第15話 奇妙な建物

 樹木に囲まれたちょっとした広場に、温室のようなガラス張りの四角い建物があった。ガラス張りなのに中は見通せない。温室ならば、中と外の気温差でガラスが曇ることも考えられる。ただ、外は暖かい。ガラスを曇らせるほどの気温差があるとは考えにくい。

 建物が少し歪んでいるように見えるのも、萌恵には気になった。

「入口はどこじゃ」

 カーライルは建物の周りを歩いて、壁を触っていく。萌恵には、どこも同じようにしか見えない。ビルの屋上にある高架水槽が、半透明のガラスでできているかのような、無機質な感じの外観だ。

 カーライルは、壁を叩き始めた。その姿は、焼け落ちた占いの館で、四角い箱を開けようと四苦八苦していたときと、ちょっと似ている。萌恵には、ユーモラスなものに見えた。

「何を笑うか」

 カーライルがムッとして言う。

「どこかで見た光景かなぁって思ったの」

「どこかって、どこじゃ」

「つい最近、出会ったとこ」

 カーライルもピンときたようだった。急に笑い出す。

「そうじゃのう。いいヒントをくれた」

 カーライルはそう言うと、壁をガンガン蹴り始めた。そんなだったかなと、萌恵は疑問。占いの館の焼け跡での奇妙な箱を連想したのは、萌恵も一緒。でも、あのときは蹴ってたっけ。

 また、誰かが飛び出してくるのを期待してるに違いない。

「そんなんで、うまくいくの」

「さあね」

 と言ったカーライルの足がすうっと壁にのめり込む。あまりにも突然で、萌恵も面食らった。カーライルは、ひやあと声を上げながら体勢を崩し、そのまま建物の中へ引きずり込まれていく。「待って」

 萌恵も慌ててカーライルの体にしがみつく。引っ張る余裕はない。一緒に壁の中に滑り込んでいく感じだった。

 建物の中はというと、温室ではなかった。

 植物は生えていない。庭はあるのに、そこは枯れ果てている。青々とした感じではない。目だけ動かして、かろうじて見える範囲の話だ。なぜなら萌恵はカーライルの下敷きになっていて、身動き取れなかったからだ。カーライルはというと、気絶している。やはり、老体に響いたのだろう。

 萌恵としては、こんな格好を誰かに見られるのは嫌だし、誰もこないことを祈った。

 しかし、祈りは往々にして通じない。

 誰かがやって来た。

 萌恵は顔だけでも持ち上げて、近づいてくるものの正体を見極めようとした。足音がするのに、姿は見えない。無理して首が痛くなってしまった。それにしても、カーライルは重い。「どけ」と怒鳴りたかったけど、大声を出すと聞こえるし、できなかった。

 庭へと続く入り口に人影が立った。

 機械仕掛けの人形。あの占いの館の焼け跡で見た奴だ。

 よく見ると、身体だけでなく、スカートも針金やブリキでできている。身体と服とが一体化していて、ごちゃ混ぜになった感じ。

 あのときは、鳶縞楓だった。今度も、そうなのかしら。萌恵は疑問に思いたい。違っていてほしい。この機械仕掛けの姿が、楓の力だとは思いたくない。人形は、クネクネと腰を振りながら、部屋に入ってきた。まるで、そこに萌恵とカーライルがいることなど、目にも入っていないかのようだった。

 顔は、焼け跡のときと同様、少女のようでもあり、少年のようでもある。見る人の思い出や気分によって、見え方が違う。今の萌恵には、氷の女王のように見えた。

 人形は部屋の片隅まで行くと、くるりと向きを変え、また壁際まで歩く。ゼンマイ仕掛けのブリキの人形が歩くかのようにぎこちない動きで、よく倒れないものだと思えるほど、フラフラしている。

「楓」と萌恵は声をかけてみた。

 一瞬、人形の動きが止まる。しまったと思ったが、後の祭り。人形が萌恵の方に顔を向けた。

 目はない。暗い眼窩がそら恐ろしい。人形はキョロキョロしてるばかりなので、見えてはいないと萌恵は確信した。

 人形はその針金でできた、か細い指で近くにあった椅子を触った。指が椅子に絡まり、繋がっていく。細い触手のように伸びていく。それにつれて、人形の指先から手、腕、肘、肩と次第にほどけていく。肩から胸、腰、太もも、膝、ふくらはぎ、足とほどけていって、半身がなくなった。まるで、人形の全身は一本の針金でできていたかのようだ。

 そして、その触手の先端は、確実に萌恵に近づいてきていた。

 カーライル爺さん、早く目を覚まして。祈るような気持ちで、萌恵はカーライルを揺さぶった。

 ほとんど胴体と手足を失って、細い輪郭線の上にぽつんと載っかった人形の顔が、ゆっくりと巡って、萌恵のいる方に焦点を合わそうとしている。そして、かすかな振動に震えている。

 萌恵は、何か背筋に寒いものを感じた。

「楓。やめなさい」

 人形が一瞬ビクッと動きを止めた。やっぱ、わたしのことを知っているんだと萌恵は直感した。楓は、萌恵に対して何の恨みも、憎しみも持っていないはず。だって、会ったばっかりだったんだから。それなのに何故、こうも執拗に萌恵の前に現れるのか。萌恵には解せなかった。

 とはいえ、今は戦える体勢じゃない。だって、カーライルの下敷きなんだから。どうする、萌恵。萌恵は自問した。

 人形が伸ばしてきた針金のような触手が、カーライルに触れた。そこで、一瞬、電撃が走ったような感じで、触手を引っ込める。音はしなかったので、本当に電気が走ったとは思えない。

 しかし、そのお陰でカーライルも、息を吹き返した。意識はまだ朦朧としている様子なのに、カーライルの体は少し軽くなった。弛緩してしまった体と、自ら動ける体とでは、重さが違うんだと萌恵は実感した。

 カーライルのズボンのポケットが青白く光っている。人形はその光を恐れている様子だった。萌恵はすぐに紫水晶を思い出した。カーライルのポケットから紫水晶を取り出そうと手を伸ばす。その手をカーライルの骨太の手が押さえた。

「やめとけ。君には、まだ危険だ」

 そして、立ち上げると、人形の前に立った。人形は、一歩後ろに下がった。

「このお嬢ちゃんのこと、君は知ってるんだろ」

「君って、わたし?」と萌恵。

「そう。他にはいないし、このお嬢ちゃんは喋れない」

 そういえば、人形には口もなかった。

「知らないってわけでもないか」

「回りくどい」

「確信はないけど、知り合いかも」

 気づくと、萌恵もカーライルも細い針金のようなものに足を取られていた。何重にも絡みつき、足を動かせなくなっている。

「この子は、攻撃的だったかな」

「知らない。何とかして」

「ではでは、よいしょっと」

 カーライルは呑気そうに、針金の一部を掴む。そして、二重リングを取り出すと、これはこういう使い方もできるといって、針金を切り始めた。驚いたのは、人形だ。カーライルと萌恵に巻きつけた軛を解いて、足早に逃げる。ほとんど瞬きの間に逃げ出したので、萌恵は面食らった。

 足元にちぎれた針金の塊が落ちている。それが手だったのか、足だったのか、わからない。

「はや」と言葉にするのがやっとだった。

「逃げ足、早いのう」

 カーライルは服についたホコリを払いながら、人形に逃げた方を見ている。

「追いかける?」

「ほう。元気が出たか」

 カーライルの言葉にちょっと嫌味な響きを感じて、萌恵はムッとした。

「怒りなさんな。もうすぐ、あっちさんから、押しかけてくるかも」

 カーライルの指差すところには、もう何もなかった。さっきまで、人形の体の一部が転がっていたはずなのに。萌恵の心の中に、不安な気持ちが滲んできた。

「ここは、あのお嬢ちゃんの世界なのじゃろう。わしらには部が悪い」

「この世界を支配してるの」

「違う。一人の人間が支配できるほど狭くはない。この建物の中の世界じゃよ」

「自分から入ってきたのに。知ってたんじゃないの」

「まさか、そこまで物知りじゃないし、頭も良くない。何しろ、もう老人だからなあ」

「急に老け込まないで」

 萌恵は、あの人形と自分が一対一で対峙するなんて、想像したくなかった。カーライルがいてくれることが、萌恵にとってどんなにか心強いことであったことか。今更なから、感じていた。

 不意にガタンと壁が外れた。

「来たぞ」とカーライル。

 部屋の壁が動いている。いや、建物全体が変形し始めていた。

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