南品川は混沌としてるな

 さて、北品川の料亭で飯を食ったが、北品川から比較的近い高縄(後の高輪)は、明暦の大火以前は畑の広がる場所だったが、明暦の大火以後は諸藩の下屋敷も置かれたことから、北品川は大名行列の道中の休憩宿泊だけではなく、大名などの芸者を交えて飲み食いする社交場としても機能しているようだ。


「北品川のほうが吉原に近い感じもするな」


 品川は日本橋からは2里(およそ8km)と、江戸時代の感覚ではさほど遠くはない場所であるのに、宿場町を担ってるのは、駅伝制度によるところも大きいのだが、社交場と言うか歓楽街として発展している途中なのも大きいようだな。


「さて問題なのは南品川だな」


 南品川は魚市場や青物市場、一般の商店や飲食店も多数あり、一般の旅行客用の旅籠や茶屋も多いわけだが”おじゃれ”と呼ばれる遊女も多い。


 おじゃれというのは”こっちにおじゃれ”と手招きする遊女のことを指し示しているわけだが、幕府に宿場町の遊女が禁止された後に飯盛りが黙認されると、おじゃれは売春の意味に使われるようになったことで、飯盛りを呼んでおじゃれをすると言う風に使われるようになった。


 現状ではまだ黙認されている状態でもないので、おじゃれは違法な遊女ということになるけどな。


 実際に部屋の中から手招きして客を誘う遊女であるおじゃれと、店の前で宿泊を呼び掛ける留女は姿自体が違って、おじゃれは遊女や芸者のようなきれいな着物姿であるのにたいして、留女は地味な着物に前掛けという姿だったりで、実際に名目上は飯盛りとされる女性でも、品川では専業の遊女で炊事や給仕などをやらないことも多い。


 もっともまだ客を取れない年齢の童女や、客を取れない年増などは飯盛の仕事をさせられたりもするし、内藤宿の飯盛り女の通のように、もっと小さな宿場町だと留女と飯盛女と遊女の役割を全部やらないといけない場合も多いが。


「それを考えると南品川は混沌としてんな」


 なので品川の大きな飯盛旅籠では、吉原の中見世小見世に匹敵する程度には、あか抜けた姿の遊女が店の中から手招きでまっていたりするのであるな。


 宿場の留女も同じように、手招きをしたりするので、おじゃれが留女とされることもあったりするんだが厳密にはそれは間違いだ。


 とはいえ品川の遊女は銀十匁(およそ2万円ほど)で大見世、銀六匁(およそ1万2千円ほど)から銀四匁(およそ8千円ほど)で中見世、銭七百文の銭見世と分かれるが吉原よりは安い。


 その分、教養などはなかったりするが、三味線や歌舞音曲などはある程度身につけてはいるはずだ。


 江戸時代の飯盛女と一晩過ごす相場は普通は500文程度だが、南品川ではこういった切り単位で銭でやり取りする遊女は、下級の銭見世扱いで吉原の切見世と同じように店先で客を引く。


「そこのだんなはん、こっちにおじゃれ」


 そういって旅籠の中から手招きをする、それなりに容姿の整った遊女が声をかけてくる。


「いやいやこっちにおじゃれ」


 あちこちから声をかけられるんだが、できれば景気の良さそうなやつより、悪そうなやつに話を聞きたいな。


 もっとも俺が改革を始める前の吉原の遊女よりは、睡眠時間はマシな気がするが、そのあたりの差は夜中まで張り見世を行い客と一緒に寝ないといけない吉原と、夕方の日暮れ時に客を取りことが済めば自室に帰れる品川の差なんだろう。


 吉原と違って堀などに囲われているわけではないから、品川のほうが逃げ出そうと思えば逃げ出せる可能性も高いだろうしな。


 とはいえ飯などについては、現状の吉原より品川のほうが下だと思うんだ。


 とりあえず改善点をみつけていきたいものだ。

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