第26話 有対想
三者三様の想いがすれ違って、お互いを見失っていた。
今は会えないとはいえ、きっと会えるとの確信は持っていたのは確かだろう。でなければ、こんなに探し回れない。萌恵は菜月を、カーライルは萌恵とラッフルレイズを、そしてラッフルレイズはカーライルと萌恵を探していた。
隣同士でも気づかないことがあるし、目の前にあっても見えないこともある。それと同じなのだろうか。
三人は、お互いを探していた。かろうじて、カーライルが菜月に出会えていたのは、救いだったかもしれない。
お互いが相手を見ずに違ったものが見えているとしたら、見えてないからではなく、見ていないだけかもしれない。
そのことに気づくか、気づかないか。それが問題だ。
カーライルは、微笑む菜月を前に、思案した。みんながここにいるのに会えないのはなぜか。
そうすると、かつて聞いたことのある昔話を思い出した。
もう今となっては、その国があったことさえ忘れ去られている話だった。古代に多くの大戦が行われた後の頃、国々は荒廃し、神も見失われたときがあった。
古代にも現代同様、ひとりの神を信じる人びとと、多くの神々の存在を認めて、多くの神々を信じる人びとがいた。多くの神々を信じる人びとの中から、神々を絶対視せずに人もまた神々の一員になれるという考えが出てきた。
神々と人との境界線は薄れ、神を目指す者たちも出現した。
ガウム派と呼ばれていたという。ガウムというのは、それを最初に主張した者の名前だ。
それまでも、人が転生していくことは知られていた。転生していく先が神界であってもいいのではないかとガウムは考えたのだ。問題は、神界へ転生していくための条件だった。罪を犯し、放埓に生きた者が神界に生まれ変わるとしたら、公平ではない。
そこにはなんらかの節制や、良いことを為す行為が必要と考えた。神界に入れないのは、そのための条件が整っていないからなのだ。
ガウムは、自らの生活を律し、節制に努め、神界の扉を開こうとした。だが、彼には神界を見る目が生じなかった。何かが違っていたのだろう。晩年のガウムは、死後の転生に悩み、祈りや護摩炊き、占星術にまで頼った。迷いの中で、死んだという。
誰もガウムの転生先を知らない。
語り伝えられているのは、ガウムが死んだときに、天に光が差し、ふくよかな香りが漂ったということだ。それを指して、ガウムは神界に転生したと言う者も現れた。ただ、誰一人として、神界を見る事のできる者たちはいなかった。
カーライルは、見えないまでも、感じることはできるのではないかと思った。萌恵やラッフルレイズの存在をうかがわせる何か。そして、その感覚を受け入れることで、彼らに会えるのではないか、と。
「そうじゃ。鈴…」
カーライルは菜月に向かって呼びかけた。
「お主は、鈴を持っていたはずじゃ」
そう言われて、菜月は戸惑った。「どうして」
「萌恵さんに聞いた。それに、あの籠神社の社殿の中に、確かに鈴があった。わしは、その音を聞いておる」
菜月は瞑目し、言葉を探している様子。少なくとも、カーライルはそう受け止めた。
「鈴は、お主と萌恵さんをつないでおる」
「なぜ」
「何故とな。それは、お主の方が知っておろう。あの失われた三日間に起きたことが、お主たちを繋いだのではないか」
カーライルはそう言いつつ、何故いま自分がこんなことを言っているのか、わからなかった。言葉が勝手に出てくる。誰かに言わされている感じがした。
菜月の目から一筋の涙が頬を伝い、ゆっくりと流れ落ちた。
カーライルは確信した。この少女は、自分が何者であったかを思い出しつつある。忘れているのは、カーライルや萌恵だけではない。
涙が流れ落ちていくにつれて、菜月の顔から微笑みが消えていった。氷のように冷たい微笑みの中に、うっすらと熱い血が通ってきている。カーライルは、そう感じた。
「わたし達は、友達だった」
カーライルは思わず身を乗り出して、菜月の顔を覗き込んだ。
しかし、あとが続かない。どうした。カーライルは、膝を打った。
また、静かな時間が過ぎてゆく。
こうしている間に、萌恵とラッフルレイズには何が起こっているのか。さすがのカーライルも焦ってきた。少し自分を落ち着かせようと、立ち上がって窓の外を見た。
遠くに雷鳴。高い山脈の上に黒い雲の塊の広がるところがある。さっきまでは気づかなかった。稲妻も見える。カーライルはそこから目をそらして、下を見た。
彼のいる部屋は、高楼の上のようだ。下は、見通せないくらいにどこまでも深い。思わず、吸い込まれそうな気がした。身体が前のめりになったとき、後ろからグイと掴まれた。
振り返ると、菜月がすぐ後ろに立っていた。カーライルをつかんでいるのは、紛れもなく菜月の手だ。しかし、その手は十代の女の子のものではない。ラッフルレイズの腕だとしたら、カーライルは納得しただろう。それほど力強い腕は、菜月の肩につながっている。
同時に、部屋の中が奇妙に歪み始めた。
ラッフルレイズは、障子の間に右腕を挟まれ、もがいていた。
紙を貼った細い骨組みの障子は、ラッフルレイズの怪力を持ってしても、破ることは愚か、動かすことさえできなかった。
痛みに堪えきれず、ラッフルレイズが吠える。
その咆哮を、カーライルは聞いたような気がした。どこか遠くで、いや近くかもしれない。
カーライルとラッフルレイズを隔てている壁が少しずつ崩れてきている。そんなイメージがカーライルの脳裏をよぎった。
隔てている壁が薄くなってきたり、なくなったら、また萌恵さんやラッフルにも会えるのだろうか。姿を消した人形使いたちは、どうだろう。カーライルはちょっとだけワクワクした気持ちになった。
老体に久しぶりに熱いものが流れてきた感じがした。世界のことは分かっていたつもりだったが、まだ知らないことがたくさんあると思うと、なんだか嬉しくなった。
この障壁を乗り越えることできたら、カーライルですら忘れかけていた、あの失われた三日間に戻れるのではないか。いや、少なくとも何が起きていたのかを思い出せるかもしれないという気さえしてきた。
その気持ちとは裏腹に、カーライルの立っていた床は大きくゆがんできた。立っているのもやっとで、カーライルは窓枠にすがりついた。
菜月の手は、もう元に戻っていて、部屋全体が歪んで立っていられないカーライルを見下ろすかのような高さに立っている。菜月の足は床に付いていないのに、まるでそこにしっかりとした床があるかのように立っている。
これが、カーライルと菜月の存在の違いというものか。
どうしようもないのか。
カーライルは掴まれるものには何にでもすがりついて、変化する部屋の中を移動した。さっきまで安定していたものが、こんなに不安定になるとは、この世界は全く理解できないとカーライルは思った。
それがきっかけとなって、カーライルの脳裏にひらめいた。安定していないということは、変化しようとしているということだ。つまりは、安定した障壁は、失われつつあるのではないか。
萌恵さんにも会える。ラッフルレイズもきっと現れる。事実、ラッフルレイズの腕は、カーライルの前に現れた。あとは、萌恵とラッフルレイズの二人も、同じことに気づいてくれることだけなのではないか。
「ダメええ」
突然に、菜月が叫んだ。
何が起きたのか。
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