第19話 ラッグダム

 萌恵は暗闇の中にいた。漂っている感じで、気持ちがいい。ずっとこのままでいたいという気分だった。萌恵は自分が身体を失っている事に気づいていなかった。

 身体という感覚が残っていた所為だ。

 暗闇のため、どこにも逃げ出せないのはもどかしい。


 外の世界では、ラッフルレイズとカーライルが対立していた。

「こいつは一体何者だ」とカーライル。

「肉体を持たない魔物さ」と獣人。

「人の心を取り込むのか」

「そうだな」

「他のものたちはどうなった」

 カーライルが周囲を見回すと、亡霊のように立っていたものたちの姿がない。

「どこに行った」

「それぞれの身体に戻ったのさ。俺だって、自分の身体に戻れたからな」

「じゃあ何故、萌恵さんは戻らんのか」

「知らん」

「嘘をつくな。お主はここの住人じゃ。何か知っておろう」

「わからんものは、わからん」

 獣人は本当に苛立っていた。カーライルにも、それはわかった。しかし、カーライルとしては黙ってはいられない。

「自分たちだけ助かっていいと思わんことじゃ」

「思ってない」

 その言葉を聞いて、カーライルはこの獣人は信用できるかも、と思った。萌恵のことを関係ないとは思っていないと確信したからだ。

「今ではもう名前も顔も思い出せないが、俺だって、多くの部下を失った。こいつらのせいだ」

 と、黒いもやもやを指差す。

「まだ、たくさんいるんか」とカーライルは驚いた声をあげた。

「俺たちが、この世界に巻き込まれたときに一緒に、ここに来た奴らのかけらだ」

「敵だったのか」

「もう思い出せないことの方が多い。しかし、長い間、戦った」

 その声には憎しみがこもっていた。

「さっき、魔物と言うたな」

「そうだ。元の世界での戦いの最中に、あいつがいきなり変化した」

「あいつ、とは」

「もう顔を思い出すことはできないが、敵の大将だった」

「昔、大きな戦いがあったのか」

「世界の東の果てでな。数十万の兵士が戦った。我々は敵の大将をある山の上に追い詰め、包囲した。そのときだ、奴が変化し、同時に大地が割れた」

「わしの知らぬ戦いじゃな」とカーライルが残念そうにつぶやく。

「多くの者が死に、そして、多くの者が奴と一緒にこの世界に巻き込まれた」

「この世界は、その時にできたのか。すると、その魔物もまだ、ここにいるのか」

「いる。だが、最近起きた異変以来、いるのかいないのか、わからなくなった」

「その異変とは?」

「俺たちの身体と心が分かれて、こいつに取り込まれるきっかけになった異変だ」

「人の心と身体を引き裂くようなものなのか」

「そうだ。過去にも何度も起こっている。今回のは、それほど大きなものではなかったのに、俺たちは巻き込まれてしまったというわけだ」

 カーライルは感慨深い顔つきになった。

「その異変は、地域的なものじゃったのだな。わしらの世界でも、町単位のものだったからな」

「だが、お前たちはその時にここに来たわけではあるまい」

「そうじゃが、恐らくまだこの世界とわしらの世界は繋がっておるのじゃ」

「戻れると言うのか」

 カーライルは自信ありげに頷いた。

 獣人は、不思議そうにカーライルの顔を覗き込んだ。

「どうやって」

 カーライルはにっこりと笑い一言、「わからん」

「何だよ」

 獣人は呆れたように言った。

「おい、そいつ、逃げるぞ」

 カーライルが指差す方向には、黒いもやもやがこっそりと移動していく姿があった。獣人が慌てて、黒いもやもやを取り押さえる。もやもやは雲のようなもののように見えていたのに、獣人によってまるで綿のように丸められてしまった。

「上手だな」とカーライルは感心した。

「できないのか」

「どうかな」

 カーライルも触ろうと手を伸ばした。掴むどころか、逆に吸い込まれそうになった。慌てて手を引いた。それを見ていた獣人は、声をあげて笑った。

「なんだ。面白いか」

「ジジイのくせに、何にでも興味があると見える」

「悪いか」

「お前には、無理だ。俺は、長いことこいつらと戦って来たからな。俺にもわからんが、何かが原因でできるようになったんだ」

「ならば、萌恵さんを引っ張り出せるのか」

「いや、それは無理だろう。その女の子には実体がない。身体はそこにあるんだからな」

「じゃあ、どうする」

「何かが起きれば、或いは」

「異変か」

 獣人は、頷く。

 そのとき、巨大な咆哮が聞こえた。

「あれは何だ」とカーライルが獣人に聞いた。

「分からない。何度か耳にしたことがある。魔物なのか、化け物か、見たことはない」

「魔物が戻って来たのか」

 獣人は、血の気が引いていた。

「魔物か、それとも他にも化け物がいるのか」と、カーライルは獣人に聞いた。

「いや、わからない。魔物は、このラッグダムにはいないはずなんだ」

「ラッグダムじゃと。お主たちは、この世界をそう呼ぶのか」

 獣人は頷いた。

「まだまだ未知の世界があるのか。これから、どうなる?」

「わからんと言ってる」

「そうか。ならば、お嬢ちゃんだけは、守ってやらねばな」

 カーライルは、萌恵の身体を抱き寄せた。

「不思議だ。暖かい。生きている証拠だ」

「当然だ。死んだわけじゃない」と獣人。

「それを聞いて、安心したよ」

 カーライルは、萌恵の身体を背にしょって、身構えた。来るなら来いといった感じだ。

 雷鳴も轟き、稲妻が天空を走る。

「派手じゃのう」

「お前、どうかしてるのか。死ぬかもしれんぞ」

「だから、どうした。今までも、何度も死線を超えて来た。今でもそうじゃ」

「そうかい。だったら、俺から離れるな。何があってもな」

「お主を信じるぞ。名前は?」

「ラッフルレイズ。迷惑だが、ありがとよ」

 地鳴りもしてきた。

「いよいよだな。何が起こる?」

「俺にはわからん」

「なんで」

「この現象が起きるとき、必ず記憶を失う」

「えっ」

 ものすごい風が吹いてきて、カーライルは目を開けていられなくなった。

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