第31話 ラッフルレイズ
ラッフルレイズはどこに行ったのか。彼の記憶はどこをさまよっているのだろう。
彼もまた地上に降りた。そこは三輪坂町の中であったが、彼に見えているものは、萌恵やカーライルのそれとは異なっていた。彼はラッグダムの住人だったからだ。
そもそも彼の肉体は、この世界には来ていない。彼の心だけが、この世界に巻き込まれていた。その分、自由に動けていた。その代わり、ラッフルレイズにはこの世界の住人の姿は見えていなかった。彼と同じ、ラッグダムからこの世界に巻き込まれた者たちの姿のみ感じることができた。視覚的ばかりでなく、手触り感、雰囲気、心情までもが彼の心の中に流れ込んで来ていた。
ラッフルレイズの記憶世界は、その奔流の中にあった。
彼は何かに取り囲まれていた。いや、彼の周りを闇が覆っている。手足は動かせるのに、その闇から出ることはできなかった。
時折り、闇の隙間から何かが見える。それは狭い廊下や白い壁。ラッフルレイズが見慣れていた石壁ではない。闇は渦巻き、ひっくり返り、狭くなったり広がったりして動き回っている。かなり早いスピードで、周りにあるものを壊しまくっているのではないかと、ラッフルレイズは考えた。
ついに闇は、何かを突き破り、広い空間に出た。
目の前には、大男が立っている。全身を装甲で覆い、誰かをかばうように身構えていた。たまたま目の前に視界が開けていたので、ラッフルレイズは、その光景を目にすることができた。その大男には見覚えがあった。ケサランドール片岡である。
闇はそのまま宙に舞い上がり、何かを探し求めるようにジグザクに飛んで行った。
ラッフルレイズ自身も、引き寄せられるような強い力を感じていた。おそらくは、この闇もそうなのだろうとラッフルレイズは思った。闇の飛んでいく方向が、ラッフルレイズ自身が行きたかった方向だったからだ。
前方に黒い点の輝きが見えてきた。小さな点にもかかわらず、強い輝きを放っている。闇は明らかにその黒く輝く点を目指していた。
黒く輝く点は、走っている。誰かが手にしているのだろう。その人物は見えないのに、ちょうど人の走る速さくらいで移動している。よく見ると、その黒く輝く点を覆っている何か白い影が見えてきた。人の姿ではない。
しかも、見覚えがある。
半獣の姿をしている。銀白に輝く長い髪、ほっそりとした身体の線は、ラッフルレイズの記憶に刻まれている。懐かしい感じだ。
かつては人の姿をしていた。美しいが、敵に回すと、恐ろしい戦士だった。ラッフルレイズには、共に戦った。
闇は、半獣を無視して、黒く輝く点を目指して急降下していった。ラッフルレイズは引き裂かれるような痛みを覚えた。それほどまでに動きが急だったのかもしれない。
一瞬早く、半獣が気が付き、その輝きを持っている人物ごと飛びのいた。
闇は大地に激突し、土埃を吹き上げることとなった。肉体を持たないラッフルレイズはその衝撃を感じることはなかったものの、急な動きにクラクラした。闇は素早く方向転換し、半獣に襲いかかった。
半獣は抵抗した。思った通り、かなり強い。闇はなかなか近づくことができなかった。
闇は自分の中に取り込んだ者たちの力を利用することができるらしく、様々な形に変化して半獣を攻撃する。ラッフルレイズは、自分の意識が何度か遠のくのを感じた。闇は半獣ごと包み込むように広がった。
取り込むつもりに違いないと、ラッフルレイズは考えた。一方で、なんとか半獣を助けてやりたかった。闇の動きを止めようと、闇とは反対の方に動いて見たり、ぐるぐると回ってみたり、涙ぐましい努力をしてみた。
その甲斐あってというわけではないのだろうが、この時は、半獣の方が強かった。ラッフルレイズは闇もろとも跳ね飛ばされた。方向を失った間に、半獣は黒い輝きごと行方をくらませた。闇はさらに追いかけようとして、右往左往することとなった。
この後に起こった占いの館での出来事も、ラッフルレイズは目撃していた。
相変わらず闇の思いは分からなかった。ただ、ラッフルレイズと同じく闇に取り込まれている高井戸薫の思いは、何となく伝わってきた。最初、意味不明で混乱していた高井戸薫の思いは、他の者たちと混じり合い、なかなか同じ相手の思いだと気づけなかった。ずっと感覚を繋げているうちに、ラッグダムの住人にはないある波長に気づいた。若い女の子らしい柔らかさと共に、不安や恐れのようなものも滲んでいた。
この女の子はラッフルレイズ自身と一緒で、飲み込まれても完全には侵食されていない。もがいてるのが、そこはかとなく伝わってくる。ラッフルレイズは、その女の子の姿かたちを見ることができない。だからこそ、尚のことガンバレと言いたくなる。
不思議なものだ。ラッフルレイズも、元は人間だからなのか。顔も、姿もわからない相手に共感している。
更に影響を受けたのは、黒水晶だ。占いの館で紫占と呼ばれたあの女がそう言っていた。相変わらず、女の姿は漠としていたのに、声だけがはっきりと聞こえていた。
女はとても強い力を発散させていた。眩しくもあった。その力が、女の持つものなのか、それとも女に取り付いた半獣のものなのかは、ラッフルレイズにはわからなかった。
闇と半獣との闘いは、占いの館でも繰り広げられた。ちょうど、萌恵と茜が出て行った後から激しくなった。肉体を持った紫占と高井戸と楓はそのままに、闇と半獣は部屋の中で暴れまわった。ラッフルレイズは闇に引き回されていた。
この時は、ラッグダムやこの世界でさまざまなもの達を吸収してきた闇の方が強かった。半獣は部屋の片隅に追いやられ、部屋の中全体を闇が覆ってきた。このとき、紫占と半獣を繋いでいた何かが切れた。
音が聞こえたわけでも、見えたわけでもない。半獣が急に飛び回り、部屋の壁を出たり入ったりし始めたのだ。そして、半獣はいなくなった。
紫占はと、ラッフルレイズは探した。声は聞こえる。闇の中を泳ぐように進むと、テーブルの上の黒水晶が目に止まった。そこから何か呟きが漏れている。
黒水晶の中を窺うことはできない。紫占はそこにいるのかもしれない。でも、ラッフルレイズにとっては、どうでもよかった。闇に教えてやる義理もなかった。
その時、何かが倒れ、床のカーペットに火がついた。火は驚くほどの速さで広がり、カーテンも燃え始めた。闇の中にいるラッフルレイズにとっては、熱くもなんともなかった。ただ、気になったのは、部屋の中にいる三人。紫占、高井戸、楓だった。特に、紫占は意識を失っているはずで、座っているのは魂のない身体だけのはずだった。
闇はどうするつもりかと思った矢先、楓が動いた。見た目が機械仕掛けの人形のようになり、さらに火を遮るように壁を作り始めた。歯車やネジ巻きのような時計の部品が無数に集まってできている。全員が箱のように覆われる寸前、何者かが飛び込んできた。
ラッフルレイズは気づいたが、闇はそれどころではなかったようだ。人形遣いのように、楓を操っている。
飛び込んできたものは、どこかへ消えたはずの半獣。
「お前は…」と問いかけると、
「ようやく気づいたか」と言って、ニヤリと笑う。
女のくせに嫌味な奴だと、ラッフルレイズは思った。
「何のつもりだ」
「貴様も助けてやるよ」
「どうやって」
「それを使う」
指差した先に、黒水晶があった。半獣は、黒水晶を思いっきり叩いた。身体を失っているくせに叩けるんかとラッフルレイズは驚いた。
「貴様、そんなことも忘れたのか。私の能力の一つだ。身体は関係ない」
「お前は、記憶を失っていないのか」
「一部忘れた。でも、貴様ほどではない」
黒水晶の端っこが小さく飛び散り、その影響で大きく空間が歪んだ。そして、壁の一部に穴ができた。箱の中の全てのものがその穴に吸い込まれていく。最後に箱そのものも飲み込まれた。
ほとんどあっという間の出来事で、一瞬だけ、ラッフルレイズの目に外の光景が見えた。青い空と、立ち尽くして見ている二人の人物の影だ。一人は男、もう一人はスカートをはいた女だった。
振り返ると、もう一人消えていた。紫占である。正確に言うと、紫占の身体だ。紫占の心は、黒水晶の中にある。ラッフルレイズは、黒水晶の中から紫占の悲鳴を聞いた。
そこで、ラッフルレイズの記憶の旅は終わった。彼は、籠神社の境内に立っていた。
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