第3話 占いの館

 高井戸は一旦、カメラを置いた。

「改めて、みんなに紹介します。いま評判の占い師の紫占さんです」

 紫占は、テーブルの奥に座ったまま、にこやかな笑顔で三人に軽く会釈した。

「今日の取材は、普通の女子高生が日常の悩みや恋の悩みを打ち明けて、紫占に占ってもらうという内容です。何を聞いてもらっても大丈夫。紫占さんの了承をいただいています。もし何も思いつかないようだったら、いくつか質問をまとめてきていますので、参考にしてください」

と言って、紙切れを三人に無造作に渡す。萌恵が見たところ、最近友達と疎遠だとか、彼氏とうまくいってないとか、勉強にやる気が出ないとか、どうも自分の悩みとは違う気がした。

「別にその通り聞かなくてもいいのよ。あくまで、参考にしてね」と高井戸は言った。そして、旧式の小型録音機のスイッチを入れた。少なくとも、十数年は使い回されていた感じの機械だ。

 紫占は黙っている。全てお見通しなのか、出たとこ勝負でなんでも来いなのか。

 三人は顔を見合わせた。なんでも聞いてと言われてもって感じだった。その様子も、高井戸はカメラに収めている。なんでも撮りまくって、あとで編集しようと思っている節があった。メモは参考にならない。女子高校生をやめて十年くらい経ってしまうと、こんなものかもしれないと萌恵は思う。

「じゃあ、わたしから」と楓が口を開いた。「わたし、最近、不思議な夢を見るんです」

 紫占は黙って聞いている。夢と聞いて、萌恵も自分のことのように興味が湧いた。

「一人で時計屋さんにいて、店の人もお客さんもいなくて、時計の音だけが、デジタルじゃなくてアナログの古い時計ばかりなんですけど、やたら耳に残る感じで、音はうるさくはないんですけど、結構残っちゃう感じなんです」

 紫占は相槌を打つばかりで、何も言おうとはしない。

「寂しいとか、怖いとかいうんじゃなくて、そうだな、不思議に落ち着くんですけど、なんかひとりってのが嫌で、そう、店の外に何かがいるんです。窓は閉まっているし、店の入り口は木の扉で外は見えないんです。でも、外に何かいるんですよ。感じるの」

「何を感じるの」と紫占も興味ある様子。

「わからないんです。背筋がぞくぞくする感じ。これって、悪いことが起こる前兆でしょうか」

「そうね。見てみましょう」というと、紫占は手元の水盆に手をかざした。

 萌恵の正面に水晶があるせいで、水盆はよく見えない。水の表面にいくつもの波紋が広がっているくらいしか見えなかった。水盆に触ってもいないのに、波紋が広がっているのは、ちょっと不思議な光景だった。楓も茜も、じっと見入っている。高井戸は極力フラッシュをたかないようにして写真を取り続けている。

「ブラックハンパー」と紫占がつぶやく。

 三人とも身を乗り出した。「なんですか」と楓が聞く。

「何か隠している。秘密がある。いや、あなたじゃないかもしれない」

 紫占はじっと水盆を見つめている。紫占が言葉を発する度に、萌恵は言い知れぬ衝撃を受けていた。それが意味するものがわからず、萌恵は戸惑っていた。

「この数週間で、人生が大きく変わった人をたくさん観てるけど、あなたはまた違ってる。この仕事を始めたのも最近よね」

「はい」楓が神妙そうに頷く。

「誰かに助けられている部分もあるし、利用されているところもある。でも、その誰かは見えない。心覚えはあるの」

「いいえ。この仕事も自分から売り込んで始めましたし、そういった意味ではラッキーだったかもしれません。でも、悪い人には会ってないし、迷惑をかけられたこともないです」

「気をつけた方がいいわ。あなたを利用しようとしている誰かがいる。夢の中で、あなたはそれを拒否し続けているの」

 楓は心配になって、「あたし、どうしたら」語尾は消え入りそうになっている。

「扉を開けないこと。自分は自分と割り切って行動すること。油断しないこと。そして、何よりも、いま自分がやっていることは、自分がやりたいことなのかどうかを必ず考えること」

 そのとき萌恵は酩酊するくらいの強い衝撃を受けて、思わず目をつぶった。目の前の水晶のかけらから来ているような気がした。ちょっと我慢できない。そこで、思わず「誰かに操られてるとでも」と口に出した。

「そうね。そういう言い方もできるはね」

 紫占は萌恵をじっと見つめてきた。相手の心の奥底まで見通すような深い眼差しだった。萌恵は目を開けているのも辛い感じで、紫占に対して何も答えられなかった。

「きつそうね」

 それ何なのと聞きたかった。しかし、実際は声にならず、指先を水晶のカケラに向けただけだった。何かが迫ってくる感覚がある。紫占は、萌恵から茜に目を移し、「あなたはどう」と聞いた。急に質問されて、茜は戸惑っていた。なんて答えたらいいのか、わからなかった。

「この水晶のカケラは、私にとっては幸運の石なの。今の私があるのは、この石のおかげ」

「いつから」と茜が聞く。

「さあ、いつだったかしら。この水晶のカケラと出逢ったの。正直にいうと、落ちてたのね。私は、不思議な力を感じた。そして、茂みの中に分け入った。そこにあったのよ。つまらない石のカケラが……そして、私に幸運をもたらしてくれた」

 萌恵は、水晶のカケラに吸い込まれるかのような感じがした。これは普通の石ではない。少なくとも、萌恵にとって幸運をもたらすものでないことは、はっきりしていた。

 紫占は、不思議なものでも見るように萌恵を見た。全く理解できないといった感じだった。紫占にとって、これは初めての経験だった。手元の水盆に目を落とす。波紋が乱れていて、判別できない。紫占は思わず「テンサークルデイモン」と呟いた。

「なんですか」と楓が問う。

「あなた、変わってるわ」

 そう言われて、楓はドキッとしたが、紫占は萌恵を見ていた。

「何かが違う」

 萌恵は、しばらくじっと目をつぶっている。目を開けていられないというのが正直なところだった。眩しいのではない。目眩でもない。目の前の水晶のカケラには、何か得体の知れない力があった。この力のおかげで、紫占という女占い師が未来や過去を見えるとしたら、それは何を意味しているのだろう。

「あなたは違う何かに支配されている」

「何」萌恵はそう聞くのが精一杯だった。

「私も知らないもの。あなたも気づいていない何か。正直、足を踏み入れるのは怖い」

「人を化け物みたいに言わないで」

「そうじゃない。私や、そこにいる子とは違うものよ」

 紫占が見たのは、楓だった。茜の方には目を向けていない。

「だから、あなたは目を開けていられないくらいプレッシャーを受けている」

 周りで、カシャカシャ写真を撮っている高井戸が煩わしい。萌恵は、茜に「お願い」と言って席を離れた。しんどくて、爆発しそうだった。紫占は、何事もなかったかのように、今度は茜に向き合った。

「あなたも、ちょっと変わっているわね。でも、さっきの子ほどじゃない」

「あたしは、普通の恋占いでいいです」茜はそう口にした。

 紫占はふふっと笑った。「そうだといいけど」

 そういうと、手元の水盆に目を落とした。いくつかの波紋が交差している。茜からはその水面が見えている。ただ、意味はさっぱりわからない。

「その波紋に意味があるんですか」と茜が聞くと、紫占は「しっ」と制止した。目をつぶり、何かを探すように思考を巡らせている。波紋を見ているようで、見ていない。何かを感じ取ろうとでもしているようだと、茜は思った。そして、萌恵のことも気になった。萌恵の様子からして、目の前の水晶のカケラは、何か特別な力があるのかもしれない。ただ、茜自身は何も感じていなかった。それが歯がゆくもある。

「あなたは、目にとても不思議な力を持っているのね」と紫占が聞いてきた。

「そうですか」

 この人は何を言い出そうとしているのだろうと、茜は警戒した。確かに、茜には他人には見えないものが見えるときがある。その見え方によっては、茜自身怖くなり、その場から逃げ出したくなることがある。でも、そんなことをこの占い師に話すつもりはなかった。

「ダブルアイ」と紫占は言う。

 茜は、黙っている。

「あなたの目は、色に敏感ね。きっと、それがあなたを萎縮させているのね」

 ちょっと当たっている気がして、茜は嫌だった。萌恵がいないせいもあって、不安になった。ここには、自分の悩みを打ち明けにきたわけじゃない。あくまで、悩み相談のふりをしに来たのだと茜は思っている。

「ちょっと、質問。いいですか」と高井戸が口を挟んだ。

「何でしょう」と紫占が応える。

「紫占さんの占いは、いわゆる占星術じゃないと伺っていましたけど、その水晶の力による霊感みたいなものですか」

 紫占は、水晶のカケラをじっと見た。そして、「ある種のインスピレーションを得ているのは確かです」と言った。

「相手の未来や過去が、映像のように見えるんですか」

「そうね。見える時もあるし、感じる時もある。時々、本当かしらと思う時もあるけど、この水晶の前で感じたことは、当たってるの。だから、私の力の源といっていいかもしれないわね」

 とそこまで言って、紫占は自分でもびっくりしたような表情になった。

「あなた、不思議ね。ここまでお話ししたのは、初めてよ」

「恐縮です。最近、よく言われます」と高井戸は、にっこりと笑った。

「さっきの子は、大丈夫かしら。気分悪そうだったけど」と紫占が話題を変えた。

「あたし、見て来ます」と言って、茜はすぐに部屋から出た。

 なんとなく紫占の前に居たくなかった。萌恵のことを心配していたのも本当だった。

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