第21話 境界

 萌恵にはまた、時間がゆっくりと進んでいるように感じられた。爆発した社殿の残骸がゆっくりと弾け飛んで行く。その中心で、鈴が煌き、その周りを二重の輪っかが回転している。

 不思議な感覚。前に、初めてケサランドール片岡と、この籠神社で出会ったときの感じた感覚だった。あの時は、逃げた。しかし、今度は…

 逃げるわけにはいかない。

 萌恵の目には、幼馴染の飯坂菜月の姿が写っていた。

 きっと助ける。あの時、助けられなかったから。

 あの時がいつ、どこでなんて思い出せなかった。でも、萌恵はなぜかそう決意していた。

 ただ、助ける、と。

「危ない」と叫ぶカーライルの声が聞こえた。

 でっかい固まりが飛んできている。ケサランドール片岡の巨体だ。

 ラッフルレイズは、失敗したと見える。ケサランドール片岡は、ラッグダムに巻き込まれることなく、この世界に留まったのだ。

 萌恵の頭の中で、いろいろな考えが駆け巡った。飯坂菜月ちゃんはどうなったのだろう。鈴の音が聞こえない。ラッグダムの人となってしまったのか。

 ラッフルレイズの姿も見えない。菜月ちゃんと一緒なら、ちょっとは心強いかな。萌恵は、どことなくラッフルレイズを信用していた。だから、一緒だといいなと思ったのだ。

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。萌恵にとっては、ゆっくりと動いていたケサランドール片岡の巨体が目に前にきた。もうダメだ、と萌恵は目をつぶった。

 不思議に、衝撃がない。

 目を開けると、社殿が見え、駆け寄ろうとするカーライルの姿があった。後ろで大きな音がして、土煙が上がった。舞い上がった細かな土が、萌恵にも降りかかる。

 しかし、その細かな土は、萌恵の目にも口にも入ってこなかった。

 何が起きたというの。萌恵は、恐る恐る振り返った。

 ケサランドール片岡が起き上がろうとしている。

「こっちだ」とカーライルが手招きする。

 萌恵は、カーライルに向かった駆け出した。その先には、社殿。そして、社殿の中から鈴に煌きが見えた。まだ、繋がっていると萌恵は確信した。

 ラッフルレイズも、社殿の扉の陰から姿を見せた。菜月ちゃんもまだいるんだ。

 周りの兵士たちは、まだゆっくりと動いているように見える。あの不思議な感覚は続いていた。今なら、菜月ちゃんを助け出せる。萌恵は、そう確信した。

「菜月チャン」と萌恵は呼びかけた。

 かすかに鈴の音が答えた。

 萌恵はダッシュした。何があったのかと驚くカーライルの脇を駆け抜けて、社殿の階段を駆け上がる。社殿の扉はケサランドール片岡の巨体に打ち砕かれて、大きな穴になっている。

 背後から「行くな」と叫ぶカーライルの声が聞こえる。でも、気にしない。鈴はもう目の前にあり、それに重なるように菜月の姿も見えていた。

 そこで、大きな腕に止められた。

「行かせて」と叫ぶ萌恵。

 止めていたのは、ラッフルレイズだ。

「あなた、まだいたの」

「当然だ。まだ終わっちゃいない」

 萌恵には、ラッフルレイズの言うことがすぐには呑み込めなかった。一体、この獣人は何をしようというのか。萌恵は、ラッフルの腕の中でもがきながら、この獣人の言わんとするところを考えた。

「飛び込んでいっても、二人してラッグダムに取り込まれるだけだぞ」

 それは、理解できた。

「それに、お前の友達は、そこにはいない。見えているのは、幻影だ」

「嘘だ」と萌恵。

 ラッフルレイズは、尚一層力を込めて、萌恵を抱きとめていた。もうもがくこともできない。ラッフルレイズは、萌恵を抱きとめたまま、社殿の外に飛び出した。その時、欄干に転がっていた楓と高井戸もついでに拾っている。

 萌恵が驚いたことには、ラッフルレイズの腕が四本になっている。その一つひとつに恵み、かえで、高井戸をつかんでいた。最後のひとつの腕で、攻撃してきていたケサランドール片岡の一撃を防いでいる。

 普通じゃないと萌恵は思った。ラッフルレイズは、萌恵と楓それに高井戸をカーライルに向かって放り投げると、

「頼む」と言って、ケサランドール片岡と四つに組んだ。

 カーライルは何事も答えず、三人を引きずって逃がそうとした。流石に三人は身が重かったと見えて、なかなか進まない。

「私は、大丈夫」

 萌恵は、カーライルの手を振りほどいて、楓をおぶって走り出した。カーライルも、「おお」と応えて、高井戸を背負って走る。

 その時、高井戸の手から黒いものが落ちた。カーライルはその輝きに目を奪われた。

 紫水晶。カーライルの知っている名前は、別。太古の秘宝のカケラだ。

 カーライルは、思わず高井戸を落としてしまう。高井戸の頭が地面にぶつかる直前に、高井戸の影から何者かが立ち上がった。その黒い影は、カーライルよりも早く、紫水晶を手にしていた。カーライルは、驚いて立ち止まった。

「まだ、潜んでいたのか」

 黒い影は、紫水晶を包み込み、巨大化していく。水晶から力をもらっているかのようだ。そして、ラッグダムで出会ったときのように、カーライルと萌恵に迫ってきた。

 あの時と違うのは、萌恵が逃げなかったことだ。

 萌恵は、楓の盾になり、黒い影を防いだ。取り込まれることもなかった。

「どうして」とカーライルは、驚いた。

「私は、菜月を救い出すまでは、逃げられない」

 決意のほどは、カーライルにも理解できた。でも、その力がどこから来るのか、全くわからなかった。

 社殿の中の輝きが増してきて、眩しいくらいになってきた。萌恵と対峙している影は、気づいていない。影は社殿を背にしていたのに対して、萌恵は正対していたからだ。

 萌恵の目には、はっきりと菜月の姿が映っていた。幻影だなんて信じない。だから、目の前に何がいようと関係なかった。前に進むのみ。

 萌恵とは反対に、カーライルは楓のところにとどまっていた。カーライルには、社殿の輝きは見えていない。だから、萌恵の行動は異常にしか見えなかった。しかし、止めることもできないと思ったので、様子を見ることにしたのだ。

 萌恵の右手が影の中に伸びて、中の紫水晶に触れた。影が身をよじらせ、逃げようとする。萌恵は逃がさない。

 遂に、影を突き抜けた。その手で、しっかり紫水晶を抱きしめていた。

影は一瞬弾けたように拡散した。萌恵はそのまま社殿に向かって走り出した。影と高井戸がどうなろうと気にも止めていない。

「菜月ッ」

 初めて萌恵は幼馴染の名前を呼んだ。

 その声に呼応するかのように社殿から一筋の光が流れるように伸びてきた。まるで手を差し伸べているかのようだった。

 萌恵は、ラッフルレイズとケサランドール片岡の戦いの場をもすり抜けて、真っ直ぐに壊れかけた社殿を目指す。後ろから見ていたカーライルの目には、社殿はもうぼろぼろになっていて、いつ倒壊しても不思議ではないように見えた。

 そして、萌恵の背後にうっすらと黒いものが見えた。影は霧散してしまったわけではなさそうだった。カーライルは、萌恵を追いかけるか、迷った。しかし、今の萌恵なら、一人で大丈夫だという妙な確信も湧いてきていた。楓を見捨てるわけにもいかない。数メートル先には高井戸も転がっている。

 結局、カーライルはそのまま留まった。そことて安全ではない。

 それほどに、ラッフルレイズとケサランドール片岡の戦いは激しさを増していた。それなのに、社殿は破壊されずにいる。

 ラッフルレイズが巧妙に避けているのか。

 違う。カーライルには、すぐに見てとれた。ラッフルレイズも、ケサランドール片岡も、何度も社殿にぶつかりそうになっている。なのに、社殿は壊れない。

 じっと見ていると、二人の身体がぶつかる直前に、何かに当たって跳ね飛ばされている。何かが、社殿を守っているかのようだった。

 その時、カーライルは萌恵を見た。目に入ってきたと言っていい。萌恵は、遮るものもなく、真っ直ぐに社殿に向かっている。そして、社殿の中で光を放っている鈴。それこそが、萌恵の言う幼馴染の本体か。カーライルは疑った。

 人間としての実体を失ってしまっているのではないか。萌恵もまた同じ道を歩もうとしているのだろうか。萌恵は、あの鈴に共鳴しているのかもしれない。同質なものは、遮られることなく、受け入れられる。そして、その先に一体何があるというのだろう。

 カーライルは、今まで経験したことのない震えに襲われた。

 何かが起きようとしている。カーライル自身も知らない何かであることは、間違いない。

 萌恵が、社殿の階段に足をかけた瞬間、ドーンという地響きがして、大地が揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る