第18話 異人

 一方、カーライルはというと、うまく逃げおおせていて、萌恵を飲み込んだ真っ黒のかたまりを木の陰から観察していた。かたまりはもぞもぞと動き回っている。

 真っ黒のかたまりは、カーライルのことを探しているような感じで、迂闊に動けないとカーライルは考えていた。

 その考えが正しいのか、間違っているのか、考えがまとまらない。カーライルは話しながら考えるタイプなので、話し相手がいないと頭の回転が悪くなる。早く話し相手の萌恵ちゃんを取り戻さないと、焦っていた。

 真っ黒のかたまりはもやもやっとした動きになり、少しずつ後ずさりし始めた。そして、その影の下から萌恵の足が見え始める。ほっそりとした均整のとれた脚は若々しく綺麗なのだが、年取ったカーライルにとっては、生きているのかどうかの方が気になった。

 萌恵に続いて、二人の女の子の姿が現れる。カーライルは、高井戸という記者と楓という子ではないかと思った。三人とも、横たわったまま動かない。

 カーライルは萌恵に駆け寄って、揺り動かした。全く反応がない。他の二人も、ピクリとも動かないところを見ると、カーライルの脳裏にこの世を彷徨う亡霊の姿がひらめいた。身体と心の分離現象だ。三人とも心を奪われた可能性があると判断した。

 それにしても、三人の身体を置き去りにして、もやもやはどこに行こうというのか。

 振り返った時、その原因を見つけた。

 一人の獣人が立っている。白目をむき、ゆっくりと動いてはいる。何か操り人形のごとくで、生気がない。

 その後ろからも、何体か近づいてくるものがある。みんな、身体と心が分離したものたちなのだろうか。カーライルは襲われる危険を感じて、萌恵の身体に隠れるように身を伏せた。

 それらは、人ではない。獣のような姿をしているものもいれば、植物のようなものもいる。岩かと思えるものもいる。皆、夢遊病者のごとくに動いている。そして、それらの向かう先には、あのもやもやがいる。

 もやもやの中に、紫水晶の妖しい輝きが見える。皆、カーライルに気を止めることもなく、その輝きに向かって歩いていく。

「お嬢ちゃん、みんな紫水晶に惹き寄せられているのかなあ」

 カーライルは、萌恵に話しかけてみた。返事はない。

「困った。困った」

 仰向けに見上げる空は青く澄み渡っている。それなのに、この地上は寒々としている。人にあらざるものたちの足音も遠のいて聞こえる。

 カーライルは身体を起こした。驚いたことに、もやもやが追い詰められているように見える。人にあらざるものたちが、もやもやに追いつき、もやもやの逃げ道を奪っていっている。

 もやもやが怯えているようにさえ見える。

 カーライルはチャンス到来だと思った。地面に這いつくばりながら、もやもやの中にある紫水晶へとにじり寄っていった。

 人ならざるものたちに囲まれて、もやもやは小さくなったように見えた。紫水晶の輝きばかりでなく、形さえ見えるような気がした。手を伸ばせば届く。カーライルは確信した。

 その手を掴んで押さえるものがいた。けむくじゃらのがっしりとした腕、大きな手、太い指、とても力強く、振り払うことなどできなかった。

 見ると、最初に現れた獣人が目の前にいた。

 獣人は一言、「やめとけ」と言った。

 その目は、最初のときのような虚ろなものではなく、知性に満ちたものだった。

 カーライルが身構えたのを見て、笑った。

「襲って、食ったりはしない」

「戻ったのか」

「ああ」

「でも、どうやって」

「そいつのせいじゃないか」

 獣人は、紫水晶を指差した。

 カーライルは、他のものたちも戻ったのかと思い、周りを見回してみた。戻ったもの、そうじゃないもの、様々だ。黒いもやもやが小さくなったのは、そのせいかとカーライルが合点した。

「じゃあ、お嬢ちゃんも、早く身体に戻してあげないと」

「んっ、誰のことだ」と獣人。

「あの娘じゃ」

 カーライルは、横たわる萌恵を指差す。

 獣人は、軽々と萌恵を抱えてきた。

「どうする」とカーライルに聞く。

「わからん」

 その答えが、カーライルにとっては、正直なところだ。

「あんたは、どうやって自分の身体に戻れたんじゃ」

 そう聞かれると、獣人は困った。頭を掻きつつ、モジョモジョ言いながら、萌恵を下ろして寝かせた。乱れた服まで綺麗に整えた。それを見て、カーライルは好感を持った。

「見かけによらず、いい奴じゃな」

「見かけは変えられない。でも、ずっとこんな姿だったんじゃない」

「ほう」とカーライルが感心したところで、他のものたちが動いた。

 小さくなったもやもやに襲いかかったのだ。もやもやは煙のような感じなので、襲いかかったものたちの手をすり抜けていく。それをまた大勢で追いかける。イタチごっこのような光景になった。

 もやもやは何度も掴まれそうになりながらも、逃げ続けた。

 誰も自分の意識を取り戻したものはいない。もやもやの中に、それらの意識は取り込まれていないのか、萌恵のようにしっかりと捕まっていて、戻れないのか。

カーライルと獣人も、何とかもやもやを捕まえようと、同じところぐるぐる回っていた。

「埒があかんな」

 カーライルがうんざりして言う。

 獣人も「同感だ」と頷く。

「どうする」と、カーライル。

「なぜ、俺に聞く」と、獣人。

「この世界の住人だ。何か、知ってるだろう」

「教えない。いや、教えられないんだ」

「どうして」

「いにしえの師との約束だからさ」

「師とは、誰かな」

「山の人」

「お主、一体どれほど生きているのだ。もうほとんど忘れ去られた者との古い約束など、取るに足らん」

「あんたにとってはな。だが、俺にとっては大切なことだ」

「頑固もの」

「何とでも言え」

 二人の会話は、萌恵そっちのけになっていった。

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