第2話 変な夢

「ただいまあ」萌恵は、憂鬱そうな声で家に帰って来た。

 台所から「おかえり」という母の声が返ってくる。

 大抵、母親と弟君しかいない。父親は仕事柄、出張が多く、年間を通じてほとんど家にいない。弟の知弥は、萌恵より一歳下の高校一年生だが、部活もやらず、家と学校を往復する毎日なので、もう家にいるはずだった。もちろん、おかえりなどど言うことはない。

 台所に入り、椅子にカバンを置くと思わず「あああ」と言うため息が出た。

「疲れてんの。学校、仕事?」と母の咲子が聞いてくる。

「どっちも、バッチリよ」

「ため息なんかついて、どうしたの」咲子は母親として当然の反応をしている。父の宏がいないことが多いため、萌恵からすると、ちょっと心配症かなというくらい干渉してくる。

 知弥は、もう飯を頬張っている。口の中がいっぱいで、何も言えない感じだ。幸せな奴だと萌恵は思う。

「そういえば、ちょっぴり寝不足かも」

「あんなに早く寝てるのに」と咲子が驚く。「悩みでもあるの」

「悩みじゃないけど、まあ大したことじゃないし」

 あんまり追求されたくないなあと思っている。それを察したのか、知弥が口を挟む。

「いいんじゃないの。青春の悩み、大いに歓迎だね」

「親爺みたいなこと言うな。この若造」

「そっちこそ」

 と言いつつも、またご飯を口いっぱい入れている。萌恵の体調を気にしている訳ではない。咲子の心配症が発動するのをなんとか止めたいと思っているだけの様だ。それを察したのか、咲子も「あなたも、早く食べたら」と話題を変えた。

 萌恵は正直、眠れない日々を送っている。変な夢を見る。

 寝つきはいい方なので、眠ってしまってからが問題なのだ。いろいろな夢を見る。しかも、起きてからも覚えているせいで、自分が眠れたのかどうか怪しい気分になる。スッキリしない。

 ここ最近のことだ。

 ベッドに入ると、いつもすぐ眠くなる。意識が遠のいて、何も考えなくなったくらいだろうか、自分がベッドの上ではない、どこかにいることに気づく。

 その日は、真っ暗な押入れの中だった。襖の隙間から光が漏れてきていたので、そこが押入れだとわかった。布団はもとより、洋服やらハンガー、箱、ポスターなど一緒に入れてある。狭苦しい感じとは思ったけど、自分の体が押し込められているような圧迫感はなかった。

 襖の向こうからテレビかラジオの音声が聞こえてくる。複数の人間の声が混じり、しかも人の動きは感じられないので、そう思った。

 身体は固まってしまったかのように動かない。目だけキョロキョロさせていた。声も出ない。なんとなくつまんないなぁって思い始めた矢先、不意に襖が開いた。半纏で膨れた大きな影が立っている。

 萌恵は思わず目を閉じた。

 影はじっとしている。萌恵の閉じた目にも視線を感じる。うっすらとでも目を開けるのが怖い。と息が近付いてくる。口臭まで感じる。

「変だなあ。目を閉じてる」と影がつぶやく。

 しまった、と萌恵は思った。しかし、動くわけにはいかない。萌恵は全身をふわりと持ち上げられたのを感じた。あまりにも軽々しかったので、自分でも驚いたくらいだ。萌恵は体重を失ってしまったのかもと思った。

 薄眼を開けると、男の顔が目の前に見えた。男は片手で萌恵をつかんでいる。萌恵は薄い一枚に紙のようなものになっているような気がした。今の自分の姿を見るチャンスはないか、目の届く範囲で探した。

 男は腰を下ろして、卓袱台の上に萌恵を置いた。置いた?

 萌恵は自分が物になってしまったかのように感じた。置物、飾り、フレーム、紙切れ。

 男はじっと萌恵を見ている。嫌あな感じ。一旦つぶった目を開けられないじゃない。男は顔を近づけたり、離したりしている。どうしても納得がいかない様子。話しかけるわけでもなく、ただ見つめている。

 ちょっと、気持ち悪い。萌恵にとっては、これは夢だと思いつつも、リアル感があり、生々しかった。正直、男の子の家になんか行ったことはない。部屋なんてもっての他。夢なら早く覚めてと祈った。

「変だなあ」と男がつぶやく。「こっち見ている写真だったのに、目をつぶっている」

 写真? どういうことよ。

 萌恵は思わず、目を見開いた。男を正面から見据える。

「あっ」と声を出して、男は跳びのいた。「生きてる」

「ばかか」と言いたくなったが、声にはならなかった。そこで、目の前の男の姿が霧のように真っ白になり、萌恵はベッドの上に戻っていた。

 今度も夢なのだろう。でも、嫌になるくらい現実的。信じられないって感じ。

 おかげで、朝起きた時、機嫌が悪かった。寝不足感も満杯。しかも、目覚し時計のうるさい音で起こされた。

「目、腫れてるわよ」と咲子が心配そうに言った。それには、返事をせず、朝食もそこそこに家を出た。今日はバイトの日だ。占い館にいかなくてはいけない。しかも、入りたての子もいる。でも、こんな体調で、写真撮られるのは嫌だなあと思った。

 電車の中では半分眠りこけていて、乗り過ごしそうになった。電車の扉が閉まりかけた時に気づいたから、なんとか降りることができた。待ち合わせの時間は、8時半。ギリギリ5分前に駅に着く電車だったので、乗り過ごしていれば、アウト。事務所の後輩は、一人寂しく待つことになる。萌恵にとっては痛くも痒くもない。それでも、自分が許せなくなることの方が嫌だった。

 駅前のビリケン像のところに行くと、もう咲洲茜は来ていた。

「ごめん。待った?」

「わたしも、つい先ほど来ました」と言って、ニッコリする。事務所で会った時より数段かわいい。あの時は、何か怖がっている感じだった。そりゃあそうだ、あの社長に、イカサマバイト大学生じゃあ、誰でも怖いわと萌恵はひとり納得した。

「今日はごめんね。社長命令だったけど、断ってくれてもよかったのよ」

「実は、ちょっと興味があったから」と茜は、恥ずかしそうに言う。

 萌恵は茜の服装を見て、ふと考えた。茜も自分も、普段着で来ているけど、よかったのかな。学校の制服着て来た方が、よかったのか。確か、羅村が高校生が取材する設定だと言っていた。萌恵は正真正銘の高校生だが、茜は中学生にしか見えない。そのことは、茜も気づいているらしく、「今日は高校の制服を貸してもらうんですか」と聞いてきた。

「何も言われてないから、雑誌屋さんが用意するんじゃない」と言ったものの、羅村ならすっかり忘れていることもあり得た。まあ出たとこ勝負。担当者が几帳面に準備する人か、逆にズボラだったらいいなと萌恵は思った。

 指示された占いの館に向かう。竹下通りの脇道を入った坂道の途中にある。この辺りは道が入り組んでいて、行き止まりも多い。一見、一戸建ての瀟洒な洋館風の建物の前に、大きなカメラを肩にかけた二十代の女性と、萌恵と同じ年に見える女の子が立っていた。その子も、制服じゃない。ならこのままでいいのかと思ったら、ちょっと違った。カメラの女性が萌恵と茜に「おはよう」と言った後、塀際に置いていた大きな紙袋をとって、「じゃあ、これに着替えて」と言った。中には、どこの高校とも知れない制服らしいものが入っていた。

「どこで着替えればいいですか」

「そうね、中を借りるか」と言うと、その女性は階段を上がり、玄関のインターフォンを押した。

 しばらくして戸が開いた。いかにも占い師といった格好の若い女性が出てきた。

「マケマケの高井戸です。今日はよろしくお願いします」

 占い師もにこやかに挨拶する。高井戸が、モデルの着替えさせたいと伝えると、快く中に案内して、占い部屋の隣の狭いスペースを貸してくれた。着替えるには十分な広さがある。

 萌恵は、一緒に着替え始めたもう一人の女の子が気になった。どこかで会ったことがあるような気がする。どこだと思い出そうとすると、急に頭の中が真っ白になる。

「鳶縞楓です」とその子が名乗った。

 そんなにジロジロ見ていた気はなかったけど、気づかれてたかと思うと、ちょっと恥ずかしくなる。そんな気持ちを抑えるように、「柿原萌恵。こっちは、咲洲茜ちゃん」と二人分紹介してしまった。

「わたし、インターフリークにいるの」

「結構、大手ね。羨ましいくらい」と萌恵は、柄にもなくお世辞を言ってしまった。

「あなたは」と聞いてきたので、

「個人事務所なの。ラゴスといって、所属しているのは、わたしを含め二、三人。茜ちゃんは今日が初めてよ」

 楓は安心したように微笑んで、「今日はよろしくね。今日は、一人だったから、ちょっと不安だったの。あなた達でよかったわ」と言った。

 そこに、高井戸が現れた。「準備できた」

「はい」三人の声が揃った。

 茜は小柄だったし、まだ中学生だったので、ちょっとぶかぶかだった。高井戸も気にはなったらしく、大丈夫かなあという目で見ていた。でも、何も言わず、「こっちよ」と三人を隣の部屋に案内した。

 扉も装飾に凝っていたが、部屋の中はもっとだった。お香のかおりがムッとするくらいに焚きしめてある。照明も落として薄暗い。目が慣れてくると、そうでもない。部屋に入ってすぐは、全てが霞んで見えた。高井戸は、三人の後ろからカメラのシャッターを押す。露出を調整しながら、何度もシャッターを切っている。萌恵は、入った瞬間、何かモワッとした空気にぶつかったような感覚を覚えた。窓も開いてないのに、室内の空気が揺れている。

 女占い師がテーブルの向こうに座っている。玄関で見た姿よりも、もっと神秘的な感じがする。口元を隠し、目だけ見せているから、なおのこと異国的だ。テーブルの真ん中には、水晶のかけらが台座の上に置いてある。部屋の明かりが少なく、色合いはよくわからない。黒っぽく感じるものの、黒ではないような気がした。

「どうぞ、おかけください」

 女占い師は、テーブルの周りの三つの椅子を指して、三人を促した。なぜか、萌恵が真ん中に座り、右隣が茜、左が楓となった。萌恵は水晶のかけらを目の前に見ることになった。微妙な光を受けて、砕け散ったようなかけらは色合いを変える。紫っぽく見える瞬間もあった。

 三人とも、女占い師に気を吸い取られたかのように惚けていた。占い師の術策にはまった感じだった。

「占い師の紫占といいます」

 萌恵は初めてその声を聞いた。

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