第10話 紫水晶

 数日後、萌恵が事務所の宮樋さんを通じて、雑誌「マケマケ」の編集部に問い合わせてもらったところ、あの取材自体はキャンセルになっていた。占いの館の火事と取材対象の紫占の入院、さらには記者の高井戸、モデルの鳶縞楓が行方不明のおまけ付きだから、仕方がない。

 不思議なことは、いずれも警察沙汰になっていない。捜索願も出されていない。何か見えない力が働いているとしか思えなかった。そこに、カーライルも関わっているのだろうか。そう考えれば、蟹庵亭も怪しかった。

 カーライルは連絡してこない。萌恵は待ち遠しかった。後輩の咲洲茜からは、しつこく「何があったんですか」と聞かれて困った。茜はカーライルのことを知らないし、話していいものかどうか萌恵は決めかねていた。このまま連絡してこなければ、いなかったことにしてもいいかなとさえ思っていた。

 紫占は意識不明で、面会謝絶。紫占が運び込まれた病院に行っても、会わせてもらえなかった。親兄弟でもなく、親戚でもないのだから、当然といえば当然の話だった。でも、萌恵はそんなことにも、隠れた意図があるのではないかと勘ぐった。

 また、何ごともなかったかのように、日常に戻ってしまうのだろうか。そして、時間の経つにつれて、自分の記憶からも消されていくとしたら……。

 それは嫌だ。

 とうとう待ちきれず、蟹庵亭に行ってみた。道を間違えてはいないはずなのに、路地に迷いこんでしまった。店の入り口さえ見つからない。勿論、カーライルに出会うこともなかった。消えてしまった、と萌恵は感じた。嫌な感じだ。

 鬱蒼と茂った木々の間を掻き分けて、なんとか蟹庵亭に行きつこうと試みた。

 草や木に遮られて、前がよく見えない。どこに向かっているかさえわからなくなったとき、行き着いた先は、籠神社だった。扉を閉ざした社が境内の中央に立っている。

 覚えている。カーライルと別れた場所だ。

 そのとき、かすかな鈴の音が聞こえて来た。風も吹いていないのに、なぜ。

 萌恵は、その鈴が自分のものではないことに、突然気づいた。以前、ここにきたときに誰かが身につけていたものだ。いつか、誰かとここにいた。そのときに、鈴の音を聞いた。それが思い出せない。

 籠神社の社殿の扉には鍵がかかっていた。鈴の音はその中から聞こえる。扉はしっかりと閉じられていて、ビクともしないが、周りの壁には長年の風雨で痛んだところがあり、覗けるかもしれないという気がした。

 萌恵は隙間から目を凝らした。中は真っ暗だ。天井から一筋の光が差している。屋根のどこかに穴があり、そこから太陽光が入って行きているのだと思った。その光の落ちているところに一個の鈴が浮いている。吊られているのではない。宙に浮いている。それが時折、かすかに揺れて音を出しているのだった。

 萌恵は魅入られたように見つめていた。

 その鈴の浮いているところだけが、全く別の世界のように感じられた。

 社殿の壁を突き破って、中に入りたくなったけど、押しても蹴ってもビクともしない。古いくせに頑丈だった。

 また、鈴がチリンと鳴った。鈴の柔らかな球面が一瞬キラリと光ったとき、萌恵はその輝きに吸い寄せられた。占いの館で感じた感覚。自分の身体を抜け出して、鈴に引き寄せられたのだ。

 萌恵は社殿の真ん中から暗い室内を見回していた。

 同時に、一人の女の子の顔を思い出した。友達だったという記憶とともに。名前は出てこない。でも、仲がよかった友人だ。その子が鈴を持っていた。でも、その子は今どこにいるの。急に何とも言えない悲しさが湧き上がってきた。涙さえ出てくる。

 きっと何か、忘れてはいけない何かがあったはず。でも、思い出せない。悲しいし、悔しかった。また、鈴の音がなり、萌恵の視界は揺れた。鈴と一緒に自分も浮いている感じがした。

 それ以外、何も起きないのが玉に瑕。自分の身体に戻っちゃおうかな。出来もしないのに、萌恵はそう思った。そこで気づいた。自分の周りに数えきれないくらいの小さな光の粒子が浮かんでいる。あの黒水晶の中で見た光の粒に似ている。

「そうかね」

 不意に誰かの声がした。自分の背後からだと気づいたときに、萌恵は身体に戻っていた。そして、胸に生暖かい感触を感じた。みると、干からびた手が聴診器のようなものを萌恵の胸に当てている。

「何してんの」と叫ぶと同時に、その手を振り払った。

 わああっと声を出して、何者かが社殿の高欄の下に落ちた。

 萌恵が覗き込むと、「わしじゃよ」と聞き覚えのある声がする。カーライルだ。

「いったい何処に行ってたのよ」

 相手がカーライルだとわかった途端、萌恵は急に頭にきた。ずっと不安だった気持ちが吹っ飛んだ。カーライルの余裕の笑みを見ると、尚のことイライラさせられる。

「お言葉じゃのう。老人には優しくしてくれよ」

「蟹庵亭も無くなってるし、わたし、心配で心配で…」

カーライルは、元気よくワッハッハと笑う。

「君の見込みは当たっていたよ。わしは嵌められていたようだった」

「よかったわね」

 カーライルの能天気さが萌恵には気に障った。カーライルもちょっと不満そうだった。

「もっと喜んでくれるかと思った」

「ご愁傷様。無事に逃げ出せたんでしよ。それで十分じゃない」

「これでも、苦労したんじゃぞ。相手もなかなかの奴でな、わしの前では猫かぶっとった。そこでじゃ…」とカーライルはちょっと嬉しそうに自慢する。「わしは考えた。わしの持っておった水晶のかけらをわざとあ奴の見えるところに放っておった。そしたら、見事に食いついてきたよ」「どんな風に」

「それは勿論偽物じゃ。水晶の中に小さな発信機を仕込んどった」

 萌恵はそれを聞いて、やっぱり只者じゃなかったんだと確信した。水晶の中に仕込む発信機なんて、そんじょそこいらに売っているような代物じゃないはず。スパイが使うような特注品に決まってる。

 カーライルは調子に乗って、話を続けた。

「奴は…店の主人の諸角じゃがね。水晶を持って、奴らのアジトにのこのこと出かけて行きおった。わしはその後をつけていたというわけじゃ」

「で、どうしたの。やっつけたの」

「しばらくがぐうの音も出ないくらいにはね」

「だから、蟹庵亭も無くなったってわけ」

「そいつは知らん。諸角の仲間が処分したんじゃないか。と言っても、アジトにいた奴らはしばらく病院行きにしたから、別の仲間がいたのかな」

「やばいじゃん。また、狙われるよ。顔、バレてんでしょ」

「それを言うなら、君もじゃぞ。蟹庵亭で一緒に飯を食っとる」

「嫌なこと言わないで」

 萌恵はそうかもと思って、ちょっと背筋が寒くなった。

「ちったあ、心配になったか。それでいい。用心するに越したことはない」

「余裕ね」

「おかげで、わしも自分のことを少し思い出したと言うわけじゃ」

 萌恵が黙っていると、カーライルは話を続けた。

「わしが持っていたのは、紫水晶のかけらじゃ。これは、そんじょそこいらにあるものじゃない。あの女占い師が持っていた水晶と同じ。大きさは違え、あれもかけらじゃったのじゃろう」

「そうね」

「しかも、仮に紫水晶と呼んでいるが、実は違う。古の技法で作られた人工石だよ。前も言ったように、この石には数々の謎がある。おそらく、それは君もわしも思い出せない、失われた三日間に関係がある」

「三日間?」

「そう。今から一ヶ月前に、わしはこの町に来た。そして、いわゆる地震があった。その後の記憶がない。わしで言えば、あの紫水晶のかけらを持っていた。紫水晶をどこで、どうやって手に入れたのかを思い出そうとすると、ちょうど三日間の記憶がないのに気づいたというわけじゃ」

「わたしには…」と萌恵は自分のことを言い出しそうになって、口を閉ざした。

 カーライルは黙っている。気づいているのが、気づいていないのか。表情も変わらない。萌恵は言葉を探した。何にも浮かんでこない。

 また、かすかに鈴の音が聞こえた。

 萌恵は壁の隙間から中を覗きこんだ。さしていた日の光がなくなって、暗くなっている。振り返った萌恵の目に怪しい影が見えた。カーライルを押しのけた。

「何するんじゃ」

と、カーライルは驚いて見せたが、背後に迫る影の正体を見ると、口をつぐんだ。

 ロボットのような、全身鎧をまとったような戦士たちが二人を取り囲んでいる。

「こいつらは…」と萌恵が聞く。

「危険な奴らじゃ」とカーライルが答えた。

 萌恵は急に喉の渇きを覚えた。

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