水戸藩の殖産興業を開始しようじゃないか
さて、後日水戸の若様は水戸藩の勘定方を引き連れて三河屋へ来てくれた。
やっぱり結構財政は厳しいらしい。
実際、尾張藩は表高こそ62万石弱であったが江戸時代初期に新田開発を推し進めた結果、実高は100万石近くに達していた上に、美濃・三河・信濃・近江・摂津などにて飛地が存在し、木曽の御用林から得られる木材資源は藩財政の安定に大きく寄与していた。
この時代の木材は建築、造船、燃料のすべてに関わる重要な資源だったからな。
なので尾張藩は財政には比較的余裕があった。
紀伊藩は石高は55万5千石と尾張藩に比べると少ないが豊富な木材資源を持ち備長炭のような高品質な炭の産地であり、暖かく蜜柑やサトウキビなどを生産でき、蜂蜜の名産地でも有った。
しかし、水戸藩は実高が28万石しかない上に徳川御三家の中でも唯一参勤交代を行わない江戸定府の藩であり、万が一の変事に備えて将軍目代の役目を受け持っていた。
天下の副将軍と呼ばれるのはそのせいだが、そのために贈答のやり取りなどにかかる経費が馬鹿にできない。
後に格式を優先して実態の伴わない石直しを行ったため、与えられる軍役が表高を基礎に計算され、何事も35万石の格式を持って行う必要性があったため、余計な人員を抱えなければならなかったから、大変なことになったのはいうまでもない。
これを現代的にいうなら年収を見栄を張って詐称して余計に税金を取られるようなものだと考えればいい。
最も水戸藩は東北方面の防備に重要な藩なので最初から与える石高をもう少し上げておいたほうがよかったような気はするのだが。
まあ、そうでなくても水戸藩の財政は現状の頼房公の藩主時代から苦しく、光圀公が藩主の時代の後期には財政難が表面化して藩士の俸禄の借り上げ、要は給料の削減を行っているくらいだ。
「うむ、楼主よ。
藩の勘定に関わっているものを連れてきたのでこの者たちにそなたの考えを伝えてくれるかね」
「はい、俺の意見を聞き入れてくださりありがとうございます」
本来大組織のリーダーというのは全体を見渡せる場所にたち、必要な場所に必要な能力を持った人間を配置するのが役割であって自分で何でもかんでもやるべきじゃあないからな……あれ?なんか言っていてブーメランな気がしてきたぞ。
ずっと進み出てきた武士が俺に言った。
「ふむでは、その方の話を聞かせてもらおうか」
俺は頷く。
「はい、ではお話しさせていただきます。
まず塩ですが、塩は人間が生きていくのに無くてはならないものです。
そして瀬戸内の諸藩では塩を藩の中で専売し余力がれば大阪などの大都市に売ることで利益を上げています。
現状では塩田やそこからできた塩は商人が扱っているものでありましょう。
それを藩の藩士の皆さまで塩田を制作し自らが塩を作り藩内で販売し
余れば吉原などにうっていただければと思うのですがいかがでしょう?」
「我らに商人の真似事をせよというか?」
「はい、もはや槍で敵の首を取れば土地や報奨を得られる時代ではございません。
そして日々の暮らしには金がかかります。
平和な現代では米を銭に変える大阪商人や江戸の札差が儲かるだけです。
ならば商人に儲けさせるのではなく武家の皆さまで直接塩などを作ったうえで売られればその分水戸藩も潤うはずでございます」
「はい、さらに可能ならば山中で紙の生産を海岸ではタバコの畑作などを行うのが良いかとおもいますがもっともそのあたりはまず農民に余裕をもたせねば難しいと思います。
米が育ちやすい場所では米を生産し水が得難い場所では水戸芋やジャガイモを海の近くで米が育ちにくい場所ではタバコを栽培させ、山中では紙を作らせそれを適度な価格で買い取りそれに適度な利益を載せて都市部へ売るのが賢明かと。
また作るのにかかった費用と売ってえられた利益などはきちんと数字に残しどれだけ儲かったかを明文化することも大事です。
色々やっても儲けがなければ意味がありません。
物が売れてもかかった元手を取りもどせなければ意味がないですからね」
武士は頷いた。
「ふむ、背に腹は変えられるぬかところで作った物はどの様に金に変えれば良いのだ?
そこは商人に任せるのか?」
俺は首を横に振った。
「それでも良いですが、間に商人を仲介させれば手数料を取られて単価が高くなり最終的には
客が買うのを控えてしまいます。
ですので販売も藩の方々が直接売り込むことにより、客にとっては安く、藩にとっては利益が上がるよう、お互いが良い商いが出来る様にすれば良いかと思われます。
近江商人は売り手よし、買い手よし、世間よしを売り文句にしておりますね。
売り先ですが、まずは俺、つまり吉原へもってきていただければ適正な価格で買わせていただきます」
武士は頷く。
「ふむ、なるほど。
ところで紙やタバコは吉原ではそんなに必要なのかね?」
俺はそれに頷く。
「はい、遊女に文は必需品でありますし、遊女手習いなども行っていく予定ですから
紙はいくら有っても足りません。
また煙管は遊女の必需品でもあります。
もし櫛や簪などを作る職人がいればそういったものも遊女には必要なものでございますゆえ
吉原に売るには良い品物でありましょう。
さすれば殿様が落とされた金をまた水戸にお返しすることもできましょう」
「ふむ、なるほど確かにな」
そして藩の勘定方の武士はニヤッと笑った。
「何か他にもあるのではないのかね?」
俺は頷いた。
「まずはこれを田植えの際にお使いください」
「ふむ、なんなのだそれは」
「稲の苗を植える時に苗と苗の間の距離が一番良い距離になるための田植定規です。
この定規の間隔で苗を植えれば最も効率良く稲を育てられるはずです」
「ふむ、それは良いものだな」
「はい、そして農民に余裕ができましたら涸沼(ひぬま)と北浦を結ぶ運河を作り那珂湊から涸沼にあがったところで陸運に切り替えていた水運を直接行けるようにしてしまうのが良いかと。
ただし、経済的に余裕ができてからでなくては成功しませんので頭の隅へ置くだけとしていただければ」
「ふむ、なるほどな」
「それが完成すれば江戸へ那珂湊や霞ヶ浦、北浦、涸沼の海産物やしじみなどを売り込むことも容易になり商売を行っているものから冥加金や通行税を取るのも楽になるかと思います」
「うむ、分かった。
頭の隅にとどめておこう」
実際にこの運河は水戸藩第三代藩主・徳川綱条の代に計画された。
水戸と江戸を結ぶ流通を発展させることや遠浅で海の難所である銚子沖の南北の海域である鹿島灘や九十九里沖を通らずに安全な水運航路の確保を目的としていたこれは成功すれば水戸藩の財政を良くしたのだろう。
しかしこの時期には水戸藩の農民はかなり困窮していたにも関わらず農繁期に農民を駆り出して運河を掘らせた上に、金がないからと給料の支払いを渋った上で年貢の取り立てをさらに厳しくしたためたちまち大規模な百姓一揆を誘発し事業は頓挫してしまった。
「どうぞよろしくお願いします」
まあともかくこれで水戸の財政が良くなればよいのだが。
経済的な余裕が少しでもあるうちにやっておくのがやはり無難だよな。
余裕がなくなって来ると金を払えなくなって結果事業が頓挫するなんてのはよくあることなのだから。
塩田に関しては入浜式を作るには干潮と満潮の水面位の高さの差が低すぎるし、流下式を作るとなると高い揚水能力を持った何らかの設備が必要だ。
揚水水車を何段かに組み合わせて使うとか、アルキメデススクリューを使うとかの方法はないでもないんだがな。
とは言え揚浜式塩田の水くみ作業を揚水水車で置き換えるだけでもだいぶ楽かもしれないけれど。
何処かで塩田づくりを試させてもらうのがいいかもしれないな。
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