寛文2年(1662年)

オランダ人たちをまずは食事でもてなすとしよう

 さて、いつもどおりの年末年始を過ごして、年が明けた。


 オランダカピタンの江戸参府は出島が長崎にあった時は12月半ばの暮れから1ヶ月の時間をかけて長崎から江戸まで瀬戸内海の海路以外は徒歩で歩いてきて、江戸への滞在に一ヶ月、帰りにまた一ヶ月と言うものだから、その旅費は20500ライクスダアルダー(オランダドル)でこの時代の約12000両だから12億円くらいか?と大変金と時間がかかるものであった。


 更には、あちこちの宿で情報の流出もあったわけだが、伊豆大島に出島が移動した後は、伊豆の下田に船をつけて、あとは伊豆下田街道の「東浦路ひがしうらじ」をてくてく歩けば熱海を経由して小田原に3日で到着し、後は東海道を2日歩けば日本橋だから往復の日程は60日が10日になり旅費は格段に減ることになる。


 また伊豆・相模・武蔵は全て天領なので諸藩への情報流出も少なくなると言うメリットもあった。


 伊豆の東浦路は、古くは平安時代には既に設置されており、大正時代まで小田原~下田間の伊豆半島の東海岸を通った街道で、伊豆半島中央部を南北に縦断する天城峠越えの道はかなり厳しいが、東浦路は石畳みのしかれた海岸沿いなので女子供や病人などでもあるきやすく、女子供で3日、健脚な男であれば2日で歩ける。


 現在の道路なら国道135号や伊豆急行線・JR伊東線・JR東海道線などが走ってる場所あたりだな。


 因みに江戸城の石垣の大半は伊豆の石材で石切場もたくさんあり、大きな石が伊豆の山から切り出されて、船に載せられて海を使って江戸城まで運ばれた。


 大きな石を二つ積んだ石船が、三千艘も月に二度、江戸と伊豆の間を往復し石垣の石を運んだのだが石を切り出して船に乗せる作業はとてつもなく大変なものであったようだ。


 小田原から日本橋へは徒歩でも2日もあればつくので、天候等に問題がない限りは5日もあれば大島から日本橋まで来れる。


 無論船を使えば江戸日本橋まで1日ですむから基本的にはもっともっと早いんだが、基本的に物資の輸送は船、人の移動は徒歩という決まりもあるし、江戸湾の中に外国船を入れる訳にはいかないので、行かないらしい。


 まあ砲撃を受けたり船員に上陸されて攻撃されたりしてもまずいしな。


 カピタン一行のオランダ人の人員は、使節であるカピタンと書記や西洋医師などで4人ほど。


 日本人は規定では総勢59人なのだが実際には100人位いたりする。


 カピタンはこの時に起こったことを日記に必ずつけて本国に送ったので、日本の情勢はオランダ経由で欧州諸国には筒抜けだったらしい。


 で、15日の正月にカピタンが将軍への拝謁と、貿易の礼を述べ、献上物を進呈し、老中が将軍に代わって江戸幕府側は、貿易の許可・継続条件を言って聞かせる「御条目(ごじょうもく)」5ヵ条の読み聞かせと「被下物(くだされもの)」の授与をおこない退出することになる。


「やっと俺達の出番だな」


  カピタン一行はその日は日本橋の長崎屋の定宿へ戻って、翌日に吉原に来ることになる。


「はじめまして、吉原惣名主の三河屋戒斗と申します」


 俺はそういうとカピタンは鷹揚にうなずく。


「うむ、よろしく頼むぞ」


 オランダ東インド会社は正確には株式会社でオランダの海軍所属というわけではないのだが、オランダ政府から全権を委任されているので実質上はオランダ政府外交官のトップみたいなものだ。


 そしてまずは万国食堂で彼らに料理を振る舞うことにした。


 カピタンや医師、書記らをテーブルへ案内して料理をだす。


「ハシェイとヒュッツポットでございます」


 ハシェイはハッシュつまり細切りのことで肉または魚と野菜などが入ったオランダの伝統的なシチュー。


 ヒュッツポットはジャガイモ、タマネギ、ニンジンを茹でてつぶしたものに、牛肉の煮込みを添えた料理。


「おお、これは我がネーデルランドがスペインとの戦争に勝利した時に食べたというものとわかっているのかね?」


 ヒュッツポットは彼が言う通りスペインとの独立戦争の時に考案されオランダ人を飢えから救った食べ物とされているらしい。


「はい、お口に合えばよろしいのですが」


「うむ、うまい」


 カピタンはホクホク顔で食べているな。


「次はクロケットでございます」


 これはクリームコロッケだな、牛ひき肉とホワイトソースを合わせて細長い俵形にして、からっと揚げた、日本でもおなじみのクリームコロッケ。


 キャベツの千切りを添えてだす。


「うむ、これも懐かしい味である」


「次はパンネクックでございます」


 パンネクックはパンケーキだがクレープを少し厚くしたものと言うのが正しい。


 これはジャムを付けたりハムとチーズを挟んで食べたりする。


「おう、これはまた懐かしい味であるぞ」


「最後はエルテンスープ でございます」


 これは青豆を形がくずれるほど、じっくり煮込んで、ジャガイモ、タマネギなどの野菜や、ソーセージなどを入れたボリュームたっぷりのオランダの冬の定番のメニュ。


「うむ、体があたたまる、素晴らしい」


 オランダ人はスープ・チーズ・鰊がとても好きで、オランダの料理は地理的な関係から北フランス料理とドイツ料理の影響も大きい。


「デザートはアップルタルトでございます」


 オランダのアップルタルトはパイ生地よりもケーキ生地に近いもので柔らかくて食べやすい。


 最もリンゴは西洋リンゴではなく東洋リンゴでの代用だが。


「うむうむ、これは懐かしいものだ。

 大変満足させてもらったよ」


 食後のワインを飲みながらカピタンはそういった。


 お世辞もあるのだろうが実際それなりに満足はしてもらえたかな。


 この時代の日本料理は肉や乳製品が少なくて外国の使者にはあまり評判は良くなかったみたいだしな。

 

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