桜の花嫁修業もほぼ終わりだな、はじめてのおつかいをやらせてみようか

 さて、鉄砲洲の築地の茶屋は吉原と奉行所の同心の共同の逮捕劇でほぼ壊滅した。


 そして逮捕された店主たちが財産没収の上で入れ墨と軽追放という比較的厳しい刑に罰せられたのを見て、他の深川の水茶屋たとえば門前仲町や本所の両国などの水茶屋も隠れ売女を雇うのを止めたり、少なくとも表立って客引きをする店はなくなった。


「まあ、完全になくすのは無理だろうからこの辺りが限度かね」


 最も違法に春を売ってることが俺の耳に入れば当然取締の対象になるわけだから、以前のように大手を振って春を売ることはできないし、店の評判を広めることも客引きを行うこともできなくなるのは違法売春を行ってる店には痛手だろう、吉原に直接的に影響がある地域の水茶屋を潰せたことで吉原の小見世や切見世への売り上げへの影響も低下しただろう。


「次はやっぱ品川なんだけどな……」


 この時代は妾が公認されているし、四宿の飯炊き女も旅籠の組合の陳情も有って半分黙認されている。


 江戸市中の夜鷹や船饅頭などの格安の私娼を完全になくす事もできないだろう。


 このあたりは客層も違うし、夜鷹などは売春行為を行っているということを知られたくない武家の妻が行っていることもあるからな……難しいとこだ。


 ただ、売春以外での武家の妻の働き口を吉原で作れれば夜鷹や船饅頭を行わなくてもいいのではないかとも思うから、吉原の総合アミューズメント施設化はどんどん進めていこうと思う。


 そして、桜の年期明けももうすぐだ。


 俺は桜のところへ状況を確認しに行った。


「桜、花嫁修業の方はそろそろ終われそうか?」


 桜は柔らかく微笑みながら言った。


「あい、若旦那が言ってくれなかったらどうなっていたかと思いやすがわっちももう一通りの家事はできるようになったでやんすよ」


 俺は桜の言葉のにうなずきながら聞いた。


「ほう、じゃあ、炊事に裁縫、掃除に買い物と全部大丈夫になったんだな」


 俺の言葉に桜は目を丸くした。


「買い物……?」


「おう、日常生活に必要なものをお前さんも買えるようにならないとまずいだろ」


「それは……やってまへんなぁ」


 俺もやらせてなかったかもしれないが、金銭感覚を正しくさせないとまずいからな。


 格子太夫は何両とか何十両という金銭のやり取りを普通にしてるが、一般人はそもそも金を支払いに使うこと自体があまりなく普通は銅銭を使う。


 つまり金銭感覚に大きなずれがあったんだな。


 これは20世紀の風俗嬢やキャバ嬢などの売れっ子も同じ問題が有って、リーマンショック以前の売れっ子風俗嬢やキャバ嬢はそれこそ月に2百万円年収で2千万以上稼いでる女の子も居た。そういった女の子は客からのプレゼントで高級なバックなんかもよくもらっていたりする。


 そういった女の子がある程度お金をためて一般事務で働き始めると月給は15万とか。


 しかも、風俗嬢やキャバ嬢は税金をちゃんと払っていない場合も多い。


 そうなるといままでの金銭感覚では生活していけなくて風俗やお水に逆戻りというパターンも多いんだが、年齢が上がると若いときほど稼げないからドツボにはまることも多い。


 若いうちに世間一般の常識に比べてあんまり稼げてしまうのもあんまり良いことではないのだ。


「そうか、じゃあ、後はお前さんが一人で買い物をできるようにならないとな」


 桜がコクリと頷く。


「そうでありますな」


 桜の花嫁授業の仕上げは”はじめてのおつかい”だな。


 まあとはいえ、江戸時代ではほぼすべての買い物は家の前に来た行商人である棒手振から買うもので、天秤棒の先にぶらさげた箱や籠、笊の中には魚や野菜のような食材、天麩羅やゆで卵のような調理済みの食品、籠や笊、食器、煙管などなど、およそ日常的に必要とされるものはほとんど売り歩きがされていた。


 破れた提灯や傘、穴の開いた鉄鍋や薬缶、歯の壊れた下駄などを引き取るものなどもいたし、その場でそれを修理してみせるものも居た。


 また米、酒、炭などは近くに店を構えているものが御用聞きに来て商品をおいていく。


 自分で店先にある何かを買うとなると反物や古着、小間物くらいじゃないかね。


「じゃあまずは棒手振から魚を必要なだけ買ってみようか。

 月の収入とあわせていくらまでなら使っていいか考えてな。

 大体月1両くらいが一般的な収入だ」


 桜はコクリと頷く。


 俺は桜に銭を一貫文4つの4000文分わたしてみる。


 大体月の稼ぎが1両から2両程度が普通の商人や職人の稼ぎだからな。


「あい、やってみますわ」


 棒手振からものを買う時は声をかけて引き止めて、必要なだけの量を告げればいい。


 ただし棒手振は現金商売だからその場で銭を払わなきゃならん。


「さかなーさかなはいらんかえー」


「お、ちょうど来たぞ」


「あ、魚やはーん。

 わっちにさかなをうってくんはる?」


「ヘイ毎度。

 今日はいい鰆(さわら)が上がってるよ」


「鰆でっか、ええでんな。

 それ2つくだはる?」


「ありがとうございやすこっちでさばきやすか?」


「あ、そしてもらえるとたすかりますわ」


「じゃあ2つで200文(おおよそ5000円)です」


「あい、200文でんな」


 そう言って200文をあっさり払う桜。


「へい、毎度ありー」


 棒手振はいい笑顔で立ち去っていった。


 俺はそれを見て苦笑い。


「おーい桜?」


「なんでっか?」


「ちなみに野菜売りの棒手振の稼ぎって一日いくらくらいか知ってるか?」


「さあ、1000文くらいでっか」


「はずれだ、正解は200文」


「へ、そんなに安いんでっか?」


「そんなもんだ、鰆は高級魚に入るから高くて当然だが普段からそんなもん買ってたら旦那が卒倒すんぞ」


「そうでしたか、もう少し安い魚にしないとあきまへんな」


「まあ、そういうこと」


 商家の給料なんて手代で年に金4両から10両くらいだ。


 まあ、最低限の衣食住は保証されてるけどな。


 独り立ちするとなればそれなりに初期投資の金もかかるし、あんまり高い魚を買ってる場合じゃないと思うぜ。


 貧乏だと魚すら月に何度か食えればいいほうだったりするくらいだしな。


 ちなみに鰆は旬の魚だしうまかったぜ。

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