第20話 戻る

 嵐が獣人とカーライル、そして萌恵の三人を通り抜けた。萌恵の意識を取り込んでいた黒いもやもやも一緒だ。獣人がその一端を握りしめていたので、どこかに逃げ去ることができなかったのだ。

 どこかでかすかに鈴の音が鳴った。

すると風が治り、目を開けられるようになった。そのとき、カーライルが見た光景は信じられないものだった。

 目の前に、ケサランドール片岡らの重装甲歩兵部隊が立っていた。

 彼らも、驚いた様子ではあった。が、すぐに展開して、三人を取り囲んだ。

 奇妙な組み合わせの三人を警戒しているのは確かで、遠巻きに囲んだまま、近づいてこない。

 カーライルは打つ手も浮かばず、立ち尽くした。これで終わりかもしれないと本気で思った。あとは、この異世界の獣人がもつ能力か、運にようなもの賭けるしかない。カーライルには想像もできないような、何かを持っていることにすがった。

 獣人も、取り囲んだ者たちの殺気を感じていた。

 そのとき、カーライルは背中の萌恵がぎゅっとカーライルに抱きついてきたのに気づいた。

 振り返ると、萌恵は怯えた目で重装歩兵部隊を見つめている。

 戻ったとカーライルは思った。でも、萌恵の表情からは、今はその喜びを表す場面ではないと読み取れた。

 狭い。森に囲まれている。そこでようやくカーライルは、前に見たことがあるものに気づいた。神社の社である。籠神社だ。

 そして、社の階段部分に二人の女性が座っているのに気づいた。顔はわからないが、カーライルは知っている人間だと思った。

「楓」

 萌恵も、その二人に気づいていた様子だった。

「知っているのか」

「あの人形を操っていた」

 カーライルは、さっきまでいた世界で出会った機械仕掛けの人形を思い出した。

「あいつか」

「何だよ。知ってる奴か」と獣人が聞いてくる。

「あの二人を、な」

「でかい奴じゃないのか」

「あれも、知ってる。もっとな」

「知り合いか。でも、友達じゃないな」

「当たり前だ」

「助けるのか」

「誰を」

「あの二人」

「どうかな」

 正直、カーライルには、楓と高井戸がなぜケサランドール片岡のそばにいるのか理解できなかった。グルであるはずはない。捕まっている可能性もある。ただ、じっと座っているようにしか見えないことが、カーライルの判断を迷わせていた。

 獣人は手にしていた黒いもやもやを振り回して、重装甲歩兵部隊いや、その指揮官であるケサランドール片岡に向かって投げつけた。

 もやもやは、片岡というよりは、高井戸の方に向かって飛んで行った。それを遮ったのは、片岡だった。片岡は、腕から鋭利な刃物を出して高速回転させ、もやもやを斬った。

 ぎゃっと声を挙げて、高井戸がのけぞった。

 まだ、繋がっていたのだとカーライルは思った。そして、ロッキンゼルガーが、新しい技術を実戦に使っていることに驚かされた。

 気体がある波動の下で固体の影響を受けて変化する現象について聞いたことがある。本来なら切れないはずの雲のようなものが刀で両断されることも生じるという話だった。

 勿論、現代の技術ではない。カーライルにとっても、伝承上の話に過ぎない。ほとんど伝説と言っていいものを現実のものとしてしまうことに、カーライルは驚いたのだ。

 ロッキンゼルガーのラボは、どこまで古代の叡智を現実化しているのだろうかと、カーライルはちょっと怖くなった。

「あっ、菜月ちゃん」と萌恵が声に出し、社を指差した。

 カーライルの目には、楓と高井戸そしてケサランドール片岡、兵士たちしか見えていない。

「だれ、どこに」

「あそこ」

 萌恵はしっかりと社を指差す。

「あの、女の子か」とラッフルレイズがつぶやく。

「お主には、見えるのか」

「ああ」

「年取ったせいかな。わしには見えん」

「違う。俺はラッグダムの者だから、見えるんだ。年のせいじゃない」

「どう言うことだ」

「あの子も、ラッグダムの人間だと言う話さ。今は、な」

 カーライルは、萌恵の顔を見た。何か思い出しているのか、悲しそうな表情になっている。

社の方から、かすかに鈴の音がする。

「その子を助けたいのか」

 萌恵が小さく頷く。

「あの社の中は、まだラッグダムとやらに繋がっている。その子の姿が見えたということは、おい、ラッフルレイズさんよ、お主も、ラッグダムに戻れるかもしれんぞ」

 ラッフルレイズは嫌な顔で、笑った。「何をさせたい」

「どうせ、行く気だったんだろ」

 カーライルは、ケサランドール片岡を指差す。

「ラッグダムには、連れて行かんぞ。厄介者が増えるにはこりごりだ」

「結構。萌恵さんのお友達は帰してくれ」

「約束はせん」

 と言うと、ラッフルレイズはケサランドール片岡に向かって、駆け出して行った。

「お嬢ちゃんはついてくるな」と言い残して、カーライルも後を追う。

「ひとりにしないで」

 萌恵は、ベソかきながら、嫌々追いかけた。

 社の中からキラキラとした光が漏れてきて、鈴の音もはっきりと聞こえるようになった。

 まるで、萌恵たち三人を迎え入れようとしているかのようだ。

 ケサランドール片岡が、背中の機関砲を構える。同時に激しく撃ち始めた。カーライルが萌恵を跳ね飛ばさなければ、萌恵は跡形もなく吹っ飛ばされていただろう。

 次の瞬間、ラッフルレイズがケサランドール片岡に飛びかかっていた。機関砲を撃つ隙を与えない素早さだった。真っ二つに切断されて、ヒクヒクうごめいていた黒いもこもこが、高井戸の身体に取り付こうとしている。

 体勢を崩したケサランドール片岡は、ラッフルレイズとともに社殿の扉を打ち破って、中に倒れこんだ。そこには、かつて萌恵が見た鈴が宙に浮かんでいる。社殿を内側から支えていた力がバランスを失い、社殿は大きく歪んだ。

 それをきっかけに、社殿内部の空間にも歪みが生じた。

「貴様の顔は歪んでいるぜ」

 ラッフルレイズが、ケサランドール片岡に向かって、おどけて言った。

「お前こそ」

 ケサランドール片岡は、冷静だった。ラッフルレイズと互角に組み合う。お互い力では負けていない。社殿が崩壊するのも、時間の問題かと思われた。

 後方にいたカーライルは、懐から出した二重の輪っかを使って、黒いもこもこを社殿の中に押しやろうとしていた。不思議なことに、その輪っかを使うと、黒いもこもこに触ることができた。カーライルには、その知識があったのだろう。

「助けて」

 萌恵の声がした。

 カーライルが見ると、数人の重装甲歩兵が萌恵を捕まえようとしている。カーライルはとっさに二重の輪っかをその兵士達に向かって投げた。

 二重の輪っかは、高速で回転しながら、曲線を描いて兵士達の装甲を引き裂いた。兵士達が、怯んだ時に、萌恵はカーライルに向かっては駆け出した。その背後から、二重の輪っかが迫ってくる。輪っかはさながらブーメランのように戻ってきていた。その先に、カーライルがいる。

 カーライルは、手袋をはめていた。どうやら素手では、輪っかを受け止められないようだ。

 二重の輪っかは、萌恵の頭上を飛び越えて、カーライルの元へ飛んできた。それを受け止めようとしたとき、カーライルにとって意外なことが起きた。

 二重の輪っかは、カーライルも飛び越えて、社殿の中に入ったのだ。

 そして、ケサランドール片岡の装甲を引き裂いて、祭壇の上の鈴にぶつかった。かろうじて身をかわしたラッフルレイズは、倒れこんだまま、その衝撃を受けた。

 社殿の中の空間が、一瞬、爆発したような気がした。視界が遮られ、真っ白になった。

 大地が揺れた。

 そのまま、ラッグダムに呑み込まれてしまえ。カーライルは社殿の外で、そう願った。

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