三河屋直営音楽教室は五線譜を導入してるぞ
さて、去年に行った素人のど自慢の時期に吉原旅籠の昼間の座敷の一部に、専属の三味線などの演奏者をおいて楽器を演奏させ客が歌う「歌声茶屋」を設置したが、歌を歌うということに楽しみを見出した人間も増えてきてそろそろ吉原旅籠の部屋だけだと部屋の空き待ちが大変になってきた。
「親方、吉原旅籠だけだと部屋数が足りないから歌声茶屋を独立させて建ててくれるかな」
銀兵衛親方は頷く。
「ああ、いいぜ。
任せておいてくれ」
とりあえず歌声茶屋の建物の新築に関しては親方に任せればいいだろう。
そもそも、日本では”歌”と言うのは漢詩や和歌のような物を指し示していて基本的には教養人の嗜みと言う位置づけであったし、戦前くらいまでは歌人というと和歌とか俳句を作る人間だったのだ。
それ以外では宮中における雅楽などがあるが、これも基本的には皇室や貴族には必要とされる教養であったが武家が覚えるようなものではなかったからなかなか広がるものではなかった。
そして江戸時代での現代的な歌唄いの芸人は基本的には非人階級にはいっていた。
例えば鳥追や
一人に対しては12銭の紙包みをわたすのが普通であったし去年ののど自慢大会で優勝したのはじょんがら節を三味線で速弾きした女芸人であったが、そういった芸人と乞食に差はなく生産に関わることができない非人であったわけだ。
吉原などの遊女もそういった意味では微妙な立ち位置であって知識人と言う側面と被差別民の立ち位置が入り混じっているのではあるが、最近の吉原の遊女のなかで特に太夫は幕府への出仕の機会が戻ってきたことも有って知識人としての側面のほうが強くみられているし、中見世の遊女が奥向きでの奥女中たちに対しての遊芸や化粧の流行の発信元にもなっていることから遊女に対しての見方もどちらかと言えば尊敬される方向に変わってきている。
「遊女が蔑視されずどちらかと言えば尊敬される様になってきたのはとてもいいことだな」
妙がニコリと笑って頷く。
「はい、とても良いことだと私も思います」
史実の吉原における楼閣の楼主の妻である内儀といえば実質的な見世の女の管理者であり遣手と同じく血も涙もない鬼女と言う評判になっていくわけではあるが、このあたりは京都の島原と同じく教養芸事の師弟関係という方に変わっていってほしいものだ。
無論もともと親のために自分の体を売って家を助けるために遊郭で働いているということで遊女は一般的には尊敬を受けていたり、そもそも日本においては売春そのものに対して西洋のキリスト教的純潔潔癖的な差別を受けるものではなかったから、武家でも職人や商人でも遊女というものに対しては上とか下に見るというよりも吉原という華やかな別世界の人間というイメージのほうが強かったとは思うけどな。
21世紀現代で言えば芸能界のアイドルや女優と一夜を過ごせる夢の場所というのが吉原というわけさ。
で、俺は三河屋や十字屋の太夫とか妙に対して西洋的な五線譜の楽譜を教えていた。
「ここからド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドだ。
さあみんな追唱してくれ」
「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」
藤乃が感心したように言う。
「これはわかりやすくてとてもよいですえ」
俺は藤乃の言葉に大きく頷く。
「そうだろう、大島の紅毛人たちの技術の中にはこっちのものより便利なものも結構あるからな」
西洋の楽譜は全音符・付点2分音符・2分音符・4分音符・8分音符の記号など覚えるべきことを覚えてしまえば読み取るのがとても楽だ。
日本にも三味線専用の文化譜や箏専用の弦名譜などもあるのだが五線譜はどちらにも使えるという万能性があるのが強みでもあるわけだ。
文化的侵略とかいわれても便利なものが取り入れられていくのは自然なことでもあるんだよな。
ともかくそういった個人的な歌の弾き語りに対しての偏見を捨てさせるためにも歌劇や歌唱をちょこちょこ劇場や音楽堂でやらせているわけで、人前で歌を歌うということが乞食的な行為ではなくもっと素晴らしいことだという認識も少しは江戸の街にも根付いてきたんじゃないかな?
そして、俺が教えたことは太夫たちの三味線教室などで徐々に広まっていってもいる。
そもそも三味線などの曲は耳で覚えるものと言うのが一般的なのは楽器も紙も筆も墨もまだまだお高いものでもあるからだが、そういったものも比較的安価に手に入る用にしては行きたいものだ。
最もあんまりやりすぎるとあちこちに座とかからクレームが来るかもしれないけどな。
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