第16話 再会、あるいは逆襲

 あたりに急に黒い雲のようなものがたちこめてきた。

 建物は大きく広がり、庭に面した壁や通路が取り払われて行く。その向こうから何かがゆっくりと歩いてくる。一人じゃない。そして、その中の一人が輝くものを持っている。

 カーライルは目を凝らして、じっと見つめている。萌恵はカーライルに囁いた。

「あれ、何。嫌な予感がする」

「左様。あれは、これと一緒だ」

 カーライルは、ポケットから紫水晶の小さなかけらを取り出した。その途端、近づいてくるものたちの動きが止まった。明らかに動揺している。

 しばらくして.一人が指図して、先頭の一人が前に出てきた。

 人形だ。元の姿に戻っている。

「先兵というわけね」

「雇われの身は辛いのう」

「わたし、争いは嫌いよ」

「わしもじゃ。話し合いで解決したいのう」

「呑気なこと。でも、賛成」

 カーライルは、紫水晶のかけらをまたポケットの中にしまう。

「何で隠すの」

「貴重な、最後の一個だからな」

「あっちの方が大きいわよ」

「ほほう、さっきは争いたくないと言ったが、気が変わったか」

 そう言われると、萌恵はなんとなく恥ずかしくなった。自分が紫水晶を欲しいと思っているわけじゃないし、そんな言い方されても困るというのが正直なところ。

「あれっ、人形いないよ」

 萌恵は、その時になって初めて人形がいつの間にか姿を消していることに気づいた。

「わしらは、囲まれておる」

 カーライルは冷静に答えた。萌恵がよく見ると、萌恵とカーライルを取り囲むように金属の柵ができている。萌恵は、人形が姿を変えたんだと思った。周囲に漂う暗い影のようなものが濃くなっている。それらは何か関連があるのかどうか、萌恵は判断できなかった。

 その時、二人の人影が、柵の向こうに立った。

「楓。それに、高井戸さん」

 行方不明の二人との再会だけど、これは嬉しい再会ではないと萌恵は直感した。柵の向こうの二人に笑顔はない。萌恵を取り巻く黒い雲のような、煙のような不快な影はますます近く、焦げ臭いような嫌な臭いさえ感じた。

 高井戸も、楓も、前髪が垂れて目が見えない。何を考えているのか、表情が読みにくい。憎まれたり、嫌われたりするいわれはないんだけど、と萌恵は思った。

 紫水晶のかけらは楓の両手にしっかりと収まっている。萌恵はまたその水晶の中に吸い込まれるかのような感覚を覚えて、ゾッとした。

 人形は少しずつ包囲柵を狭めてきている。そして、人形を操っているのは楓だ。

 高井戸は何もせず、ただ突っ立ているように見える。しかし、萌恵には高井戸が何かを指示しているように思えた。ちょっとした指の動き、立ち位置、手の振りで楓を動かし、人形を動かしている。

「お嬢ちゃんたち、ちょっと話し合おう」とカーライルが言った。

 高井戸が不敵な笑みを浮かべて、楓に何か囁く。楓が大きく手を振ると、柵が急に立ち上がってきた。

「話を聞く相手じゃないわよ」と萌恵が叫ぶ。危機感丸出しになった。

「嫌な予感がする」

「逃げましょう」

「どこへ」

 その通り。カーライルは的を得ている。人形の作った柵に囲まれて、逃げ場はない。

「何か秘密兵器はないの」

「ない。もともと兵士じゃないし、戦争は嫌いだ」

「そんなこと言ってる場合じゃないです」

 萌恵とカーライルの二人はとうとう鳥籠の中に閉じ込められた。

「閉じ込められちゃったじゃない」と萌恵。

「困ったな」とカーライル。打つ手なしといった感じだ。

「ポケットの水晶を渡せ」

 萌恵とカーライルは、その声に驚いた。手を伸ばしているのは人形だが、言ったのは高井戸だった。鳥籠の一部が手のように伸び、カーライルの前に差し出されている。カーライルは無意識に右手でポケットの中を探る。

「渡せ」

 もう一度、高井戸が言う。取材の時には聞いたことのないドスの効いた声だ。こんな人だったなんて、と萌恵はがっかりした。

 カーライルは仕方なく、紫水晶のかけらを指先でつまんで、人形の手の上に掲げる。

「お嬢ちゃんは、この水晶の本当の力を知っているのか」

「関係ない。渡せ」

「何が起きても、知らんぞ」

 カーライルが紫水晶の小さなかけらを人形の手の上に落とす。人形がつかんだ。そのまま、人形は手を引いて、かけらを楓に渡す。楓の両手には、大小二つの紫水晶が握られた。

「さて、もうよかろう。そっちの要求には応えた。ここから出してくれ」

「しばらく大人しくしていろ」

 嫌な黒い霧のようなものが、萌恵とカーライルの周りに立ち込めてきた。だんだんと濃くなっている。

「動かぬ方がよかろうな」

 カーライルは、黒い霧を避けながら、身を屈めた。鳥籠は少しずつ小さくなっていく。このままでは、殺されてしまうと萌恵は思った。

「殺されちゃう」

 萌恵の不安をよそにカーライルは、何かじっと考えている。また、何かしら策があるというのだろうか? 籠の大きさは、もう二人の身体にくっつきそうなのだ。

 高井戸と楓の姿は、もうない。

 萌恵が誰か助けてって思ったとき、遠く離れた所にポッと灯りが灯った。その灯りの中を、立ち去ったはずの高井戸と楓が戻ってくる。それも後ろ向きに歩いている。

「変。戻って来てる」

「だから、何が起こるか分からんと言うたろう」

「読んでたの」

「そういうことになるな。尊敬する?」

「まさか」

「はっきり言うなあ」

 カーライルは残念そう。後ろ歩きの二人が鳥籠の前に来たときには、鳥籠の大きさも元に戻っていた。高井戸と楓の二人は、そこまで来てようやく、何かが変であることに気づいた様子だった。驚いて、顔を見合わせている。

「何が起きたかなんて、分からないだろうよ」とカーライルが呟く。

「あの水晶のせい?」と萌恵が聞くと、カーライルは頷いた。

「あれは、君の知っている水晶じゃない。とても謎の多い石だよ」

「一体、何なの」

「人が扱えないもの、人の思い通りにはならないものだ」

 とすれば、高井戸と楓が持っていたって、役には立たないはずだと萌恵は思った。それなのに、なぜ紫水晶を手に入れようとするのか。萌恵には理解できない。

「知らないからだ」とカーライルが萌恵の疑問に答えるように呟く。

 カーライルは、時に人の心を読んでいるかのように振る舞うことがある。それで、助かることもあるし、嫌なこともある。この時は、萌恵は怖いと思った。

 高井戸は何を思ったか、楓に命じてカーライルと萌恵を縛り上げた。お陰で、鳥籠の中ではなくなったのはいいこと。ただ身動きできない

「今度こそ何もできないぞ」

 高井戸は初めて自分から言い放った。どう見ても高井戸は怒っている。よほど悔しかったのかなと萌恵は思ったけど、カーライルはどうあれ、萌恵がやったことではない。萌恵は、私のせいじゃないのよと心の中で何度も呟いた。

「だから、話し合おうと言うておる」

「黙れ。ジジイ」

 萌恵を縛り付ける針金の束が急にきつくなる。

「痛あい」

 カーライルは黙っているが、萌恵は思わず口に出てしまった。高井戸が冷たく笑っているのを見るとますます嫌いになった。

 高井戸の周りに黒い霧が集まってきている。まるで鎧のように頭から全身にまとわりつき、高井戸と楓の姿を隠していく。

 萌恵は、その姿を前に見たことがると思った。それがいつ、どこでだったか、ぼんやりとして思い出せないけれども、そして、それが高井戸であったかどうかも、確かではないのだけれども、萌恵には何か確信があった。

 萌恵は、近い過去に高井戸と会っている。

 それは、占いの館ではない。もう少し前、この三輪坂町のどこか。あの地震の時だと、萌恵は感じた。だから、萌恵は高井戸に言った。

「私は、あなたを知っている。もっと前から」

 高井戸は一瞬、たじろいだ。

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