第27話 ループ

 部屋の中心に、小さな渦巻きが現れて、周りの空気を巻き込みながら、ゆっくりと回転し始めた。その回転の中心に何か光るものが見えてくる。

 カーライルの耳に、鈴の音が届いた。

 カーライルは萌恵を思った。

 思えば、つながる。そんな気がしたからだ。

 光の中心に鈴が実体化してくる。そして、それを大事そうに包み込む手もまた、現れてきた。

 手から手首、腕、肘、肩と実体化してくる。カーライルにとっては、見覚えのある服の端っこ。萌恵だ、とカーライルは確信した。ようやく、道が開けた。壁が崩れてきたのだ。

 カーライルとは反対に、菜月は悲鳴のような声をあげ、両耳を覆い、うずくまってしまう。何が起こるというのか。

 カーライルの立っていた床が消え、急に落下し始める。萌恵の体の一部、鈴、そして菜月も一緒だが、三人の距離感は同じ。まるで、何かの上にいるかのように、そのまま落ちて行く。

 萌恵は少しずつその姿を現してきている。落下していることなど関係ないかのようだ。ひょっとしたら、落下していると感じているのは、カーライルだけなのかもしれない。

 ラッフルレイズは、どうか。

 菜月の腕に化けて出てきてから、いつの間にか消えてしまっている。

 カーライルは、萌恵だけでも、この世界に止まらせることができないかと考えた。そして、落下する感覚に邪魔されて、身体が自由に使えない中で、少しでも萌恵に近づいていこうとした。

 萌恵の肩から背中にかけて実体化してきている。頭は最後のようだ。実体化は下へ下へと進んでいる。カーライルは空気をかくようにして近づいていった。

 そのとき、不意に強い力で肩を掴まれた。

 ラッフルレイズの腕だった。空中から突き出してきて、カーライルの肩を掴んだ。腕がもがいている。それに連れて、カーライルも振り飛ばされそうになった。

 カーライルは思わず「ラッフル、しっかりせい」と怒鳴った。

 腕の動きが少し治る。カーライルには、ラッフルレイズの表情が見えるかのようだ。腕だけに過ぎないが、その動きだけでラッフルレイズの想いが伝わってきたような気がした。

 腕の横の空間を切り裂いて、ラッフルレイズの鋭い爪が見えた。こんな鋭い爪を隠し持っていたのかと、カーライルは今更ながら驚かされた。


 その時、ラッフルレイズは、長い廊下の突き当たりの障子を必死で切り裂こうとしていた。腕がはまってしまったからで、障子は驚くほどに頑丈で、ラッフルレイズの力を持ってしても容易には破れなかったのだ。

 細い組み木と紙にしか見えないものなのに、叩いても、蹴っても、ビクともしないし、傷ひとつつかない。さすがのラッフルレイズも、疲れてきた。

穴にはまった片手で何か掴んでいるのはわかっていた。しかし、それが何か見ることは出来ない。


「痛い」

 思わずカーライルはうめいた。ラッフルレイズの手に力が入って、カーライルの肩に締め上げるような激痛が走ったのだ。

「ラッフルレイズ、いい加減にせい」

 カーライルは怒鳴った。

 それが聞こえたのか、手の力が弱まる。聞こえているのか、聞こえているなら、こっちに来いとカーライルはラッフルレイズの腕を掴んだ。


 カーライルの手の力など取るに足らない。しかし、ラッフルレイズには、確実に影響を与えた。腕のはまった穴の先に何かがいる。そして、それは自分の知っている誰かに違いないと思った。何故かなんて、ラッフルレイズには分からない。そのような思いが、確信が伝わってきたのだと思う。

 ラッフルレイズは、手を引くのではなく、押してみた。


 カーライルは、ラッフルレイズの手に押されて転びそうになった。

「乱暴じゃのう」

 いや、カーライルは自ら転んだ。ラッフルレイズの腕を抱えたまま、押された方向へと跳んだ。

 自由落下状態にも似た感覚とともに、ラッフルレイズはこの世界へと姿を現した。

 二人が転がった先には、萌恵がいた。

「あんたたち、何やってんのよ」

 萌恵は、冷たく言い放った。

「それは、ないじゃろう」

 再開を喜び合う暇もなく、三人は大気中に投げ出されていた。神殿も、回廊も、社殿もない。そこは、無限に広がる大空の中だった。

 遥か下の方に、街が見える。見渡す限り広がっている。

 三人が落ちていき、いくつかの特徴的な建物が識別できるようになると、見覚えのあるものが見えてきた。

 皇居の堀の輪郭、スカイツリーに東京タワー。都庁。点々と目に飛び込んでくる。

「歩く人まで見えてきた」と、ラッフルレイズが声を上げた。

「目もいいのか」と、カーライルが驚く。

「ちょっと待ってよ。このままだと、わたし達どうなるのよ」

「あんまり考えたくない」と、カーライル。

「あれは何だ」

 ラッフルレイズが指差す先には、地上の所どころで不思議な色の輝きが見えた。火の手の上がっているところもある。

 爆発ではない。さまざまな色が混ざり合い、虹色に輝く様も見えた。

 地上では、何か普通ではないことが起きているようだった。

 夕日の赤い光が、彼らの視界を遮った。

 美しいと、カーライルはちょっとだけ思った。やがて、激突するであろう地面を隠してくれたし、恐怖心をも忘れさせてくれた。ちょっとだけだったのが残念といえば残念だったが。

 目も開けていられないほどの風圧に、三人とも身動きひとつできなかった。

 この勢いで地面に激突したら、生きていないばかりではなく、五体バラバラになってしまう。その瞬間には、痛みを感じるのだろうかと、萌恵は思った。

 グッドラック、アンド グッドバイ

 そこまでで、意識が遠のいた。


 カーライルも、ラッフルレイズもいなくなり、萌恵はひとり、夜の町にいた。

 店は開いているのに、人はひとりもいない。店の人さえいない。

 これは現実の町ではないと、萌恵は確信した。

 しかし、自分は何故ここにいるのだろうかと萌恵は不思議に思う。ここで、一体何が起こるのだろうか。

 籠神社の境内にいたときから、まるで夢の中にいるかのような気持ちがしていた。この街も、まだ夢の続きなのかもしれないと思う。夢なら、傷つくことも死ぬこともありえない。

そんな想いにとらわれていると、不意に声がした。

「助けて…」

 誰なの。

 悲鳴?

 萌恵は周りを見回した。

 誰もいない。声のした方向も、わからない。

 萌恵はとにかく走り出した。どこへ。道のある方向へ。

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