第25話 すれ違う想い
空気が冷たい。というより、何か冷たいものがカーライルの身体を通り抜けた。すると確かに、広い部屋の中にいた。
「菜月さんの言った通りじゃな」
「見えるの。嬉しい」
菜月は素直に喜んでる。
「ここは、どこじゃ」
「私のいるところ」
「それはわかる。それは、どこにあるのかな」
「ここ」
カーライルは頭を抱えた。菜月は何も答えていないに等しい。
「ダッグラムかね」
「分からないけど、みんなは聖域ラームと呼んでいるわ」
聖域といえば、神の領域を指す言葉だ。しかし、カーライルには聞いたことのない名前だった。
「昔、都のあったところ。今の姿はわからないの。廃墟かもしれない」
「寂しい場所なのか」
「見た目だけだと、そうかも」
「見る目のない者には、見えないということか」
菜月は、頷いた。
「もうすぐ見えてくるはずよ」
カーライルは、その菜月の言葉をそのまま受け入れることができなかった。見回しても、周りには、菜月とカーライルの二人の他に誰もいない。
カーライルは窓から外を見た。確かに荒涼としている。動物は疎か、草木さえも生えていない。地上でも、多くの聖地が荒廃しているのをカーライルは思い出した。ひょっとしたら、あの荒れた聖地も、見る人がみれば、金色の宮殿に見えるのだろうか。
自分は騙されていないか。カーライルは自問した。
「あっ、崩れるわ」と菜月が言った。
「どこ」
「あそこ」
菜月が指差す先に、細い塔のようなものが見える。人工物か自然物かは、視力の落ちたカーライルの目には判然としない。でも、途中から折れて倒れていく光景ははっきりと見えた。
「あれは、何じゃ」
「さっきまでいたところ」
「じゃあ、いまは?」
「見えてるけど、同じところじゃないの」
「一瞬で移動した先は、同じ時空ではないというわけか。もうあそこには誰もおらぬのじゃな」
「登ろうとしていた人はいたみたい」
「誰かね」
「機械みたいな人」
「片岡か。しぶとい輩じゃ」
「知ってるの」
「つきまとわれて困っとった」
「よかったですね」
「ほんとに、そうじゃね」
カーライルも、嬉しそうに答えた。
そして、振り返ると、板の間の広い部屋の中にいるのが分かった。神域らしく神棚のようなものもある。ちょっと違うのは、そこには榊のような短く切り詰められた木以外何もないということだった。お札も、像も不要というわけなのかもしれない。
カーライルは神も仏も拝んだことがないし、出会ったこともない。子供のころは親と一緒に教会へも行ったが、それとてみんなが行くので、なるべく目立たないようにしていたに過ぎない。カーライルの親からして、そうだった。
「ここは、気分のいいところじゃな」と、カーライルが言うと、菜月は「おじいさんには、合っているのかしら」と答えた。
そりゃあ、確かに棺桶に片足突っ込んでいるかもしれないと、カーライルは思って苦笑した。その気持ちが通じたのか、菜月もニッコリと笑った。
「まだ、わしには見えんが、萌恵さんやラッフルレイズはいるのかな」
「ここじゃないけど、近くにいますよ」
「焦るまでもないということかな」
「そうね」
そう言われると、カーライルとしてはどうしようもない。黙って待つことにした。
目を凝らして、周りを注意して見てみることにした。菜月と自分だけしか見えない。横になって見ても、一緒だった。
「そうだ。違うフロアにいるのか」
菜月はニッコリするだけ。
一方、萌恵。
まだ、感覚的には社の床下にいる。目の前には、菜月の鈴が光を放っている。
眩しいというのではない。萌恵の目には、菜月の姿が写っている。
「菜月、答えてよ」
もう何十回目かの呼びかけにも、菜月は微笑みを返すばかりで、まるで人形か掛け軸の絵のようだった。萌恵は、自分が無駄な努力を繰り返していることに疲れてきた。
ボンヤリとした頭の中に記憶の断片が蘇ってくる。頼んでもいないのに、安っぽいドラマを見せられているかのように、菜月が出てきたり、見知らぬ同級生が出てきたりする。知らない相手なのに、何故か同級生だとわかってしまう感じは、夢と共通するものがあるのだろうか。
菜月と別れたのは、あの日の夕闇迫る頃、ちょっとした広場だったように思う。
籠神社の境内だったかどうかは、定かではない。
萌恵は、そのとき何をしようとしていたのか。菜月はどうだったか。まだ、ぼんやりとしていて、思い出せない。
気持ちが焦って、逆に混乱の度合いを深めているような気もする。
突然の激しい振動とともに、地面が崩れ始めた。社殿の床も傾いていく。萌恵は声も出せなかった。崩れ落ちる地面とともに、萌恵も地中深く落ちて行く。
その時、自分がいたのは崖の上の神社であったことを思い出すことになった。崩れ落ちる岩と土砂の間から、遠くの街の風景が見えてきたのだ。同時に、岩や土砂とともに落下しているはずの自分が、岩にもぶつからないし、土砂もかぶっていないことに驚いた。
何かが違っている。そう萌恵は感じた。
違うと思い始めると、次々に違和感が増し、自分の置かれている状況に疑問が生じてくる。そして、少しずつ見えるものに変化が現れてきた。
崩れ落ちる岩や土砂が、萌恵の身体を通り抜けて行く。その不思議な感覚。
一瞬、すべてが止まったような感覚を覚えた。
そして、遠くに白い建物を見た。立派な木造建築で、横に広く屋根も大きい。萌恵には雲の上に載っているように見える。綺麗…と思ったとき、急に周りの景色が変化した。
気づいたら、広い部屋の中にいる。
萌恵は、自分の手に菜月の鈴を握りしめていた。いつ、どこで掴んだのか覚えがない。
広い部屋の中に、ひとり。鈴の音はどこまでも澄んでいて、萌恵の心の奥底まで清々しい。寂しさをさらに際立たせる効果があった。
「菜月、いるの」
心細くなり、萌恵は弱々しい声を出した。
突然、部屋全体がガクンと揺れた。また崩れるのかしらと萌恵は身構えた。
鈴は透徹した音色を奏でた。萌恵は、その音にふと自分を取り戻す。
励ますのか、恐れさせるのか、呼びかけているのか。
「菜月、いるの?」
萌恵は、ふと気になって、聞いてみた。
チリンと鈴が鳴る。
「どこ」
周りを見ても、誰の姿もない。
萌恵は、自分がまた籠神社の境内で感じた不思議な状態になっているのだろうか。周りに動くものがないので、確認できない。
同時に、菜月もまた人の世のものではないのかもしれないという思いが頭をよぎった。
実は、萌恵はあの籠神社の境内で、ケサランドール片岡の攻撃を受けて、肉体を失い、霊となって彷徨っているのかもしれない。菜月も同じように彷徨っていて、お互いすれ違っているために会えないのかもしれないと、萌恵は思った。
二人の間を繋いでいるものは、この小さな鈴だけなのだ。
そう思うと、ちょっとだけ心細くなった。
ラッフルレイズは、どうか。
彼は、迷路のような長い廊下を走り回っていた。
廊下の左右は、壁。時々、襖。障子のこともある。ガラリと開けても、そこも廊下。キリがない。
思い返せば、ロッキンゼルガーとケサランドール片岡の乗った軍用ヘリに取り付き、破壊したところまでは覚えている。そこから先が曖昧だ。落ちたところに、カーライル爺さんがいたような気がする。
自分は死んだのか。ここは、あの世か。
こんなところが、あの世だとしたら嫌だなと、ラッフルレイズは思った。走りすぎて、息がきれてきた。長い廊下の途中で、ラッフルレイズはうずくまった。
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