兵士の一人が、社殿に向かってロケット弾を打ったのだ。

 社殿に当たるかと思われた瞬間、強力な波動が社殿から発せられた。萌恵を含め、片岡はもちろん兵士たちも吹っ飛ばされた。ロケット弾は、誰もいなくなった空中で爆発した。その爆風は萌恵の身体にも襲いかかり、萌恵は鳥居を過ぎて石段の下まで飛ばされた。

 今の萌恵はそれを見ていた。空中を漂うようにして、追いかけている。ここで自分は大怪我をしたのだろうか。この状況なら、全治数週間だと思えた。現実の萌恵は、入院なんかしていない。何があったのだろう。

 もう一つの幸運が、石段の下にいた。

 袖なし半纏男がいて、萌恵を受け止めてくれた。女の子とはいえ、吹き飛ばされた十代の身体を受け止めたのだから、相当な力持ちに違いない。でも、見た感じは華奢な大学生だった。

 上から見ていた萌恵は、その若い男を占いの館の火事の時にも見かけたことを思い出した。ここで会っていたんだ。そのあと、夢の中で部屋を見に行ったような気もした。少しずつ思い出せてきている。

 男と萌恵は何か話をしている。一体何の話をしたのか、今の萌恵にはわからない。声も聞こえないので、ここで知ることもできない。そのうち、男に先導されて萌恵は走り出した。男が神社の方を指差して何か言っている。

 漂う萌恵は、神社の境内の方を見た。社殿はそのままで、吹き飛ばされたはずの兵士たちが、傷ついた仲間を助けようとしている。そこに大型トラックが走りこんでくる。降りたのは、ケサランドール片岡だ。やっぱり転んでも、ただでは起きない。

 片岡は部下たちをトラックに乗せると、トラックを反転させ、走り去った。

 静けさが戻ってきた。

 萌恵は、ここで起きたことを見て、失われた最後のピースが埋められたような気がした。これが全てではないのかもしれない。けど、忘れていたことを思い出すことができた。思い出させてくれたのは、やはり菜月なのだろうか。それとも、違う菜月の方か。

 萌恵は荒れ果てた境内に立ち尽くして、社殿を見つめた。あそこに何かがある。

 ゆっくりと一歩ずつ歩いていく。一歩踏み出すごとに、周りに変化が起こってきた。

 周囲に霧のようなものが広がってきて、その中からまずカーライルが現れた。カーライルは萌恵を見て、ちょっと驚いたような顔をした。

「生きてたの」

「お互い様じゃ」

「もう一人は」

「さて」とカーライルは周りを見回す。

 石灯籠の陰からのそりとでかいのが現れる。ラッフルレイズだ。

「遅かったのう」

 とカーライルが声をかけると、ラッフルレイズは鼻を鳴らして応えた。そして、すぐに二人のそばに来た。

「お前らも、忘れていた過去に出くわしたのか」

 カーライルが大きく頷き、「いろいろ思い出したよ」

「私も」と萌恵。

「一緒か。で、俺たちはなんでここにいる?」

 目の前には、社殿。扉は閉まっている。

「ここは、記憶にない」とカーライルが言うと、萌恵も「ここからは現実、かも」

「俺も、ここに来たのは、二度目だ。ここは、崩れたはずじゃなかったのか」

「何故かのお」

 カーライルが首をかしげる。

「あそこに、菜月がいる」と萌恵が社殿を指差す。

 社殿の扉は閉まったままだ。ラッフルレイズが指をポキポキと鳴らしながら、「助けるか」

「でも、違う菜月もいた」

「二人いるのか」とラッフルレイズが不思議そうに聞いた。

「わからない。私の知ってる菜月と違うのもいたの」

 萌恵とラッフルレイズは、答えを求めてカーライルを見た。カーライルは困った顔をした。

「お爺さんは何か知ってるんじゃない」

 カーライルは黙っている。

「おい。爺さん、教えろよ。もったいぶってる場合じゃないだろ」

「いや、儂も知らんのだ。伝承にもない」

「そうかい。じゃあ、あの扉を開けてみるしかない」

「危険よ」

「どうして」

「あなたのいた世界につながっているかも。呑み込まれることだってある、と思う」

「それは、俺にとってはいいことだ。この世界にいたって、俺は化け物だ」

「戻りたいの」と萌恵が聞く。

「ここにいるよりは、いいだろ。お前たちのことは好きだが、一緒にはいられない」

 カーライルは黙って聞いていた。反対する気はなさそうだった。

「決まったな。俺が先に行くぞ。大丈夫だったら、ついて来い」

 ラッフルレイズは、社殿の階段を登っていった。そして、扉に手をかけた。

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