南の遊女や留女の扱いも経営が厳しいと良くはないようだな

 一見すると南品川は栄えていて苦しむようなようなことはないように見えるが、江戸時代の宿場町は「駅伝伝馬」という、幕府の公用の人物や書状や荷物を運ぶために宿場町ごとに人間や馬を乗り継ぐための馬を用意しないといけなかった。


 徳川幕府は慶長6年(1601年)東海道に、伝馬制度を定め伝馬36匹の常備が定められたが、その後平和になり交通量が増えるに伴い、寛永15年(1638年)には一宿につき、人足100人・馬100匹に拡充されていった。


 こうした人馬の提供や飼育の負担するのは、宿場町及びその近辺の助郷と呼ばれる村の役目なのだが、特に品川宿の助郷村の多くは目黒筋の御鷹場と重なっていたため、鷹場の管理や整備、将軍家御成りのときの炊き出し、道具の運搬なども命ぜられ、しかも、幕府公用の旅行者は農繁期に多くその負担はかなり大きかった。


 そして、江戸時代中期以降は人馬需要の激増により、宿場町とのいざこざが相次ぎ、宿場町は常備の人馬を隠して助郷にその負担を押し付け、助郷は宿場町から指示があっても人馬を差し出さないことが度々でることにより、幕府の駅伝制度は崩壊寸前になったりするのだが、明和元年(1764年)から翌年にかけての「伝馬大騒動」には、武蔵・上野(こうづけ)・下野(しもつけ)の農民20万人が加わって抗議行動を起こしたりしている。


 それにより助郷を免除される村も、誰場宿場町は負担が増えるので、最終的には宿場町には遊女を飯盛り女という名目で黙認したというわけだ。


「馬を飼ってその体調を維持するためには金がかかるからな……」


 この手の労役は税金の一種なので、タダ働きだったりもするので、そりゃ不満も貯まるよな。


 明治5年(1872年)に、助郷制度は廃止されたのだが、もともとそれ以前に制度自体が崩壊しかけていたのであったりする。


 他の岡場所が取り潰されたにもかかわらず、四宿での売春が黙認されたのは、認めなければ駅伝制度が崩壊し、江戸と京都などの幕府の公的な連絡に多大な支障が出たからだろう。


 そんなわけもあって一見儲かってるように見える品川は、伝馬の負担もあってそこまで経営が楽というわけでもないらしい。


 吉原の場合は、日本橋の繁華街から浅草千束の辺鄙な場所に移動したのが、客足が遠のいたというのがあるが、品川は品川で現状では江戸の外れであるという、場所的な条件は同様でなおかつ伝馬制度の負担もあるというわけだから結構厳しいな。


 そんな事を考えていたら、


「そこのだんなはんこっちにおじゃれ……」


 とか細い声で幽霊のように手招きをしてくるおじゃれがいた。


 たぶん飯をろくに食えていないんだろうな。


 留女もいるがあまり客が入っているような感じはない。


「ああ、今日はここにしようか」


 ホッとしたように表情を緩めるおじゃれ。


「ありがたくおじゃる、ささどぞ」


「旦那さんどうぞどうぞ」


 留女がしている前垂れは、一般的な女性がする理由である炊事や給仕のときに、着物を汚さないためではなく、古着を隠して少しでも華やかに見せるためにつけるものなのだが、着物はかなりぼろぼろだな。


 店によっては着物以上に金を掛けたり、趣向を凝らしたりするようになったりもするんだが。


「さあさあ、旦那さん足を洗いますよ」


「んじゃ、頼むわ」


 足すすぎのたらいにくまれてきた湯で、足と脚絆を洗って宿の玄関に上がる。


「では宿賃は200文ですよ」


 俺は懐から金を出して渡す。


「ああ、200文な、ほれこれでいいか」


 受取った留女がニコニコしている。


「はいどうも、ではお部屋を案内しますね」


「ああ、頼む」


 案内された部屋はそこそこの広さがある座敷だが、あまりきれいとも言えない。


「ではお食事を持って、おじゃれもよんできますね」


「ああ、頼むよ」


 まずは宴会からはじまってと言うのは、吉原と同じような感じだな。


 ほんとうの意味での飯盛り女中が、膳を持って来るとともに、三味線や太鼓を持った芸者とさっきのおじゃれたちが部屋に入ってくる。


 飯そのものは宿代込の値段だが、酒やツマミ、宴会用の料理は別料金なのは、内藤新宿と同じだな。


「旦那はん、まずは一曲とともに酒を一献いかがでやすか?」


「ん、いいぜ、いくらだ?」


「酒と肴品で500文ですえ」


「じゃあ貰おうか」


 俺は500文を払う。


「はい、ありがとうございやすえ」


 おじゃれが、飯盛り女に伝えると、飯盛り女が部屋を出て、酒肴を持ってきた。


「ほう、はまぐりの酒蒸しか、これはいいな」


「ですやろ、今の時期は汐干狩しおひがりの、時期でやすしな」


 そう言いながら、すすっと寄ってきたおじゃれが、酒を注いでくれる。


「今夜の分で番頭さんへのご祝儀が一匁、私へのご祝儀が5匁でやす」


「両方お前さんに渡せばいいのか?」


「はい、そうでやす」


「じゃあ、6匁だな、後お前さんたちの分の食事も頼んでくれ。

 お前さん、ろくに飯食ってないんだろ?」


 俺の言葉におじゃれは驚いたようだ。


「あ、え? ほんまにいいんで?」


「ああ、こう見えても俺は吉原の惣名主の三河屋楼主でな。

 まあ店やお前さんたちの状況はなんとなくわかってるんだ。

 この店だいぶ大変みたいだな」


「……あい、そうでやす」


「なんで、俺に対してのおじゃれは別にしなくてもいい。

 そのかわりこの店の状況を話してくれねえかな」


「あい、ありがとうございます」


 そう言って、おじゃれや芸者二人は厨房から持ってこられた膳をおかずに飯をよそって食べている。


 客が取れないと飯抜きってのはやっぱどこでも同じか。


 話を聞いてみたが伝馬の支払いが滞っていて、現状の経営は結構厳しいらしい。


 明日の朝この宿の主人とこの店の権利を買えねえか話をしてみるか。

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