第25話 旅の準備を

「う~~ん、体の調子も戻ったし、長い休みだったわ。」


 そう言ってアルテナは、おれの隣で伸びをしていた。



 普段通りの露出度の高い恰好をした彼女と一緒に、

おれは街中を歩いていた。


 数日間とはいえブラウさんの屋敷に滞在したため、

水や食料品の買い直しと地図を買う必要があったからだった。


 観光目的でもあるけど。


 だからアルテナは、剣を屋敷に置いてきていた。



「急に倒れたからびっくりしたよ。」

「……迷惑をかけたわね。」

「いやいいよ。こういう時はお互い様だしさ。」

「……そうね……」


 責任を感じているであろう彼女に、

おれは努めて明るく返事していた。


 普段の旅路では、何もできずに守られてばかりのおれだから。

こういう時にくらいは、彼女の力になれて良かった。



「それで、ここからチカバの街まではどれくらいなの? 」

「えっと……」


 買ったばかりの地図を広げたアルテナの隣、上から地図を覗き込んだ。


 茶色がかった紙には紺色のインクで

ゴチャゴチャと描きこまれているみたいだけど……


 紙って言ったら まっ白なのが普通だと思ったんだけど、

そうじゃないんだね。



「……アルテナ? 」


 黙ったままの彼女がなんとも言えないような微妙な表情をしているのを見て、

おれは妙に嫌な予感がした。


「この地図の右上にあるのがこの街ね。」

「うん。」


 この街で買ったのに、この街が地図の中心じゃないのは変じゃない?

と思うけど、地図に書かれてるものが おれには読めないからどうでもいいか。


「地図の中央に丸で描かれてるのが、あの大きな山。」

「この街からでも見えるアレだね。」


 この世界では、あの山を中心にしてるのか?


 でもあれほど大きな柱みたいな山があったら、

あれを中心にしてもおかしくはないのか。


「それで? 」

「その大きな山の左上に街があるわよね。」

「あるね。左上にぽつんと街が一つだけ。」


 ……ま さ か ?


「それがチカバの街。」

「遠いなぁ!? 」


 アルテナが、なんともいえない表情になるわけだよ。


 殴り書きみたいな地図だから、

向こうの世界の地図みたいに正確じゃなさそうだし、

 直線距離にしても実際には かなりの距離がかかりそうだよ。



「ごめんねソーマ。」

「なんで? 」

「なんでって……こんなに遠くにあるとは思ってなかったし……」


 こんなに遠く? 思ってなかった?


 まぁ、どちらにしても……



「アルテナ。」

「な、何? 」

「おれがアルテナの荷物持ちをやる時にさ『チカバの街まで』って言ったよね。」

「ええ……言ったわ。」

「なら、それで良いよ。

 おれもチカバの街がどれほど遠いのかなんて知らなかったし、

どれほど遠くても、おれは荷物持ちをやるよ。そういう約束でしょ? 」

「……、……、そうよね。そういう約束だもの。」


 アルテナの表情に元気が戻った。


 うん、やっぱりアルテナは、元気なほうが良いよね。



 *



(ソーマは、どこまでも優しい性格なのかしら……? )


 彼の言葉に表情に、沈んでいた気持ちが浮かび上がるのを感じながら、

アルテナは隣を歩く彼の横顔を見つめていた。


 このホルマの街で水や食料、地図を買う時、

今なお街を歩いている最中でも、

 ドーマの街のように眉をひそめる者たちの様子を視界にとらえながら、

それでも彼は荒れることもなく 穏やかな川のように流れ歩いていた。


 それを見ていると周りのことなんてどうでもよく思えて、

アルテナは また早く屋敷に戻って旅の準備がしたくなってきていた。



「お~お~、いたいた。本当に真っ黒なんだなぁ? 」


 そんなアルテナの気持ちに水を差すように、

酒灼けた声の男が後ろから近寄ってきた。


「何の用でしょう? 」


 振り返り、アルテナが返事をする前にソーマが落ち着いた様子で声を掛けた。


 裾の短い下衣ズボンに袖なしの普段着を着ているようだが、

腕や足についた筋肉は一目でわかるほど隆起しており、

 アルテナは男を見て冒険者だと判断した。


 手で雑に髪を掻き荒らした銀の髪に、

手入れもせずに生え伸びたヒゲ面の男だが、


「いや、まぁ、何の用もねぇけどよ。」


 明らかに酔っ払った様子の屈強な男の目が、

ソーマからアルテナへと移った。


「おれとしちゃあ男なんかより むしろ嬢ちゃんの方かねぇへっへっへ。」

「……」


(興味本位でソーマに近づいてみたけど、私を見て目的を変えた? )


 いやらしそうに口元をゆがめた男を見て、アルテナはそう判断した。


 黒髪であるソーマはもちろん、見た目からアルテナも街では注目を集めやすい。


 並んで歩いているだけで街の噂の中心になっていた。



 そんな二人と街中で向かい合う男の様子に 街の人達も気が付き、

遠巻きに、周囲はざわざわとし始めた。


(今これから友好的に……なんて、ならなさそうね。)


 アルテナが場の雰囲気を読んでいると、


「アルテナ。」

「何? 」


 ソーマから声を掛けられた。



「ブラウさん呼んできて。」

「はぁ!? 」


 突然の彼の提案に、アルテナは何を言い出すのかと驚いた。


「あんなスケベ野郎、私がボコボコにすれば済むでしょ!? 」


 お互い武器を携帯せずに丸腰ではあったが、

腕に自信のあるアルテナだからこそ出た発言に、


「んだとこのガキ!! 」


 屈強な酔っ払いの男は、自尊心を傷つけられて怒った。


 怒り、詰め寄って来たのをアルテナは迎撃するつもりでいたが、

そのアルテナの前に ソーマの背中が立ちふさがった。


「ソーマ!? 」


 普段は何かあれば、すぐにでも彼女の背に隠れるはずの彼の行動に、

アルテナは信じられないものを見たかのように驚いた。



「やんのかコラぁ! 」

「やめましょうよ……」


 いたって落ち着いている様子のソーマ。の、足が震えているのを、

彼の後ろから見ているアルテナは気づいた。


(どうして!? )


 三眼の魔物の時も、親蜘蛛の村の村長の息子たちに絡まれた時も、

冒険者もどきに襲われた時も恐怖で動けなかった彼が、


(なぜ今になって……)


 私の前に立って相手にしているのか、それがアルテナにはわからなかった。



「……ほら、街の人達も見てますから。」

「だからどうしたってんだよ! すましやがって気に入らねぇ! 」

「ぐっ!? 」


 荒れた男の拳をもろに顔に受け、後ろへ体勢を崩したソーマは、

アルテナに抱えられるように受け止められた。


「ソーマっ!? 」

「だ、大丈夫……見えてた。」


 心配するアルテナの声にソーマは、

痛みに顔をしかめつつも平気そうに返事をした。



「っ、よそ者がでけぇツラして、街歩いているのも気に入らねぇんだよ! 」


 一瞬 周りに視線を向けた男が、

ソーマを殴った手を強く握りしめて叫んだ。


 今の状況を酔った頭で悟ったのだろうが、

彼の方も 引っ込みがつかなくなってしまっていた。



「だいたい、どいつもこいつもブラウブラウって、

引退した爺ばかりちやほやしやがって!

 今このホルマの街を守ってきてるのは誰だよ!?

おれたち今の冒険者だろうが!! 」


 屈強な男はもう、二人の様子も周りも見えずに声を荒げ続けていた。



 この場を遠巻きに見ていた者たちの視線はソレに同調せず、

むしろ冷ややかになっていく。



「あの爺が今何をしてるか知ってるのか? 魔力の研究だとよ!

 魔物の原因となる魔力を研究してるって、

冒険のし過ぎで魔力漬けになって頭おかしくなってんだよ!

 もしくは耄碌もうろくしたかもしれないなぁ! 」


 騒ぐ男の言葉にソーマの耳がぴくりと動き、体の動きが止まった。


「それにあの爺の屋敷には何年も引き籠った不吉な女もいやがる!

あの女の不幸で 親が二人とも死んでるんだぞ!」


 次第に彼の肩が震えだし、


「そのうち あの爺も、あの女の不幸で――」

「―― 目を覚ませぇっ!! 」


 アルテナの腕をほどいて駆けだした勢いで、ソーマは男を殴り返して黙らせた。


 勢いが付き過ぎてソーマは危うく そのままコケそうになるところだったし、

男は勢いのあまり背中から地面に倒されていた。



「てめぇ――」

「お前よくそんなことを人前で言えたもんだなぁ!! 」

「―― っ」


 殴り倒された男が起き上がろうとする前に近づいたソーマは、

男の胸倉を掴みあげて叫んだ。


「ブラウさんが何のために 誰のために魔力の研究をしてると思ってるんだ!

シアンさんがなぜ引き籠ったのか考えたことあるのか!

 なんで人の不幸をそんな風に言えるんだよ!

気に入らないだなんて我儘わがまま言うなっ!! 」


 胸倉を掴まれ、さらに殴り返そうとした男は、


「お前 最初はおれをバカにしに来たんだろ! アルテナを見て目の色変えやがって!

おれの髪が黒いからって! アルテナの恰好がエロいからって! 何考えてるんだよ!

お前が冒険者だってなら、この街を守るってんなら……ちゃんと守れよ! 」

「――っ!? 」


 ソーマの言葉にハッと目を見開き、彼を見て動きが止まっていた。


「……ソーマ……」


 アルテナは思わず呟いていたが、

彼の叫びを聞いて、その場にいた他の全員が沈黙していた。



「いったい何の騒ぎだ!? 」


 野次馬をしていた人たちの一角で声が響き、

声の方角にいた人たちが左右に退いた。


 その先に金属製の鎧に身を包んだ男性三人組が

騒ぎの中心の二人へと近づいていった。



 それを見てソーマが、胸倉を掴んでいた手を放し男から退いた。

男はゆっくりと立ち上がると、現れた三人へと無言で近づいていった。



「お前は冒険者の……どうした、喧嘩か? 」


 三人組の中央にいた人物が眉をひそめながら声を掛けたが、


「いや……おれが酷く酒に酔って二人に絡んでしまってな。

酔いも目も覚ませてもらったところだったんだ。」

「ん? ……そ、そうなのか? 」


 思ってもみなかった男の反応に拍子抜けし、また呆気にとられていた。


「あぁ、悪かったのは おれの方だから、それで頼むぜ。」

「そ、それで良いなら、いっそのこと見なかったことにするが……」


 酔っていたはずの屈強な男の 神妙な様子に、

むしろ三人が戸惑っているようだった。


 三人だけでなく、周囲にいた街の人々ですら困惑していた。



「おい、兄ちゃん、それから嬢ちゃんよぉ。……悪かったな。」


 散々 因縁つけて醜態をさらしていたはずの男が

そう言って去っていくのを見て、


 ソーマとアルテナは、なんだったんだ? と、ばかりに顔を見合わせた。



「じゃあそういうことで、皆行った行った! 」


 金属鎧の男性の言葉とともに、

周囲にいた街の人達も散り散りに去っていった。



「いてて……」

「ソーマ! 」


 人々がその場から離れていく中、

 ソーマが殴られた頬をさするのを見て、

アルテナは彼のそばへと駆け寄った。


「なんで? どうして私の前に立ったの?

闘いなんて全然できないはずなのに……」


 これだけはどうしても気になるアルテナであった。


 それにソーマが咄嗟に右手を隠したのを見て、

彼が手首を痛めたのも彼女は察していた。


「いや……だってさ、アルテナは病み上がりだったし……

無茶してほしくなかったからさ……」

「それでソーマが無茶してどうするのよ……」

「あー……うん、でも丸腰で、一人だけなら怖くはないと……思ったんだよね。

魔物とかの方がすっごい怖いしさ……」

「……」

「いやー、冒険者だけあって殴られたら凄い痛いね……

おれも体を鍛えた方が良いんだろうけどなぁ……」


 頬を擦りながら、うつむき加減でぽつぽつと話すソーマ。



 私が病み上がりだから、私を守ろうと?


 腕っぷしも剣術の覚えもない、魔物や族を相手に闘えない彼が?


 守られた、守ろうとしてくれた。


 彼の様子を見ながら、また胸の奥底で小さく熱がこもった気がして、

アルテナは無意識のうちに胸に手を当てていた。

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