第30話 カーライル

 萌恵と同じように,カーライルもまた過去の記憶の中を彷徨っていた。

 カーライルの場合は,萌恵より少し時間が遡る。カーライルの記憶は萌恵の高校の裏手の山の中から始まった。

 そこで事件が起きていた。

 彼は極秘に発掘作業をしている現場にいる。深く掘られた穴の底に向かって,足場を降りていく。現場監督らしき大男が誰かを案内し、しきりに話しかけているのを追いかけるように、カーライルは歩いていた。

 話の相手が誰なのか、今のカーライルには分からない。ただ、自分がここにいたことは思い出した。あの現場監督にも、見覚えがある。

 そして、この穴の底にあった恐ろしいものが、今、カーライルが経験してる事件の始まりであったことも、思い出した。

 足場を伝って降りていくうちに、掘り削られた土の壁はいつの間にか、綺麗に組まれた石の壁に変わっていた。日本の城でよく見られる城壁とは異なり、石と石の間に剃刀の刃さえ差し込めないほどぴったりと重ねられている。手触りや見た感じから、相当古いものであることを感じた。

 数メートル降っただけのはずなのに、穴の中はすでに暗い。現場監督の男が、懐中電灯をつけた。明かりは、その懐中電灯と穴の底にいる作業員のヘルメットのランプだけとなった。現場監督は姿の見えない誰かを、穴の端の方の窪みに案内した。

 そこには石の箱があった。

 作業員二人掛かりで、その蓋を持ち上げ、脇に下ろす。その時意外なほど大きな音がした。

 カーライルも、石の箱を覗き込んだ。懐中電灯の光を受けて、黒光りする水晶のような塊が見えた。見えない人物が何か指示を出したようで、現場監督は作業員に命じてまた蓋を締めさせた。その時、蓋の端の方が少しずれていて、隙間が開いていることに、カーライルは気づいた。

 現場監督は作業員と一緒に、足場を登って行った。

 カーライルもその後を追いかけようとして、ふと暗闇の中にもう一人いるのに気づいた。足を止め、じっと暗闇の人物を見た。ヘルメットを目深に被り、ランプをつけていないので、顔はわからない。

 現場監督たちの明かりもかなり上の方へ行ってしまい、地の底は足元さえよく見えないほど暗い。その人物は、何か棒のようなものを手に持っていて、それを石箱と蓋のずれた隙間に差し込んだ。棒を梃子のように動かして蓋をずらす。音が出ないように慎重にやっている。

 手を差し込めるほどずらしてから、棒をおき、白い軍手をはめた右手を箱の中に差し込んだ。

 カーライルには、中の塊を取り出そうとしているように見えた。

 だめだ。カーライルは止めようとしたが、相手の袖さえつかむことはできなかった。

 カーライルは思い出したのだ。ここに眠っているものは、彼が長い時間をかけて調べ、ようやく見つけた遺物なのだ。そして、それは想像できないほどの力を持っているはずだった。使い道さえわからないものを、こんな泥棒に渡すわけにはいかなかった。

 泥棒にとって箱の中のものは,いささか大き過ぎたようで、泥棒は手にした金属の棒で箱の中を何度か突き刺した。金属が石に当たる乾いた音が聞こえてくる。

再び手を差し込んで箱の中を探っている。

「やめろ」とカーライルは叫んでいた。

 しかし,声は泥棒にも、地上にいる誰にも届かなかった。

 泥棒は、立ち上がった。そして,金属の棒を大きく振り上げて,思いっきり箱の中に突き刺した。そのとき,カーライルの耳には重い汽笛のような音が聞こえた。

 いや,音ではなかったかもしれない。腹の底に重く響いた。

 そして、箱の蓋が奇妙に折れ曲がって、吹っ飛んだ。同時に、箱の中から何かの塊が飛び出した。それは、目にも止まらない速さで、数メートル飛び上がり、空にぽっかりと空いた穴から地上のどこかに消えた。

 そればかりではなく、穴の底では立っていられないほどの振動やねじれが起きていた。

 カーライルは、激しい振動と空間の歪みが、せっかく掘り出した石箱や泥棒を飲み込み、暗黒に包み込んでいく様を目の当たりにした。

 これは妄想ではない。真実だ。でも、どうして今、自分に見えているのだろうか。カーライルは不思議の思った。現実にこの場所にいたときには,全く気づかなかったことだ。

 誰かがわざと見せてくれているのだろうかとも思う。

 空間の歪みは地面をも呑み込みつつ,穴の外へと広がっていく。

 これがラッグダムを呼び込んだのだと,カーライルは確信した。この現象の全ての始まりにカーライル自身が立ち会わされている。

 箱の中から飛び出した塊はどこに…と思った瞬間、カーライルは森の中にいた。

 そこで、誰かが落ちた塊を拾っている。知らない女性で、若い。ちょっとやつれた感じのする子で、着ている服はサイズが大きく、しかも着古した感じのするものだ。

 塊を手にした時、その女性は電気が走ったかのように震え、塊を落とした。気味の悪いものを見るかのようにしばらく、じっと見下ろしている。立ち去ろうとしないところからすると、その塊にとても興味惹かれているように思えた。

 やがて、しゃがみこむと指先で何度かつついている。今度は電気は走らなかったようだ。彼女は安心して、塊をハンカチに包むと、足早に去った。

 この世界にかけらが残っているのだと、カーライルは確信した。

 女性を追いかけて森の外に出ると、街全体が大きくゆがんで見えた。この街の中できっと何か大きな異変が起ころうとしている。そう感じたカーライルは愕然として立ち尽くした。

 その間に、もう女性の姿は見えなくなった。

 しまったと思ったが、後の祭り。そこまで見せられた後,カーライルは激しく揺さぶられ一瞬気を失った。改めて萌恵のことを思い出したのは、見覚えのある高校のはロータリーにいることに気づいたときだ。

 高校の門を通り抜けた先に,ロータリーの噴水がある。そこで萌恵の姿を見つけた。

 案の定、カーライル自身の姿はなかった。ただ、萌恵の振る舞いを見ていると、確かに誰かいるのはわかった。

 萌恵が感じていたもどかしさのようなものをカーライルも感じた。

 萌恵の姿も消えると、次に現れたのは、ロッキンゼルガーとケサランドール片岡だった。完全武装の部下たちを配置して、警察署を取り囲んでいる。重装備の装甲兵たちだ。

 警察署の中は明かりもついてなくて,窺い知れなかい。ただ、何かが起きようとしているのは肌身に感じた。

 それなりに修羅場をくぐってきたカーライルの経験が、皮膚感覚を刺激している。

 全身の震えが止まらない。逃げようにも、足が言うことを聞いてくれなかった。あのロッキンゼルガーやケサランドール片岡のいる場所に、現実の自分もいるということが信じられなかった。

 そのとき,離れたところに萌恵がいるのに気づいた。走って行って,声をかけた。だが、全く通じない。しかし、カーライルが驚いたのはそのことではない。萌恵がこの場所にいて,この事件を目撃していたということの方だった。

 ロッキンゼルガーやケサランドール片岡、そしてその装甲歩兵達を目撃し、知っていたのだ。 

 カーライル同様、何らかの作用により一時的に忘れていたとはいえ、記憶の片隅には残っていたはずだ。

 だから、出会ったのか。

 全ては、あの石が破断したことによって引き起こされたのだと思う。カーライルは、あの石のことを遠い昔に、どこかで聞いたことがある。ふとそんな気がした。思い出そうにも、今はまだできない。でも、きっと自分はあの石のことを知っている、とカーライルは思った。

 カーライルは石の破断を見て以来、この町から外に出ていない。今まで接触できたのは、この町の中に残っている人間か、ロッキンゼルガーのように外部から侵入してきた者たちだ。

 だから、この町に来たそもそもの目的や、あの石の正体など本当は知っているはずの記憶を回復できていない。そのことがカーライルを不安にしたし、焦りを感じていた。

 萌恵の姿が見えなくなって,カーライルはしばらく暗闇の中にいた。このあと自分はどうしたのだろうかと、カーライルは考えた。つまりは,誰かが現れてくれるのではないかと期待した。

 確か,誰かしら仲間がいたはずで,カーライルはその人物と接触して、しばらくそこに厄介になった。萌恵と会ったときに、偶然、萌恵が食事に選んだ店もそこだった。

 思い出した。蟹の美味しい店だったはずだ。カーライル自身は食べてないのに、そう記憶していた。

 占いの館の焼け跡から離れて、その店に行った。

 少しずつ思い出して来ている。残念なのは、この町に来る前の記憶にまでは到達できていないことだ。

 背後で大きな爆発が起きた。振り返ると、警察署の一階が黒煙に包まれて全く見えない。ガラス片やコンクリートのかけらなど、細かいもの大きなもの合わせて飛んで来る。カーライルの体には何も影響を与えていない。今の彼はここにはいない人間だからだろう。

 萌恵はといえば、もうその姿はない。逃げ切れたのだろうか。

 ロッキンゼルガーとケサランドール片岡は、片岡がロッキンゼルガーの身をかばう形で守ったようで、黒鉛の中から平然と姿を表した。

 拡散した黒煙はまた急速に収縮して、どこかに消えた。片岡が追いかけようとしたが、無駄だった。

 続いて、カチャカチャと言う機械音を聞いた。

 気づくと、カーライルは別の場所にいた。古い時計店の前だった。音は店の中から聞こえて来る。窓から中を覗こうとすると、窓ガラスは長年の汚れで周辺から侵食されており、真ん中のわずかな部分から見通せる程度になっていた。しかも透明度は低く、薄ぼんやりとしか見えない。

 暗い店内を何かが動いている。

 短いスカートを履いているようにみえる。女の子? カーライルは我が目を疑った。その人物は動きがぎこちなく、人のようで人ではない。ロボットというほど機械的でもない。

 外見は、軸と歯車、バネなどの部品が複雑に組み合わさったようにしか見えない。油絵を離れてみると人のようだが、目を近づけるにつれて絵の具の乱雑な塗り跡しか目に入ってこないのと似ている。

 この人形とはラッグダムで会っていると、カーライルは思った。萌恵と一緒の時だ。そして、萌恵はこの人形に「楓」と呼びかけていた。

 警察署からどこをどう行って、この時計屋に来たのか。カーライルにはわからなかった。ひょっとしたら、時系列が狂っているのではないかとも、思われた。

 人形も、石のかけらも、あの占いの館に繋がっていた。萌恵もまたそうだった。

 カーライルは少しずつつながりの糸が見えて来たような気がした。そして、いつまでもこの記憶の世界にいるわけにはいかないのではないかという気がして来た。

 決着をつけるべき時が近づいている。

 だが、果たしてそれは誰となのだろうか。

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