チェンバロは最初は揚屋に置いて水戸の若様や大名の殿様に聞いてもらおうか

 さて、おそらく現状の江戸時代の日本では唯一だろう鍵盤楽器であるチェンバロを購入して俺は大島から吉原に戻ることにする。


「高かったがいい買い物だったんじゃないかな」


 チェンバロの重量はピアノと比べて随分軽く60kgぐらいで、ピアノの重さは縦型のアップライトピアノなら 190kg~300kgで一般的な音楽室に置いてあるようなグランドピアノだとなんと50kg~480kgくらいとめちゃくちゃ重い。


 そりゃ下手すればピアノを置いたら家の床が抜けるわな。


 とはいえチェンバロもそれなりに大きいから一人で運ぶのは難しいが二人であれば十分運べるのはいい。


 とはいえ当然持って帰るには運ばなければならないわけだが……さてどうしたものか。


 とりあえず商館の主っぽい男についでに運んでもらえるのか聞いてみよう。


「ああ、すまないがチェンバロを俺の乗ってきた船まで運んでくれるか?」


 商館の主がうなずく。


「ああ、いいぜ」


 と素直に船まで運んでもらえたのは助かったぜ。


 さすがに一人で担いで持って帰るのはちょっと無理だからな。


 ワッセワッセと二人がかりでチェンバロを船へ運び入れ、演奏するために座る椅子も載せてくれた。


「運んでくれてありがとな」


「いいってことさ、そのかわりまた、来たら何か買ってくれよな」


「ああ、わかってる」


 それから船は島を離れて水夫がえっちらおっちら櫓をこいで江戸へと向かっている。


 山谷堀の船宿についたらどうやってチェンバロを運ぶかだが……船宿から人を出してもらって若い衆を呼ぶのが一番早いかね。


 やがて大川を上り、山谷堀に入って吉原大門前の船宿に戻ってきた。


「おーい、すまないがこれを船から上げるのを手伝ってくれ」


「へい、了解ですわ」


 俺は船宿の人間にまずは船からチェンバロや椅子を上げるのを手伝ってもらい桟橋に引き上げた。


「後すまねえが三河屋の若いもんを二人ほど呼んでもらえるか?

 ついでに大八車を持ってくるように言ってくれ」


「へい、わかりました」


 チェンバロだがまずは水戸の若様とかに見せたほうがいいだろうな。


 あの人ならこういった珍しいものが見られれば喜んでくれるだろうし。


 やがて、若い衆がやってきたので俺は揚屋に運ぶように指示する。


「これを大八車に乗せて揚屋の一番でかい座敷に運んでくれ。

 傷つけたり壊したりしないように気をつけてな」


「へい、わかりやした」


 江戸時代には当然軽トラックみたいな自動車はないしリヤカーもない。


 とはいえチェンバロが載せられる程度の大きさの大八車はある。


 大八車は通常は炭や米を詰めた俵とか、箪笥みたいな家財道具、マグロみたいなでかい魚とか人間の遺体を積んで運ぶのに使われる。


 あまり距離がなければ人間が引っ張るし、ちょっと距離がある場合は牛に引かせるのが普通だが今回は普通に若い衆に引っ張らせても大丈夫だろう。


 チェンバロを荷台に担ぎ上げたら古紙を当て物にして荒縄でチェンバロを荷台に縛り付けて落ちないようにしてから運ぶがチェンバロ一台くらいの重さや大きさならまあ余裕だ。


 で、揚屋の一番でかい座敷百合まで運んできたら縄を解いて座敷に運び上げる。


「さてちゃんと音は出るよな」


 一通り鍵盤を叩いてみたがちゃんと音は出た。


「ん、大丈夫だな」


 ま、細かい音の調律はこまめに必要なはずだが、ピアノ程は調律も難しくはないらしい。


「藤乃ならある程度説明すれば弾き方をわかってくれるかね」


 鍵盤楽器なんて見たことがないのだからある意味覚えてもらうのは大変とも言えるよな。


 とりあえず藤乃の空きの時間にチェンバロを見せて俺自身が”ねこふんじゃった”を弾いて見せて弾き方をざっと教える。


「っとまあこんな感じなんだが」


「つまりどこかを押すとそれぞれに合わせた音を爪弾いてくれるということでんな?」


「ああ、そういうことだ、わかってくれて助かるよ」


「決まった場所を押せば決まった音が出るというのはたしかに楽でやすな」


「そうだよな」


 チェンバロは弦楽器の一種でもあるのだが弦を押さえて音を調整する楽器より基本的にはずっと楽なのだ。


 後チェンバロはピアノと違って装飾も美しかったりするので飾りとしても悪くない。


「水戸の若様が来たらきっと喜んでくれると思うんでぜひ眼の前で弾いてみてくれな」


「あい、わかりやした」


 で、後日水戸の若様が来た時に実際弾いて見せたらやっぱり目を輝かせていたようだ。


 で、俺はいつものごとく呼び出されたわけだが。


「うむ、楼主よ、なかなか面白い楽器をみつけてきたようじゃな」


「はい、きっと若様には喜んでいただけると思いました」


「うむ、なかなか良い心がけであるぞ」


 どうやら好奇心旺盛な水戸の若様にはうけたようだ。


 たまに新しい刺激がないとやっぱ飽きるかもしれないからな。


 金額的には高かったがチェンバロを購入したのはやっぱり悪くなかったようだ。

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