第7話 機械仕掛けの人形

 人形が、ゆっくりと萌恵に手を伸ばしてきた。口元が動き、何か話しているように見える。人形といっても、シルエットが人の形に見えるだけで、肌はゴツゴツ、いろいろな突起物があちらこちらから出ている。まあ、産業機械のような箱型ロボットにくらべれば、人に近いと言うだけの代物に過ぎない。聞こえてくるのは、バネやぜんまいの動く音。時折、何かが外れたような音もする。

「これは、お嬢ちゃんの知り合いか」と老人が聞いてくる。

「違うわ」と言ったものの、萌恵に自信はなかった。

 頭の中で必死に記憶の断片を探っていた。既視感がある。でも、いつ、どこで。わからない。

「そうかのお、何か驚いとったように見えたがの」

「人が悪い」

「年だからのう」

 その顔の印象は、紫占でもなく、楓でもなく、高井戸でもない。もっと遠い昔、どこか懐かしい思い出と一緒に蘇ってくる何かだった。

 ところが、老人は萌恵と違った印象を持っているようだった。オロオロと涙ぐみ、とても親しい友人にでも会ったかのように嬉しそうな顔をしている。萌恵は老人の袖を引っ張り、

「お爺ちゃんこそ、知り合いなの」

「そうじゃ。幼い頃に死に別れた兄に似ている」

「私には女の子の顔に見えるけど」

「そうかのお」と老人は首を傾げる。

 何故か、老人が急にボケてしまったかのように思われた。老人は人形を前に微動だにしない。人形の方も動きを止めている。この人形は、見る相手によって違った印象を与えている。相手の心の中を読み取っているのかもしれないと思うと、萌恵は怖くなった。自分が何かを思えば、人形に察知されるのではないかと感じた。

「お爺ちゃん、これ、ちょっとやばいんじゃない」

 老人は返事しない。萌恵の脳裏にふと紫占の顔が浮かんだ。萌恵が占いの館の部屋の中で見た紫占の表情もどこか、この老人の表情に似ていたような気がした。

「本当に、これってやばい」

 萌恵は、人形と老人から少しずつ後ずさって行って、距離を取ろうとした。すると、人形の顔が萌恵の方に向き、その顔にくっきりと目が現れた。その目は、まっすぐに萌恵を見ている。萌恵は、すぐに背を向けて走り出した。さっきこの空間に入り込んだ塀際の階段に向かって。

 もう一歩、というところで、何かに遮られた。目に見えない壁がある。階段は目の前なのに、一歩も先に進めない。後ろから何かが迫ってくる感覚がする。振り返れない。何か冷たい感覚。

 思いっきり後ろ回し蹴りした。

 ガシッと受け止められる。あの人形だ。真後ろに来ていた。飛びのいて身構える。人形の動きが速い。萌恵は体勢を崩して、倒れこむ。やられたと思った瞬間、人形の動きが止まった。何か変な動作を繰り返している。その後ろの方を見ると、老人が人形と箱をつなげている紐のように伸びた何本もの金属の線を金切り鋏で一つ一つ切っている。人形は、電気の配線を切られたロボットのように動かなくなった。

 老人はまだ楽しそうに金切り鋏を使っている。全部切るつもりなのだろうか。萌恵にとっては、どうでもいいけど。

「もう動かなくなったわよ」と老人に声をかけた。

 老人はまだ楽しそう。「もうちょっとな」と言って、手を止めない。

 この老人は一体どこから金切り鋏を取り出したのだろう。背広の上下のポケット以外には、入れるところがない。カバンの類は持っていなかった。

「ちょっと、あんた、いい加減にしなさいよ」

 と怒鳴りながら、楓が箱の中から飛び出してきた。箱の上に仁王立ちして、老人を見下ろしている。老人はびっくりしたような感じで、しばし見上げていた。

「鳶縞楓。あなた、その箱の中にいたの」と萌恵が声をかけた。

 今度は、楓がびっくりしたように萌恵を見つめ返した。萌恵がここにいることを全く予想していなかったようだ。楓は逃げるように箱の中に戻ろうとした。その時、老人が楓の腕を掴んで、

「お嬢ちゃんに話がある。待ちなさい」

 今までにないくらいしっかりした口調で、意外なほど腕力も強い。楓が老人の手を振りほどこうとしても、全く手に負えない。

「離してよお」と楓は顔をしかめる。

「聞きたいことがある」

 老人はあくまで冷静だ。さっきとは別人と萌恵は思った。

「お嬢ちゃんは、あの地震の時のことを覚えているか」

「地震って何よ。知らないわよ」あくまで逃げようとする。老人は離さない。

「なら、なんでこんなことができる。どうして、こんな力を持ったんじゃ」

 楓は抵抗しながら、「知らないわよ。この糞爺い」

 足で蹴りを入れる。老人は軽くかわす。そして、箱の中に逃げ込もうとする楓の腕を鞭のようなしなやかな紐で縛って、引っ張った。楓は右手を残して、箱の中に消えた。ただ、残った右手が問題だった。老人は離さない。

「お爺ちゃん、頑張って」

 思わず萌恵は叫んでいた。やっと掴んだチャンスを逃したくなかった。

「言うだけじゃのうて、手伝いかし」

「ええっ、まさかでしょ」

「バカモン。チャンスを逃すは、勇なきなりじゃぞ」

 意味不明。萌恵は、糞ったれと呟きながら、老人のもつ紐を一緒に引っ張った。しなやかな紐も、伸びると楓の腕をきつく締めた。

「痛あい」と大きな声をあげて、楓がまた姿を現した。

「それ、捕まえろ」と老人が叫ぶ。

「あんたでしょ」と萌恵は老人に返したが、動きは萌恵の方が早かった。

 楓の体に抱きついて、箱から引っ張り出した。「もう逃げられないわよ」

 楓は、それでも逃げようと周りを見回す。萌恵と老人が挟み込むように、立ちふさがった。

「観念しなさい」と老人が厳しい声を出す。

 楓はおとなしくなった。すると、箱の一部から少しずつ壊れ始めた。ネジが抜け、歯車が外れ、バネが飛ぶ。老人は嬉しそうに、その様子を見ている。興味津々と言った風体だ。

 その時、老人の背後から何者かが老人を羽交い締めにした。

「誰じゃ」

 あの人形だ。自分で動いている。楓さえ、驚いたような顔をしていた。

「く、苦しい」

 老人の顔色が変わってきている。首を絞められているようだ。萌恵は、とっさに人形に体当たりした。人形はビクともしない。老人の腕がだらりと力なく垂れ下がった。意識を失ったの、それとも、もう死んだ。萌恵は動揺した。命のやりとりなど今まで経験がなかった。なんで、今、こんなことを経験しなければならないの。嫌だ。萌恵はそう思った。

「って、冗談じゃ」と老人がにっこりと笑う。

 なに、何が起きたの。萌恵は、まじまじと老人の顔を見つめた。

 老人はいつの間にか、人形の腕をつかんで押さえ込んでいる。

「年寄りを甘く見たな」

 老人は余裕だ。だが、萌恵の目には、人形の周りに黒い霧のようなものが漂っているのが見えていた。それが何か、不安な気分を呼び覚ました。黒い霧は人形の中に吸い込まれ、一瞬消えた。そして、次の瞬間、人形は異様な音を出して、身体中の隙間から黒い煙を吹き出した。人形に身体が膨らんできたように見えた。

 爆発する? 萌恵は目を覆った。

「老人を甘く見るなと言ったじゃろう」

 老人は、意外なほどの怪力で人形の腕をねじ切った。老人の華奢な身体のどこから、それほどの力が出てきたのだろう。萌恵は目を見張った。老人は人形を原型を留めないくらいに折りたたんでしまった。

「お爺さん、すごい」萌恵は素直にそう言葉にした。

「いや、カッコ悪いところを見せてしもうたな」

「どうして」

「暴力はいかん」

「お爺ちゃん、力持ちなんだ」

「お恥ずかしい」

 老人はあまり多くを語りたがらない。萌恵はもっと聞きたかった。しかし、二人の周りには、黒い霧のようなものが漂っていた。不気味にゆっくりと回遊している。

「逃げるか、攻めるか」と老人がつぶやく。

 黒い霧も老人の怪力に恐れをなしているのか、遠巻きに広がっている。まるで、意志を持っているかのようだ。さっきの人形を操っていたのがこの霧なのか、やはり楓だったのか、萌恵には確信が持てなくなっていた。

 霧の向こうにあった箱が急にバタンバタンと折りたたまれて行く。そして、小さくなって消えると同時に、黒い霧もなくなっていた。後には、占い師の紫占が横たわっていた。

 萌恵は紫占に駆け寄ると、腕をとった。温かい。呼吸もしている。

「よかった。生きてる」

 老人もそばに来て、「お嬢ちゃんは、この人のことを心配しておったのか」と聞いてきた。

「何か変だったから……さっきの楓といい、この人といい、ちょっと普通じゃない感じがしてたの」

「そうじゃろう。わしも異常を感じておった」

「お爺さんも」

「何かが起きていたはずなのに、誰もが忘れてしまっている。そのことと、何か関係があるような気がしておった」

 萌恵は、自分が感じていた違和感と同じ感覚をこの老人が口にしたことに驚いた。そして、きっと何かが動き始めたんだと思った。

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